「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

【気が使えるようになるには】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近は「気」について色々と意見を述べているわけですが、最近の記事から、余計に「気」について分からなくなったという人もいるでしょう。

そこで、僕たち一般人が「気」を使うためにはどうすればよいかというのを達人たちの足跡から考えていきたいと思います。

 


気の達人たちの現状

 

多くの達人たちの共通は、生まれたときから「気」を自在に使っていたわけではないし、あらゆることを「気」を使ってできるわけでもないということです。

例えば、病気治癒を専門にする気功家は格闘家と闘っても勝てません。

「レイキ」という気による治療の免状を持っている人でも、武道で使う「気」は読めないようで、簡単に技にかかってしまいます。

また、武道だけにしか興味のない武道家は他の人の病気治癒はできません。

当然、武道と治癒のどちらにも長けた達人もいて、その人によれば、同じだと言われます。

同じ「気」を使って、一方では人を助ける力を身に付け、一方では人を破壊する力を身に付けているというのは非常に矛盾しているように思います。

しかし、そういった技術と「気」は別だと言ったらどうでしょうか?

言い方を変えると、そういった技術を「気」で行っているのだと考えられないかということです。

 


技術に気を通す

彼ら達人たちは、それぞれの道で「気」を使いこなしていますが、それぞれ得手不得手があります。

彼らが「気」を扱えるようになるのにステップがあったということを示します。

話を簡単にするため武道でのステップを示しますと

  1. 武道の技の鍛錬
  2. 武技を確実に使えるようになる
  3. 武技を気で行う

以上のステップで気による操作ができるようになっています。これは前に自転車の習得の段階とまるで同じです。

  1. 自転車の稽古
  2. 身体で覚え、ハンドル操作を意識しながら乗る
  3. ハンドル操作の意識がなくなり、曲がりたい方を見るだけになる

僕はこういった点を考え、才能のない人間が効率的に「気」の操作を行うには、

  1. 技を理解できるレベルまで抽象度を引き下げ個別に分解する。
  2. 個別に分解した個別の動作の意図を理解する
  3. その意図に従い個別の動作をそれぞれ徹底的に稽古して確実にする
  4. 「気」と結びつけて、全ての動作を統一して一つの技する

以上が大切なのではないかと考えています。

そのため、気の合わせを様々な種類に分類し、それぞれの合わせを個別に稽古し、それぞれの合わせで技ができるようになり、そこで初めて「気」を導入することで、才能のない僕たちが、開祖や井口師範のような達人に一歩でも近づけるのではないかと僕は考えています。

 


 

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【「気」の限界】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今このブログでは「気と合わせ」ということから始まり、「気」について様々な角度から述べています。

前回の話では、「気」は物理的な万能のエネルギーと考える多くの方が異を唱えたい気分になったかもしれませんね。

そういう人には僕の主張はかなり歪に聞こえると思いますが、これからその点について徐々に述べてみたいと思います。


達人は「気」を宇宙のエネルギーと捉える

 

様々な武術や医術や技術を扱う達人は各分野で「気」を使って驚異的な実績を上げています。

武術を極めた達人は、「武術は最後は気」と言われます。

また、病気治癒を得意とするチベット僧やシャーマンも「気」だといいます。

さまざまな分野の達人がすべては「気」をコントロールすることだと説明するわけです。

そういったところに到達した彼らは、口をそろえて「気」を宇宙の根源的なエネルギーと言って利用しています。

さらに高度に技が発達した彼らは「宇宙」との一体を唱えます。

宇宙の根源の気と一体になることで、様々な不可能と思われることが彼らには可能になります。

 


「気」の限界

ところが、そういったところに到達した彼らは、「気」を使う際に極めて厳格に姿勢について言及します。

特に、身体を極限に強化する硬気功法などでは、心身統一に時間をかけ、姿勢、呼吸などを整え、気を高めてその時点から演武などを行います。

また、「気」を用いて病気平癒を行う治療家家たちも、姿勢、呼吸をととのえ、特別な精神状態に持っていってから施術にあたります。

マンガやアニメでは身体に「気」を集めると、数百メートルの高さから落ちても平気ですが、さすがに硬気功であっても数百メートルどころか数十メートルから地面に向かって落ちるような演武はしません。

これは、経験的に、いくら「気」を巡らせても、「気」の達人ですら身体の限界が決まっているからと考えられます。

もっと具体的な例でいいますと、「気」の達人であっても、物理法則を超えるはずの「気」が扱えても不老不死は実現し難いという事実があるのです。

要するに、荒唐無稽な妄想を「気」に期待しても、物理世界における実現はかなり厳しいということです。

ですから、僕たち普通人が合気道で「気」を扱うとき、あまり荒唐無稽な「気」の思想に囚われていると、全く間違った方向に進んでいる恐れがあるということを肝に銘じる必要があります。

 

 


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【「気」は特別なものではない!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道では、「天地自然の気に合わせる」とか「相手の気に合わせる」とかよく言います。

ところが、気ということが良く分からないのに、日本人なら何故か分かるような気になってしまいます。

いくら分かる気になっても、実際はわからないのだから、出来るはずがありません。

そこで、僕が「合わせ」について、様々な分類をする理由を今回は僕の「気」に関するスタンスで説明したいと思います。

 


日常、気は誰でも使っている!

 

合気道で使う気を一言で説明するのは非常に難しいことですが、実をいうと人間は常に気を使って生活しています。

例えば、今まで一度もやったことのない動作を初めて行うと誰でも上手くいかないと思います。

しかし、そのことが一度身につくと、そんなに意識を集中しなくてもほぼ無意識でそういった動作ができます。

それが気を使っているということです。

例えば、自転車を乗ることは誰でも簡単にやってしまいますね。

それは日本が世界でも数少ない数パーセントのお金持ちの国なので簡単に自転車を購入できるからで、海外には自転車に乗ったことのない人は沢山います。

そんな人に例えば自転車の乗り方を言葉だけで説明できるでしょうか?

頭の中に感覚がありありと思い描けますが、言葉で説明をすると、実際にはしないことを説明します。

例えば、「右に曲がるときはハンドルを右に回せばよい」とかです。

実際は、重心を右に倒しているだけで、ハンドルを回そうなどしてはいません。

というよりは、実のところ、重心を右に倒しているという意識すらないのです。

右に曲がるときは、単に気を右に向けているだけです。

気を向けると、体が反応して、勝手に重心の位置を変えているわけで、自転車ですら気でコントロールしています。

 


精神世界と物理世界をつなぐのが気

 

このように気というのは、超能力者や達人が使う特殊なものではなく、誰でも日ごろから使っているものです。

もし、気ということばで自転車の運転技術を説明するとすると、

「気を前に出して自転車をこげば倒れません。右に曲がりたいときはそちらの方に気を向けると右に曲がります。しかし、大切な点は、例えば右に直角になっている曲がり角では、いきなり右に気を向けても、自転車は曲がりません。直角の道であっても、円を描くように気を向けないと危険です。何故なら自転車はすぐに直角にはまがらないからです。」

というような説明になるのではないでしょうか?

このように説明すると自転車が「気」を使って運転されていることがわかると思います。

ですから、精神世界と物理世界をつなぐものという僕の主張が理解していただけると思います。


 

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【基本の合わせでも数種類】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は骨の合わせについて書きましたが、実は当会だけでも基本の合わせでも数種類に登ります。

実は秘伝に触れずに、ご紹介できればと思ったのですが、他の合わせでもかなり秘伝を出さないといけないことになるので大まかな説明だけしたいと思います。


当会での技の分類

先ず、当会で指導している合わせの種類について述べる前に、当会の技の分類法について述べたいと思います。

当会で指導している技術は、物理学、生理学、心理学の3つ分野に分け、更に、それらを神道の天火水地の4つのエレメントで分類します。

地の技術は、物理学的な力や構造力学やテコなど考えを入れた技術を指し、別名を骨の技術とよんでいます。

水の技術としては、生理学的な技術で、物理的な力の反応で起こる生理学的な現象を取り入れたもので、別名を皮膚の技術と呼んでいます。

火の技術としては、生理学的な技術ですが、ちょっとした小さな刺激によって起こる反射のようなものを取り扱うもので、別名は皮膚感覚の技術と呼んでいます。

天の技術というのは、心理学的な技術を使った技の総称で、一見不思議な現象を心理学により説明した技術群で、別名は空間感覚の技術です。

以上が当会の技術の分類ですが、それぞれの4つの分野で合わせというものがあります。

 


合わせの種類

合わせの種類といっても単純に数えても数種あり、天火水地でもそれぞれ複数の合わせがあります。

まず地の技術の合わせですが代表的なものとして2つの技術があげられます。

一つは前回説明した、「骨の合わせ」というもので、もう一つは「骨格の合わせ」です。

骨格の合わせというのは、骨格上で相手に対して構造上強くなるような位置関係を取ることで相手を誘導するものです。

これには2つあり、関節の角度を上手くとることで、自分の骨格で邪魔されない方向に移動できるように合わす技術と、構造上で相手の予想を上回るほど非常に力が出る骨格の使い方を行う技術です。

さらに、水の技術の合わせは、「骨の合わせ」より早いタイミングで相手の皮膚をずらすことで、相手の力感覚を狂わせる技術ですが、直接的、強引に相手を持っていくものと、導くものがあります。

火の技術の合わせは、相手が接触した瞬間に相手が握ろうとする意識を上手く導く技術と意識を逸らせてから相手の意識をコントロールするものです。

天の技術の合わせは、心理学的な技術を応用したものです。

心理学ではパーソナルスペースと呼ばれる、心理的な相手との距離というのがあり、同じ人でも相手により受け入れられる距離が異なるものですが、このようなパーソナルスペースを上手く活用した技術になります。

 

 


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【脱力と骨の合わせ】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日から合気道の「合わせ」について話していきたいと思います。

今回は、「骨の合わせ」についてお話ししたいと思います。なお、「骨の合わせ」というのは当会の技術の呼び方で、一般的な呼称ではありません。

 


井口師範の脱力と腑抜けの違い

井口師範はよく「力を抜かなあかん」とおっしゃいました。それで、腕の力をダラーンとぬいちゃうと、「それは単なる腑抜けや! 力を抜いても、呼吸力は入ってなかったらあかん」とお叱りを受けました。

呼吸力が入った脱力とは一体何だろうと思い、師匠の技を受けていると、師匠の手を掴んでいるにも関わらず、何とも言えない持ちにくい感覚があり、しっかりと掴んでいるのに掴んでいる感がない感覚がしました。

いうなれば、ラーメンで例えるなら、力を抜いているのに芯の通った強さをもっているというのは、茹で足らないラーメンで何か芯が残っている感じがするのを読者諸氏も経験したことがあると思いますが、そんな感じです。

一方、「腑抜け」とは伸びたラーメンといえるでしょう。歯ごたえもなく、フニャフニャで、どうにでもできるそんな感じです。

例えが非常に悪いのですが、食感で説明するとそんな感じでした。

 


脱力には脱力する方向が大切

井口師範の手を取ると、しっかり持っているのに持てていない感じのするこの不思議な感触はどこから来るのかと僕はかなり悩みました。

井口師範の動きを何度も何度も観察して、師範の手を思い切り握ったとき、微妙に動かされているのに気づきました。

一方、僕の場合だと微動だにしません。

ここに違いがあるのだと思い、自分自身の左右の手で、力加減を考えながら、色々な角度で握ってみました。

握るときにぶつかるところをできるだけなくすため、握る方向性を皮膚で感じ、握られた箇所がすべて同じ圧になるように稽古しました。

要するに、脱力には脱力する方向が重要ということです。

ここまでが、所謂「骨の合わせ」です。

骨の合わせは相手との力感をゼロにすることができますが、これは単に力の抜く方向が分かっただけです。

この力の抜く方向に自分の腕の重さを乗せるということを行います。

脱力で、本当に大切なの自分の腕の重さを相手にあずけるということが大切なのです。

これを井口師範は「相手に任せきる」という言葉で表現しましたが、腕の重さを預けてしまい、相手がその重さに影響されて、実は重心を崩しているというのが、脱力が効果を発揮する本当の理由なのです。

 


 

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【抽象度が髙い開祖の「愛」】

皆さん、お元気ですか。僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は多くの武道は「対立すること」を前提に技が組み立てれていて、合気道は「相手を受け入れる」ということが大前提であるという話をしました。

そのため、開祖・植芝盛平翁先生は大東流合気柔術から離れ、独自に合気道を立ち上げました。

今回は、開祖・植芝盛平翁先生のお言葉を振り返ってみたいと思います。


合気とは愛である

 

以下に開祖のお言葉を記しておきます。

◆  ◆  ◆

合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。
世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。
合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。
私はこの事を武を通じて悟った。
敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。

即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。
無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。

では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?

それにはまず、神の心を己の心とする事だ。それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。

『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。
これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。

だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。

即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。
勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。
与えられた自己の使命を成し遂げる事である。

 


抽象思考が達人である証拠

開祖のお話しは非常に難解です。武道の達人ともなると、抽象度が半端なく上がります。

井口師範もかなり抽象度が髙かったため、具体的な事象にまとめ、そこから井口師範の言わんとしておられることを考える必要がありました。

翁先生のおっしゃる「愛」も我々が考える「愛」とはかなり違っていて、結果や行為からみると愛からかけ離れているように思えることですら、翁先生の中では「愛」と表現できるものなのでしょう。

要するに全てを包括する「愛」であり、調和、一体感などもその中に含まれていて、相手を投げてすら、「愛」と呼べるものとなるのです。

無理やり投げられたときはくやしさが残りますが、調和を持って投げられたときは、不思議さを感じるだけです。


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【合気は愛という理由】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回では、見るより感じる方が早く反応ができるということをお話ししました。

この感じるという点を重視することが合気道開祖が「合気とは愛である」といったことにかかわっています。

今回はこの関係に迫ってみたいと思います。

 


合気とは愛である!

 

合気道開祖・植芝盛平翁先生は「合気とは愛である」と言われました。

さらに、それに対する開祖自身のご解説のお言葉を読むと、非常に抽象的でかなり難解で一般の人には本当に分かりにいというか、読んでみてもさっぱり分からないと思います。

また、合気道の様々な師範もこの言葉を説明されていますが、僕はどの師範のご説明も曖昧で意味が分かりませんでした。

開祖の戦前のお弟子さんである養神館の故・塩田剛三師の話が有名です。

塩田師は「合気道は殺しに来た相手と仲良くなること」と説明しました。

殺しにくるような常識の通用しない相手の殺意を無くし、降参させ、その上で相手を許してあげる度量を持つには、愛が必要であると言えるかもしれません。

しかし、そこには塩田師が誰にも負けないという自信があるからで、一般人だと殺されてしまいます。

となると、「合気は愛」というのは達人レベルの人でないと言えないということになってしまいます。

 


井口師範の答え

 

そもそも元々の武道というものは相手と対立するものとして生まれ、如何に相手より優位に、相手を上手くコントロールして勝利するかという点を研究されて発展したものです。

そのため、「相手との対立からスタートする」というのが前提になっています。

格闘技の試合や柔道の試合などでも、ライバルとにらみ合って、殺気をぶつけあったりするシーンがよくあると思います。

一方、合気道では相手の気を感じることを優先します。

気を感じようとするためには、自分のチャンネルを相手に開き、相手を受け入れる必要があります。

徹底的に受け入れて初めて相手の意識が自分に伝わり、相手が動くのと同時、あるいは相手よりも早く相手の動きの先がとれます。

これを開祖は「勝速日(かつはやひ)」と呼びました。

勝速日を行うためには、相手を受け入れ、相手の気に合わせる必要があります。

それを「気結び(きむすび)」と呼びます。

この様に、合気道の前提は「対立」ではなく「相手を受け入れること」なのです。

この行為を「愛」と呼び、「合わせ」といいます。

ですから、合気道は対立の後の愛ではなく、最初から愛で相手と相対しているといえるのです。

そのため、合気道では技法としての「合気」を捨て、宇宙との調和という壮大な概念としての「合気」を目標としています。

 


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【合気道では気は感じるもの】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は「気を感じる」ということについて述べたいと思います。


視覚と感覚どちらが早いか?!

 

視覚と感覚を比較した場合、情報量は明らかに視覚情報の方が感覚情報より遥かに多いのは言うまでもありません。

情報量が多いということは、一度にたくさんの情報を得られるという点で、物事の理解では、視覚情報に勝るものはありません。

ところが、人間の認知は、過去の経験と知識によって行われるため、情報量が多いほど、処理に時間がかかります。

処理に時間がかかるということは、反応に遅れがでるということに繋がります。

ここで、実験をしてみたいと思います。この実験ではパートナーが必要です。

パートナーに掌を上向けてもらい、掌の真ん中にあなたの指を乗せます(下図参照)

【実験1】
準備ができたら、あなたは相手の掌を凝視して、相手の掌がいつ移動しても追従できるように心準備します。

そして、パートナーには、「用意! スタート!」で、好きなように手を動かしてもらいます。

あなたは、相手の動きに合わせてついていきます。

すると、どうでしょうか? パートナーが右に動かすふりをして、左に動かすなどすると、どうしてもあなたはついていけず相手の手から離れてしまいます。

 

【実験2】
次は、目をつぶって、同じことを行います。相手が動いたと思ったら、相手の動きについていきます。

するとどうでしょう? 目をつぶって行った方が相手の手の移動に追従できるのがわかると思います。

 

【実験3】

さらに、目をつぶって、同じことを行うのですが、あなたはできる限り指先に意識を持っていき、相手の気の変化を感じようと意識して、実験を行います。

実験2で既に一部の人の中には相手の気を感じて、完全に相手に追従できた人もいるでしょうが、今回は殆どの人が相手の動きに追従できたのではないでしょうか?

 


見るより感じる方が反応が早い

このように、反応するという点においては、目で見る方が圧倒的に不利であるということがわかります。

さらに、気を感じようと意識すると、より鮮明に相手の動きが分かるようになります。

相手の気を感じると、より相手の動きが分かるようになるという結果から、相手の動きを感じるには相手の気を感じれば良いということが分かったと思います。

しかし、護身を考えたとき、感覚を重視するあまり目をつぶってしまうのはかなり危険だというのは誰でもわかることです。

そこで、合気道ではどうするかというと、「目で感じてしまえばいいじゃないか」ということになるわけです。

そして、井口師範からご指導いただいた古い合気道の秘伝にはその方法が存在しています。

 


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【人類普遍の気の概念と気の知り方】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道の目的は宇宙の気に合わすということでした。

今回は世界に共通する気の概念から、物理世界や物理法則も宇宙の息吹である気のエネルギーによって成り立っているということを知っていいただき、物理を利用することも、合気道では気を使うことであるというのを理解していただきたいと思います。


人類普遍の気の概念

 

少し前に、世界の代表的な気の概念について記事を書きましたが、細かく見ていくと、気の概念といってもかなり違いがありました。

ところが、気という考えは、世界中に存在し、そこから「人類普遍の気の概念」といえるべきものもあります。

それは、精神世界と物理世界の関わりを説明するという点です。

世界中で古代の人々は、宇宙というのを考察したとき、霊的な要素として精神世界と、物質的な要素としての物理世界の2つが対極的に存在し、その中間に存在するものを想定し、それぞれの相互作用で万物が存在すると考えられてきました。

澄んだ軽いものが精神世界、濁った重いものが物理世界、そしてその中間のものと存在を考えてきました。

しかも、物理世界にも霊的な要素があり、全てのものに宇宙の息吹ともいえる気のエネルギーが通っていると考えられています。

その純度が高いものが霊的要素を含む精神世界であり、純度が低いものが物質世界というわけです。

こういった精神世界と物理世界の関わりを考えたときに、世界の各地で人類普遍ともいえる気の概念が導きだされたのです。

そして、その気の概念に各地の文化・宗教・信念・迷信が結びつき、独自の気の考えに発展したと思われます。

 


気は見えないが感じることはできる!

 

気というのは、精神世界と物理世界を結ぶ見えざる何かと考えると、合気道での「宇宙の気に合わせる」ということがかなり明確になります。

しかし技に活かすには気を認知する必要があります。それで、人によってはその見えざる何かを見ることができるという人もいます。

合気道開祖は、相手の攻撃をすべて攻撃前に見ることができ、剣などの武器だけでなく、飛んでくる銃弾すらも全ての攻撃をかわしたといわれています。

しかし、合気道で護身術を考えたとき、そのような数百万人あるいは数千万人に一人が到達するような境地では一般の人には敷居が高すぎると思います。

ところが、井口師範は「気は目には見えない。だから目で感じるんや!」と言われ、気を扱うヒントを残してくださっています。

その秘密が目の構造にあります。一般に視野が広いとかいわれる言葉がありますが、視野には中心視野と周辺視野の2つがあり、気を感じるのは周辺視野で、気を認知するにはこれを使える必要があります。

 


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【宇宙の気と合わせるとは?!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回のブログでは、合気道の目的は「宇宙の気と合わせること」と書きました。

しかし、それではあまりにも抽象度が高すぎて意味がわからないと思います。

そこで今回からは、極限までチャンクダウン(抽象度を下げること)していきたいと思います。


宇宙の気と合わせるとは?!

 

「宇宙の気に合わせる」といわれると、なんだかわかった気になって、宇宙にある気のエネルギーを受け取ってその力で何かすると思われる人が多いのではないでしょうか?

要するにドラゴンボールの世界です。

宇宙の気を集めて、放出すると惑星一つが大爆発するというような感じです。

ところが、合気道ではそうではありません。

宇宙の気に合わせるというのは、言い方を変えると宇宙の理に合わせるということです。

物理を無視することではありません。寧ろ、物理を味方につけるのが合気道といえます。

ですから、言い方を変えると、合わすというのは、自分の力に変えるといえると思います。

そうなると、人の気に合わせること自体も、宇宙の気に合わせるというのと同等のことになるのです。

 


宇宙創成と武産(たけむす)合気

 

井口師範は「気に合わせる」秘伝として様々な技術を伝授してくださいました。

「話は簡単! ただ、こう相手の気に合わせるだけや」というご説明で、非常に抽象度の高く、何がどう気に合わせるのか?という点がその時点ではサッパリ分かりませんでした。

それで、かなり理解の薄い弟子でしたが何度も何度もかなりの種類の秘伝をお教え下さいました。

井口師範は「秘伝には名前が無い。名前があったらだわってしまうからや」とおっしゃいました。

しかし、名前がないと中々覚えられないので、僕は勝手に名前は付けましたが、物理学、生理学、心理学などに基づいた合わせになっています。

しかもそこから派生した技が存在し、非常に混沌としています。

さらに、僕が理解できたもの以外にも合わせがあると考えられますから、合気道では非常に多くの合わせを使って、その都度、状況に合わせた組み合わせで無限の技が存在することになります。

このように混沌とした中から、無限の合気道の技が産まれることから、武産合気(たけむすあいき)と呼ばれます。

こう考えると、混沌の中から様々な銀河が生まれ、星々が生まれる宇宙創成と繋がりが感じられます。

星が生まれることも、星々の活動も、結局は宇宙の営みなわけですから、宇宙の気のなせることです。

そこで、井口師範はおっしゃるわけです。
「一見すると全く同じ技に見えてもすべては違う。一期一会や」

 


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