氣とは何か?!

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、 今回は「氣とは何か?」というテーマでお話ししたいと思います。ただし、合気道という一分野の僕が理解できている範囲での氣について、個人的な意見を述べます。誤解のないようにお伝えしておきたいのは、僕の主張だけが絶対的に正しいという意図はありませんので、どうぞご了承ください。

本ブログでわかること

合氣道では「氣」という言葉がよく使われますが、その意味は非常に曖昧で、また個人によって主張が大きく異なるように感じます。そこで、このブログでは僕が考える最も現実的な気の考え方を紹介します。これによって、実際の合気道の技において「気」の概念をどのように応用するかが理解できるようになり、技術の向上にも繋がるでしょう。ぜひ最後までこのブログをお読みください。

目次

人知を超えた「氣」とは?!
物理世界と「氣」
タオイズムにおける「氣」
気をどう活かすか?!

人知を超えた「氣」とは?!

僕は合気道の達人である井口雅博師範に生前、「氣」という概念について何度か質問をしたことがあります。しかし、その時はまったく理解できませんでした。なぜなら、「氣」には人の理解を超えた部分とそうでない部分があり、それぞれの性質が相互に矛盾しており、理解を妨げる要素があるからです。

まず、人の理解を超えた部分についてお話しします。この話は以前にもこのブログで触れたことがあるかもしれませんが、気の説明に必要なのでしばらくお付き合いください。

ある時、僕は合氣道の師匠である井口師範に「氣とは何ですか?」と聞きました。すると、師範は僕に木剣を手に持たせて「後ろから打ってきなさい」と指示しました。しかし、誰でもそうだと思いますが、僕は他人を後ろから木剣で打つなんてできるわけありませんでした。だから最初は井口師範に当たる直前で木剣を打ち込むのをやめるることにしました。木剣が師範に最接近したとき師範は僅かに動いたのです。その瞬間、不思議なことですが自分の体が前に引っ張られるような感覚がしました。 師範は見ていないにも関わらず木剣が自分に近づいたのをキャッチして動いたわけです。私がそう気づいた次の瞬間 、「バカもん! ちゃんと木剣を振り切れ!」と師範は僕を叱りつけました。

このことで師範は木剣を確実に避けることができるとのだと僕は理解しました。そこで二度目に僕は思い切り木剣を師範めがけて打ち込みましたところ、体がふっと浮いたかと思うと、気づけば地面に転がっていました。

「これが気や! わかったか?」と師範が言いました。そう言われても、正直なところ僕には全く理解できませんでしたが、迫力に圧倒されて「はい」と答えてしまいました。ただ、人の理解を超えたものが存在するということは理解できました。

物理世界と「氣」

次に、合気道の技に応用できる、物理現象のレベルでの「氣」についてお話ししましょう。

ある時、僕は井口師範に「氣を使って人間は車に勝てるようになるのですか?」と質問しました。すると師範は「氣は人間だけが持つものではないんや!」と答えました。

師範によれば、車が動いているだけで既にその中には「氣」が存在しているそうです。そして車は「氣」の流れに従って動いており、その流れを止めるには相応の「氣」の力が必要ですが、一般の人間にはそれは不可能だとのことでした。

さらに具体的に言うと、すべての物体は「氣」を持っており、その「氣」によって状態が保たれているそうです。例えば、山の上に大きな岩があるとしましょう。その岩がその場所に留まっているのは、その静止した状態を保つ「氣」が存在しているからです。岩を動かすには非常に大きな力が必要です。しかし、何かしらの原因で岩が転がり始め、山の下に向かって落ち始めると、その方向に向かって落ちるという「氣」の状態が生まれ、さらに「気」の流れが生じて加速されていきます。そして、もはや誰もその動きを止めることができなくなります。

この例からもわかるように、自然が持つ「気」の力は非常に強力であり、人間のわずかな「気」の扱いだけでは簡単に自然の「気」の力を超えることはできないのだと、井口師範は教えてくれました。合気道とは、その自然の「氣」の力に近づくために修練するものなのです。要するに、物理現象も「氣」の変化であるということです。

但し、「氣」というのは物理現象だけでなく、様々な現象で起こりえます。例えば、スポーツや球技などにおいても、何故か勢いをもったチームや人は日ごろの実力をはるかに凌駕する力を発揮することがありますが、この現象も「氣」の現象と捉えることができます。このようにあらゆる物事の後ろに「氣」が存在すると思われます。

タオイズムにおける「氣」

合気道は古神道と密接に関連している武道であり、合気道における「氣」は日本の「氣」の思想に基づいていますが、日本の「氣」の思想は非常に曖昧で理解しにくいものです。そこで、合氣道の技において「氣」を利用する際には、中国のタオイズムにおける「氣」の思想に触れておくと良いと考えています。

タオイズムでは「万物は神(しん)、気、精で成り立っている」という考え方があります。タオイズムは中国の古代哲学・宗教であり、自然の法則や宇宙の原理を追求する思想です。

タオイズムでは、「タオ(道)」と呼ばれる絶対的な存在が宇宙の根源であり、万物の基礎とされています。このタオから派生して神(神霊)や気、精が生じ、宇宙や人間を形作ると考えられています。

「神(しん)」は宇宙の霊的な存在や神聖な力や法を指し、自然現象や事物に宿っています。一方、「氣」は万物に内在するエネルギーや生命力を表し、物質的なものから霊的なものまで幅広く存在するとされています。また、「精」は生命力や生命の本質を指し、人間の精神や魂、体内のエネルギーと関連付けられています。

このように、タオイズムでは万物が神、気、精という要素から成り立っており、簡単に言えば、神は指向性や法則を示す意思、気は神に基づいてすべてを成り立たせる力、精はそれを具現化する力と捉えられています。

したがって、「氣」とは、指向性や法則に従って万物を成り立たせる力であり、流れであると言えます。合気道では、「氣」を意図を実現する力ととらえ、「氣の流れ」を生み出すことで技となると考えます。

「氣」をどう技に活かすか?

さらに、具体的に「氣」を技を活かそうとする場合、この「氣の流れ」を物理学的現象、生理学的現象、心理学的現象に分類し、それらを理解した上で統合して技として活用することが重要です。したがって、当会では合気道の技をこれらの分類に基づいて説明しています。

当会ではこれらの3つの現象を以下の4つのカテゴリーに分け技術として修練しています。
1骨の技術
2皮膚の技術
3皮膚感覚の技術
4空間感覚の技術

これらに関しての詳しい内容は過去の記事を参考にしていただければと思います。

なお、 僕が最初にあげた合気道における人間の理解を超えた「氣」の例について、それは「氣を感知できる能力」と捉えることができると思います。言い換えると、人間の能力の範囲内で実現可能かもしれませんが、 「誰でもできる護身術」を目指す当会では それはやはり一部の人間しか実現できな特殊な能力であると考えています。

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