結びについて

先日、丹田の話をしましたが、井口師範は、技をかける際、“自然と丹田を感じることが大切である”とおっしゃられていました。

意識するのではなく、〝感じる”ことを重視されました。そして、この〝丹田を感じること”を〝結び”とおっしゃいました。結びができた状態が統一体であるともおっしゃられたこともありますが、あまり統一体などということばは口にされませんでした。

前々回の丹田についてでも述べましたように、丹田を感じるということは、状況に応じて変わるので、統一体という完全な状態をとなえるとかなり誤解を招くので敢えておっしゃらなかったと思います。

ですから、敢えていうなら、統一体といえる体勢があるのではなく、状況によって体勢が変わるのが統一体となるということです。

「曰く!〝相手と一体になる”っていうのは、自分も相手もある上で自分が中心(丹田)を感じておらられるということや。ここで大切なのは(おのれが感じているだけで)相手の気持ちはどうでもいいということや。相手がこちらを害しようとしているのであれば、その上で相手と一つになるんや。でも対立したらあかん。力がぶつかるようではあかん」ということです。

また、この時の心理面は、「無というのはちょっと違う、五感をそのまま受け取っているという感じで、(物理的な自分が動いていても、自分の目からみた自分は、あたかも)自分を中心に相手が自分の周りをまわっているごとき」と言っておられます。まるで、地球から見た宇宙そのものですね。ですから、合気道では、心理面での天動説だといえます。

ところで、相手と一体となるという話がでると、合気道修行者の中の多くの方で、開祖がおっしゃった〝合気道は愛の武道”ということを頭に浮かぶ人がいると思いますが、井口師範の作られた合気道修業の眼目が参考になると思いますので以下にあげておきます。

 

合気道修業の眼目

私たちは
正勝・吾勝・勝速日・万有愛護の精神をもって
心身共に天地に任せ、眼中敵もなければ
味方もなく、清濁併せ呑む大海の度量、
一木一草もあわれむ大自然の慈悲の心、
そして一心鉄石をも貫く真の誠を練り上げ、
全人格をもって天地に報い、
社会人類に貢献出来得るよう修業するのが、
合気道修業の眼目である。