皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、僕は少年時代、小学校から大学まで、もともとは学年でもトップクラスの運動オンチでした。そんな僕は実質は26歳から合氣道を本格的に学んで、現在は武道家をやっていますが、当時の僕からするとまさに奇跡としか言いようがありません。今回は過去を振り返ってみて、この奇跡が何故起こったのかを考えてみたいと思います。読者の方々の参考にもなると思いますので、良ければ最後までお読みください。
本ブログでわかること
武道では何度も何度も繰り返す稽古が大切という話を聞きますが、一つのことをひたすら続けると本当にありえないことが自分の身の上に起こります。少年時代の超運動オンチだった僕が元格闘家を含めいろいろな武道経験者に合氣道の技術を教えています。この僕を変えたのは、他の武道やボクシングなどでは手打ちと蔑まれるような一見非常識と思われる当て身の稽古をただひたすら続けたからです。その結果、奇跡が起こった訳ですが、そこから得られた極めて重要なことをお話ししたいと思います。技の上達が今一度と思われている人は是非参考にしてください。
目次
・今何を思っているかで将来が決まる
・師の言いつけをひたすら守った結果
・ショボいと思った当て身は実は凄かった
・奇跡が起こった理由
今何を思っているかで将来が決まる
中学校や高校では学年に一人や二人はいると思いますが、何の障害も持っていないにも関わらずどうしようもないほどスポーツができない生徒がいます。僕のその中の一人でした。
そんな僕は人生で2度合氣道に挑戦しています。1度目が22歳の時でした。しかし2年程して指導員の先生に上達が全くできず退会を促されました。2度目は26歳の時で、永遠のわが師・故井口雅博師範に入門したのがそれです。
1度目の合氣道を志した理由は「健康になるため」でした。ただ立ってだけでも30分すら持たないほど体が弱かったため、氣という生体エネルギーが高まる合氣道をすると健康になるといわれたからです。しかし、そんな軟弱な体を持つ僕にとってはたった1時間の合氣道の稽古は僕を苦しめただけで、何も得るものがありませんでした。
2度目は、暴行を受けたことで、「沢山の人が見ていても誰も助けてくれる人はいない。自分の身は自分で守るしかない」と思い、井口師範に入門しました。そして、2年もすると普通の人並みの健康を手にいれました。
僕の体を健康にした原因として、この2つの合氣道の違いはどこにあったのかというと、結論からいうと、2回目に良い師に巡り合えたからではなく、考え方の違いにあったと思います。
1度目の合氣道は、「健康になるため」というのを裏を返せば「今健康でない」という意識からきています。一方「身を守るために技を少しでも身に付けたい」という思いには「今健康でない」という意識が全くなかったわけです。
技を何としても身に付けたいという思いから、不調で寝ていても壁を押すなど稽古をしていたぐらいです。その結果、技が身につく体に少しずつ変わって行き、技が身につくために最終的には病魔まで追い出してしまったわけです。
師の言いつけをひたすら守った結果
僕の行う打撃は他の武道やボクシングでいう単なる手打ちです。しかしそれがわが師・故井口雅博師範から教わった打撃法でした。下の映像から見ても僕のパンチはただの手打ちでしかありませんが、元格闘家の人が後方に飛ばされています。
僕がこの打撃法の練習をしているのを見た多くの人は「そんな手打ちのパンチを練習しても意味がない」とよく言ったものでした。
しかし、僕の勝手な解釈では、当て身を「合氣道は投げがメインなので、軽い打撃で牽制して投げの補助を行うもの」としていたのでしたので、師匠の方法で良いと考えていたのです。
そして毎日毎日ひたすら手打ちの打撃の稽古をしたものでした。するとある日、体に芯が通る感覚ができてきました。その感覚を使うと、何故かあまり力を使わず人が投げれるようになったのでした。合氣道でいういわゆる呼吸力が出てきたというものです。
僕は師匠はこのために、僕に当て身の稽古をひたすらするように言ったのだとそのとき理解しました。
ショボいと思った当て身は実は凄かった
僕は長い間、合氣道の当て身は手打ちだから大したことが無いと真剣に思っていました。ところが師匠が亡くなり、喪に服して3年経ち、合氣道をもう一度始めようと思ったのですが、師匠と肩を並べられるような先生を探しましたが見つけることができず、結局合氣道はあきらめ打撃系格闘技であるジークンドーをすることにしました。
やはり、40代に入ってからの打撃系格闘技では、片目の見えないハンディを持つ僕にとっては非常に負担が大きいものでした。特に若い人を相手にするスパーリングでは、体力負けをしてしまうことが度々ありました。
そんなある日、パンチングミットに打撃を打ち込む稽古をしていたとき、体力に限界を感じ、手抜きで思わず合氣道の当て身をだしてしまったのです。要するに手打ちでミットを叩いたわけです。すると、ミットを持っていたパートナー役の人が、「何ですか? 急に打撃が強くなりましたが、疲れたようにしていましたが、実は体力を温存していたのですね?」と言ってきたのです。
僕は手を抜いて楽な合氣道の当て身に変えただけだったので非常に驚きました。それで、ジークンドーのパンチングのトレーニングで、疲れてきたら合氣道の当て身を行うということをやり出したのです。ここにきて初めて他の打撃系の人たちに手打ちと蔑まれる合氣道の当ては実は凄いと実感し始めたのです。
それからしばらくして、ジークンドーでスパーリングを行ったとき、相手が空手の高段者と当たりました。僕は短期決戦でないと勝てないと思い、相手の打撃に合わせて入り身で入り軽いけん制のつもりで相手の胸に突きを行いました。
すると相手が2メート後方に吹っ飛んでドンという大きな音とともに尻もちをつきました。これには会員が全員おどろき、側でスパーリングをしていた人たちも一端動きを止めて、私たちの方を見ました。隣でスパーリングをしていた人が大きな声で「合氣道! すげー」と叫んだぐらいです。でも一番驚いたのは当の本人、僕だったのです。何故ならコチラは全く実感がなかったからです。このとき初めて合氣道の当て身がこれほど恐ろしいものかと知ったのです。
そしてIAM護身術として合氣道を教えている今、以前に中国拳法の達人の先生が「太極拳では食勁と言って、師の打撃を直接身体に受けることを行います。師の打撃を受けると、感覚が分かり打撃力が師に近づくのです」と言っていたことから、僕も弟子にときどき本の軽くお腹に打撃をするのですが、多くの弟子がその日に腹を下したと言うのですが、それは大げさに言っているのだろうと勝手に思っていました。
そして、先日、弟子のひとりの当て身の軸が非常に整ってきているの見て、「随分と良くなりましたね。じゃあ、僕のお腹に当てて見てください」と言って、打撃を直接受けたところ、かなりの衝撃が内部まで入ってきて、内臓にダメージを感じました。
最悪だったのが翌日です。38度ぐらいの熱が出、一週間後熱がおさまってからも身体が非常にだるいという体調不良が2週間も続きました。打撃をもらった日より3週間前には空手の黒帯の身長190センチ、体重100キロ以上の巨漢のパンチを鳩尾(みぞおち)にもらっても平気だったのですが、弟子の当て身は鳩尾を外して打ったにもかかわらず、打たれた瞬間、約2,3秒声がかすれ、さらには腹に思い鈍痛が残りました。
これによって合氣道の当て身というのは非常に恐ろしいと痛感しました。僕の場合、ただひたすら師匠の言われるままに稽古を行い、壁や立木や電信柱を叩き続け、何年もかかってコツと思われるものを掴んだのです。やはり継続は力といいますが、他の武道で手打ちと蔑まれる打ち方でも継続していると奇跡が起こるのです。
でも、 剛柔流空手の四段 の師匠が手打ちのような当て身を教えること自体をよくよく考えてみますとそこには訳があったのは明白ですよね。今冷静に考えるとさすが達人、凄い意味があったのですね。
奇跡が起こった理由
ここで、超運動オンチの僕が当て身を稽古をひたすら行うことで、身体が健康になり、しかも様々な武道経験者にも指導できるというようになったという奇跡が起こった理由としては次の2点だけだと思います。
①優れた師匠のいわれる通り改変することもなく稽古を行った
②ひたすら稽古を何年も続けた
①についてですが、師匠の弟子となった人は何人かいますが、当て身について言及する人がいません。というのは僕ほど当て身の稽古を行った人がいないからだと思います。
師匠が指導した当て身は見た目は他の武道の人に蔑まれるいわゆる「手打ち」ですから、こんなの稽古しても意味がないと誰もが思うのです。ところが、僕は運動オンチという劣等感から、ひたすら一人稽古ができる当て身に打ち込んだのです。このお陰で当て身のコツを体得し、今は簡単に多くの弟子たちに指導できるようになりました。
②については、師匠はあまり理由も話さないし、師匠から打撃も受けたことがありません。「僕の打撃は本の軽く小突いただけでも致命傷を負わすから、そう簡単に出せんのや」と師匠はいい、師匠の打撃を経験したことが一度もありませんでした。
ただ、私の打撃を見て、その都度指示を出すだけでしたので、多分多くの弟子の人たちは師匠の前ではいうことを聞いていても、毎日ひたすら稽古をすることが無かったのだと思います。
しかし、何年も稽古している内に、身体が安定し軸ができるのを感じ取れるようになりました。そしてこれが合氣道でいう呼吸力という特殊な力だったのです。
もともと空手もしていた師匠がこのような当て身を教えること自体を考えると、師匠もやはり合氣道開祖のいうように当て身をひたすら稽古した証でもあるのだと思います。そして一つのことをひたすら稽古する意味を伝えたかったのだと思います。
「三年かけても良師を探せ」 という中国のことわざがあるそうですが、私の当て身の例からも、次元が違う一般常識と異なる技術を学ぶときはそれを体得した師の存在は絶対に必要だと思います。地図やガイドが無くして見知らぬ山の頂上には登れないということですね
こういった点からも井口雅博師範とご縁ができたことは本当に良かったと思っています。
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