【形稽古は判ではない】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日は形稽古の陥りやすい危険性について話そうと思います。


護身は形を覚えるだけでは不十分

合気道は形稽古を行います。二人の人が組み合って担当の取りと受けを決めて行って技を覚えていきます。

しかし、形稽古ということで形の習得だけで終わってしまうケースが多いと思います。

けれども、技の形を覚えても、実際面、要するに護身を考えたとき、思うように使えるものではありません。

特に、女性の場合は、取っ組み合いの喧嘩、殴り合いなど一度も経験した事のない人が多いため、短刀取りを学べば、「私はもう短刀取りを習ったので、ナイフで脅されても平気!」と平然という女性もいるぐらいです。

とは言え、現在は合気道にも様々なニーズがあり、それぞれのすべてのニーズに応えられるのが合気道であるという指導者もいるぐらいですから、「別に護身に役に立たなくてよい。私は凄い演武さえできればそれで満足」という人はそれはそれでいいと思います。

しかし、指導者が実際に使えもしないのに、さも使えるような言い方をして誤解させるのは非常に問題があると思います。

護身面のことを言われたとき、多くの合気道指導者はよく「逃げれば良い」といいます。

けれども、電車の中、密室の中では逃げるにも逃げられない場面もあります。僕は電車の中で、ただ座って本を読んでいただけで、何の落ち度もないのに、暴力に遭いました。助けてくれる人もなく、その上、人がたくさんいたから逃げることすらできませんでした。

ですから、指導者は単に「逃げればよい」ということを指導するだけでなく、できないなら「できない」ということを正直に知らせてあげ、その上で、演武だけの稽古でよいのか、護身に使えるようにしたいのかを教える必要があると思います。


形稽古はその先の先がある

一旦、護身を考えたとき、合気道の形稽古では様々なシチュエーションい応じた稽古が想定できます。

単なる形稽古でも、技の形を覚えるだけでなく、もっともっとその先の稽古ができるものです。

試合形式だと、攻撃パターンが非常に多くなり、どちらかというと虚々実々の取り引きが主となり、結局、運動神経の良い人、体の大きな人が勝つという結果になります。

しかし、形稽古の場合、攻撃が一つなので相手の出方の様々な状態に合わせるということが可能になります。

タイミングを少し変えるだけで、そのタイミングに合う技の掛け方など変わってきます。そこを稽古するだけで、様々なシチュエーションを作ることができるわけです。

しかも、取りがそのシチュエーションを作れるということなのです。

ときとして判で押したような完全な形を求める人もいますが、やはり技は一期一会、それぞれの状況に応じて変わってくるものです。

その状況を工夫して作りだせるのが形稽古の良さでもあるのです。


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