皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今日は合気道の合わせについてちょっと違った角度からお話ししたいと思います。
何かというと、合わせとは無抵抗主義だという話です。
合気道は無抵抗主義
「無抵抗主義の中に潜んでいるものは、大いなる抵抗主義ですよ」
と、合気道開祖はビデオの中で次のように言われています
これは、一般の人にはかなり意味不明の言葉となっていると思いますが、技術に関しては合わせについておっしゃっているともいえるのです。。
実は、合わせを完全に行うと、抵抗感がゼロになります。すると、殆ど力を使わないで相手を導くことができます
開祖のお言葉は、技術面だけでみても合わせについて、非常に的確でこれほど的を射た表現はないのではないかと思えるぐらいです。
また、この完全に合わせたゼロ状態とでもいいますか、この状態には非常に特殊な感覚をおぼえます。
ですから、井口師範はそのときの感覚は特別なので必ず隠す必要があると言われました。
「合気道は感覚が命なので、相手に技を掛けるとき完全に合わせた状態で掛けたらあかん。少し力感が残るようにしておきなさい。何故ならその感覚を盗まれるからや。合気道の秘伝は見てもなかなか分かるもんじゃないけど、感覚は伝わるんや」
ただし、技を受ける方がかなり感覚を鋭敏にしないとわかるものではありません。
しかし、井口師範自身、開祖の翁先生から感覚で技を受け取ったということが分かるお話しではあります。
そのため、翁先生にあまり手を取ってもらっていないお弟子さんは、人によって言うことがまちまちで、ある人は「翁先生の腕は鋼鉄のように固かった」といい、別の人は「まるで綿でも掴んでいるようだった」というわけです。
それから、実は合わせを行うと、技を仕掛ける方は、かなり不思議な感覚となります。
掛ける方でもそうなのですから、技にかかる方はかなり意味が不明で、自分が何故か相手にコントロールされている状況になる訳です。
ゆえに、技において、合わせという無抵抗主義は大いなる抵抗主義が潜んでいるといえるのです。
最後は心の在り方の問題
ところが、この完全な合わせを行うことを教わっていても、どこかで対抗心がでてくると、相手を完全にコントロールするということができません。
一番問題なのが、心の在り方の問題です
僕たち日本人は、学校教育で、常に人と比べることを強いられてきました。
それは通信簿でも分かるように、評価は他との比較です。運動能力も学業も何もかも他との比較によって進められてきました。
道徳や体育などでは、他と協力するようにと指導されても、テストでは協力は許されないのです。
このような教育の結果、常に自分と他を比較し、対立するように育ち、魂の奥まで対立が染みついています。
ですから、僕たちは、相手に掴まれたときに、対立ではなく調和をすることが、相手を導く一番よい方法だと理屈で分かっていても、中々技にでないのです。
特に、相手が大きかったり、人前でするとか心に負荷がかかるような場面では、どうしてもこの合わせるということができなくなってしまいます。
この心の問題が一番合わせを難しくしているのです。
そういった点を考慮すると、自分自身も含め、やはり生活全体から、対立を生まない意識を持つ訓練が非常に大切と最近はつくづく思うのです。
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