合気道には、呼吸力、呼吸法、呼吸技、呼吸投げなどのように「呼吸」とついた言葉がでてきますが、「呼吸」がついているので、どのように息を吸って、どのように息を吐くかということに意識が囚われている人がたまにいるようです。
確かに、世間一般に、呼吸というと、酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出す動作のことを意味します。そこで、技をかけるときは、「ハーっと吐け」と指導する人もいる様ですが、これは誤った認識です。
合気道における「呼吸」というのは、昔の人が使ってきた「息(いき)」という意味と解釈しないといけません。今でも武道や芸道では、「息」ということばが使われるときは、「芸道や武道の深い要領」のことを意味します。特に武道や武術の場合、言い換えると「極意」をさしているのです。ですから、合気道でいう「呼吸」というのは、この「息」の意味、要するに「極意」という意味で使われている訳です。
呼吸力というのは、極意を体得した特別な力ということになります。要するに、体全体が協調して出る統一力といった方がいいかもしれません。ただし、井口師範の言われる呼吸力とは、統一した力がでるようになった人が、さらにその力を限界まで鍛え上げた特別な力をさしていましたが、一般の合気道では、それは呼吸力の差を生み出しているもので、単に呼吸力は統一された力だと考えた方がいいと思います。
さらに、技や法となると、その呼吸力の上に、術理に則る必要がでてきます。そしてその術理も極意の一つですから、これも「息」すなわち「呼吸」を意味するものです。いくら呼吸力が強くても、術理を破るやり方ですと、当然「呼吸」とはいえないですし、法や技とは言えませんし、そういう力ですと相手を破壊しかねません。それでは、平和の精神に基づいた合気道精神からも逸脱します。
ですから、呼吸法といっても、息の吸い方と吐き方ではないのです。座り技呼吸法で、息を腹式呼吸でハーっと吐きながらやっても、効かないものは効きません。「まだ呼吸が浅いから」というわけではないのです。統一力である呼吸力と術理の二本柱がちゃんとできているかどうかが効く決め手となるのです。
たまに、道場などで、合気道の何年も先輩になる人が初心者相手に、さも知っているように息を吐いて技をかけるように言うことがあるようですが、それは、多分、中国拳法の本でも見て、息を吐きながら行う発勁という動作を意識しているのだと思います。
しかし、合気道と中国拳法では学び方が違います。根本的な違いは、合気道における拳や足による当て身は、補助的な役割しか持っていませんが、一方、中国拳法では、拳や足での当て身は破壊を目的にしたものであるということです。ですから、中国拳法には手足による破壊ための独自の気の理論があり、その上での腹式呼吸(爆発呼吸)を行っているのですから、「息を吐くと強い」というものではありません。
ですから合気道修行者はその当たりをよく理解して、心身の統一と術理の二本柱にした合気道の技の研鑽を行っていただきたいと思います。