合気道の呼吸力

合気道では呼吸力が大切といわれています。しかし、指導者により考え方がまちまちで、合気道修行者は、ほとんどその実体はわかっていないというのが実情ではないでしょうか。

井口師範は、「呼吸力を使うと、重いものを軽くひょいと持つことができる」
と、説明しています。

ところで、多くの指導者は、「呼吸力とは、力を使わない技術」というような指導をし、弟子たちに「力を使うな」と指導します。

すると、弟子たちは、「取り(技の掛けて)が呼吸力を出したときは、受け(技の受けて)は、力をまったく感じず、フワッとした感覚になるはずだ」と勘違いをします。これが呼吸力だと、多くの合気道修行者が考えていることではないでしょうか?

ところが、井口師範の呼吸力をまともに受けたときの感じは、まるで軽自動車VSブルドーザーの押し合いのような、こちらの力が圧倒的なパワーにつぶされるという感がありました。
「翁先生(合気道開祖)の呼吸力もすごかった」
と、井口師範は言っていました。

また、
「吉祥丸二代目道主に、座り技呼吸法で、呼吸力で逆らったとき、呼吸力がぶつかって、指が変形した」
と、言って、私に曲がった指を見せて、
「『井口さん、私はまだまだ負けませんよ』と僕を睨んで言っとった。それから、後で、大阪の田中万川(大阪合気会の創始者)が『井口さん、相手は二代目やで、ちょっとぐらい加減せなあかんで』と言われた」
と、笑いながら私に話してくださいました。

このように、多くの合気道修行者は勘違いをしています。
実は私も、井口師範に師事し初めたとき、同じことを考えていました。
というのは、呼吸力というのが分からなくて、いろいろな本を読んで調べたのですが、そのようなことを言っている人が圧倒的に多かったのです。

そこで、
「呼吸力というのは、本などを見ると、人それぞれ言っていることが違うようですが、一体どのようなものなのでしょうか?」
と、井口師範に質問しましたところ、
「曰く、それな、どれも正しくて、どれも正しくない。
何故かというと、それは呼吸力の一面しか捉えてないからや。
呼吸力は、受け手の受け方次第で、感じ方が違う。ある時は、まるで雲か霞を押してるごとくフワフワして力がはいらなかったり、まるで戦車を手で押しているかのように圧倒的な力でやられたりとな。
僕のようにな、時々とはいえ、翁先生や吉祥丸二代目道主に遠慮なく逆らう人は滅多にいないから、呼吸力の実体がわからんモノが多いんや。そやから、皆、まちまちなことを言うんや」
と、応えてくださいました。

ですから、万全の備えをしている相手であれば、呼吸力をまともに受けたなら、相当な力と感じるものなのです。

例えば、私がある道場の方に、呼吸力の出し方を教えましたところ、その方が、自分の道場で呼吸力を出して行うと、
「凄い腕力ですね」
と、必ず言われるそうです。
「力を入れていない」
と、いくら言っても
「そんなことはありません。凄い力です」
と、言われ、力を入れていないといってもまったく信じてくれないそうです。

このように、多くの人は、呼吸力というのを「あれよあれよと思う間にやられてしまうモノで、力は感じないはず」と、勘違いをしているのです。

ちなみに、井口師範の技にも、そういう力を感じさせない技があります。呼吸力にはそういった一面もありますが、それとは別に、そういった技が二種類あり、当会では、『皮膚感覚の技術』と『空間感覚の技術』と呼び、稽古しております。

    *  *  *  *  *
ご興味を持たれた方は、一般稽古の無料体験にご参加ください。

なお、個人指導におきましても、20分~30分間技を体験していただいて、もしご興味があれば、その後、原理を有料の指導で行っております。合気道以外の武道をしている方でも結構ですので、ご興味をもたれた方は是非一度ご連絡ください。

お問合せ先は
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「真の合気道の実現に向けて」という記事を読んで

先日ネットを検索していると、合気ニュースの論説で、スタンレー・プラニン氏の記事がでてきました。そこには武道性を失った合気道について書かれていました。

私は、この記事を読んで、プラニン氏の考えに共感を覚えました。というのは私の師匠の井口師範の合気道のあり方がプラニン氏の提案する合気道にあったからです。プラニン氏に共感される方はたくさんいらっしゃると思います。合気道を愛するみなさんも、是非読んでいただきたいと思います。

http://www.dou-shuppan.com/aikido_w/134_stan/

合わせの技術

当会で指導する合気道の秘伝である「合わせ」の技術について、少し説明したいと思います。当会で「合わせ」というのは、相手の力の方向と強さ、相手の動き、相手の心理の動きなどを利用する技術をさします。そして、「合わせ」とは、単に相手に合わせるだけにとどまらず、相手の動きに乗ってついにはリードしていく技術で、合気道の達人がいう「相手と一体になれ」という言葉を、技術に表現し直したものです。

当会で指導する合気道の秘伝の基本は次の4つで成り立っています。これは、本ブログで何度かお話したことですのが、とりあえず記載しておきますと、
①骨の技術
②皮膚の技術
③皮膚感覚の技術
④空間感覚の技術

そして、さらに②~④の秘伝の中に、さらに「合わせ」と呼ぶ技術があります。
種類に分けると次の3つに分かれます。
Ⅰ.皮膚の技術の合わせ
Ⅱ.皮膚感覚の技術の合わせ
Ⅲ.空間感覚の技術の合わせ

これを具体的に説明しますと、
Ⅰの皮膚の合わせでは、相手の力の方向を読んで、その方向に緩めるように合わせます。特徴として合わせが成立し、相手をリードできたとき、相手と自分の丹田がつながった感覚がでます。

Ⅱ皮膚感覚の合わせは、入り身で生じた運動エネルギーを相手に送りつつ、送り込む場所を常に変化させることによって相手を崩す合わせの技術です。感覚的には、相手の動きやあるいは圧力の生じる有効点のすぐ横に追従しつつ、リードするようなの合わせとなります。特徴としては、力感覚が殆ど感じられなく、相手の動きにのっていくような感じで、皮膚の技術の合わせと異なり、軽く相手と丹田でつながる感覚があります。

Ⅲの空間感覚の合わせは、相手が狙った場所を移動しつつも、相手の意識を離さないように、まるで、「馬の前につるしたニンジン」のようなイメージで相手を導く合わせです。特徴としては、皮膚感覚の物理的な相手の力に沿うという感じではなく、心理的な相手の圧力に沿うという感じで、捕り(術者)は相手の空間的な隙に入って行くような感覚を持ちつつ、丹田からイメージの棒が出ていて、相手とつながった感覚があり、受けは吸い込まれるような感覚を持ちます。

文章に書くと非常に分かりにくい表現になってしまって、多分わからない人の方が多いかもしれません。何となく感覚を掴んでくださればと思います。どの「合わせ」も、相手の力に沿う感覚と相手と丹田でつながった感覚とあり、慣れると「相手と一体」となる感覚が出てきます。

「相手と一体になる」とはよく達人レベルの方がおっしゃることですが、これは、才能に恵まれた特別な人だけがわかることで、わずかに才能がある人でも難しいものだと思います。ですから特別な才能の無い一般人では、この感覚に辿り着くのはほぼ不可能ではないでしょうか。

ですから、一般人は、「相手と一体になる」ということばだけでは、技の上達は見込めません。私の経験からすると、①~④の技術を理解し、Ⅰ~Ⅲの合わせの技術を理解し、全てを統合し、「相手との一体感」に持っていく方が時間が短縮でき、特別な才能のない人でも少なくともそこまではいけます。

時間の短縮ということですが、私の指導経験から、合気道歴10年以上の黒帯の方たちに、単に①と②の基本技術を伝授しただけでも、「私の○○年はなんだったんだろう」と、口をそろえておっしゃいました。しかも、これらの技術は、合気道をしている人なら一時間~数時間の個人指導でで分かります。ですから、全ての秘伝をあわせると、特別に才能の無い普通人なら20年以上は、近道ができるのではないかと思います。そこから、わずかに才能が有る人なら達人の道に進めるかもしれません。

ちなみに、私が指導した方々が自分の所属道場で座り技呼吸法で、この基礎技術を試されたら、その方々よりずっと長い人でも簡単にあしらえるようになったといっておりました。

少し話がそれましたが、当会では、4つの基本技術に沿った3つの合わせの技術を指導しております。ご興味が持たれた方は、一般稽古の無料体験にご参加ください。

なお、個人指導におきましても、20分~30分間技を体験していただいて、もしご興味があれば、その後、原理を有料の指導で行っております。ご興味をもたれた方は是非一度ご連絡ください。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

合気道上達の秘訣

私の合気道の師匠である井口師範は、よく「相手と一つになれ」と指導されていました。

しかし、私はその感覚がよく理解できす随分と悩みました。「相手と一つになる」という感覚は、技の全ての状況で、非常に適切な表現です。ですから、ある程度わかるようになると「なるほど、その通りだ」と思いますが、出来ない段階の人にとっては、あまりにも抽象的過ぎる表現でまったく理解できないのが当然だと思います。

もう既にお亡くなりになっているのですが、合気道の達人で、たくさん本を出版され、多くの一流のスポーツ選手を育てた氣の研究会の藤平光一師範も、特別才能の無い普通の人の指導には随分と難儀されておられたと聞いています。

このように分かっている人から見ると、当たり前のことでも、普通の人にとっては難解きわまりないのです。

この理由は、「実際」と「感覚」にズレがあるため、指導者が話すことが、実際の動きと違いが生じるからです。

例えば、ある技で入り身で入る場合、感覚的に45度だと思っても、実際はまったく違う場合もあります。しかし、実際できるようになると45度に感じのです。これは円転の理についてもいえます。正確に円に動くと力がぶつかって上手くいきませんが、完全な円を描いているような感覚で動くと上手く行きます。この場合、物理的に見て、実際は円になってはいません。

ですから、ただ指導者の話を聞いて、すぐにそれが出来る人は、その感覚の通り動ける人で、その感覚を理解できる人です。要するに才能が有る人というわけです。一方、普通の人は、言われた通りしていると、全然出来ません。

そこで、自分にできないと思ったら、指導者の言うことを、自分なりに分析・整理することが大切です。そのために、さまざまなヒントになることを、本やネットで情報を集めたり、さまざまな武術の人と交流したりし、徹底的に考え抜き、整理するといいと思います。案外ヒントはその辺に落ちているものです。

「勝手なことをあれこれ考えず、ただ師範のいうことを素直に聞いて、コツコツ稽古していればいつか必ずできるようになる」ということをよく耳にしますが、そういうことをいう人が本当に師範と同じように出来ているかというと、よく観察すれば分かりますが、そうではないことが多いのではないでしょうか。

そして、できるようになった時点で、指導者に技に間違い無いかチェックしていただくことが最もいいのではないでしょうか。

とにかく、合気道で行き詰ったら、情報を集め、取捨選択して、整理し、分析することだと思います。そのためには、合気道にこだわらず、役に立つと思われる情報を集めることだと思います。

合気道上級者でもやってしまう失敗

合気道の技をかけるとき、中級者や上級者でさえ、やってしまう失敗があります。それは「技をかけ急ぐ」という失敗です。要するに“相手を倒すことだけしか頭にない”状況になってしまうことです。

そういう状況になると、相手は逆らいやすくなり、結果として技が決まりません。達人である井口師範は「合気道の技は自然でないといけない。」と常に言っておられました。自然とは、相手が気ついた時点では、もう技が掛かっている状態にあることを意味します。あまり自然なので気づかないということです。

では、「かけ急ぐ」のを解消するのにどうするかという問題になります。
当会では、それを実現するには、技がかかるまで、数ステップの段階があると教えています。具体的には、次の4つのステップで技をかけるように指導します。( )内は井口師範が説明した内容で、当会での指導内容と対比しております。

  • ①合わせ(相手に気が流し易い状況をつくる)
    ②骨の技術により運動エネルギーを作る(気の流れを作る)
    ③運動エネルギーの伝達(気の伝達)
    ④導き(気の流れにそって相手を崩していく)
    ⑤抑え技や投げ技をかける

ただし、①の“合わせ”には3種類あり、当会では次の名称で区別しています。

  • A.皮膚の技術による合わせ
    B.皮膚感覚の技術による合わせ
    C.空間感覚の技術による合わせ

ちなみに、私の師匠である井口師範は、「抑え技も投げ技も、結局は枝葉。肝心なのは、『気の流れ』・『呼吸力』・『螺旋形』で相手を導くことや。枝葉にとらわれていてはいかん!」とよく言われていました。

しかし、いきなり、初心者には「気」と言っても、分かるようで分からないと思います。そこで私は、AとBの”合わせ”においては「気」を運動エネルギーとして説明し、③の空間感覚を使う“合わせ”では、心理学的なトリックによる心理操作と説明しています。

それから、昔、ある技を行っているときに師匠に、「どれぐらいの角度に手を持って行ったらいいのでしょうか?」と質問しました。それに対し、師匠は、「万能な角度とか考えたらあかん。合気道の技は千変万化、そのときそのときで全て変るんや。同じ形など存在せーへん。それやったら皆わからんから、仮に、こうやということで、形というのがあるんや。それでも、受けが変ればやっぱり変る。万能で完全な形なんかないんや」と言われていました。

要するに、合わせを失敗すると、どんな角度に持って行こうとも、腕力でやっているということになるのです。それほど「合わせ」が大切だということです。ただし、テコの原理で、最も小さな力でいける角度はありますが、それは合わせではありません。ですから角度を気にすると、木を見て森を見失うことになりますので、一言添えておきます。

尚、井口師範は「合わせ」とは一言も言われませんでした。井口師範は「技のポイントはコレ。分かるね? コレ! コレが秘伝! それから次がコレ。それで、コレ。こうする! コレ全部、秘伝! いいね? ホンなら、言うたとおりやって見て!」というような感じでしたのた。「コレ」といわれても、だと後で分かりにくいので、私は勝手に合気道関係の本など参考に「合わせ」とか「導き」とかせっせと名前をつけていきました。

師匠は「秘伝には名前は無い。名前があったらこだわる。こだわったら自然とは言えん。合気道は茶道でいう一期一会を大切にせなあかんのや。合気道の本質は一期一会の技や。そやから秘伝には名前はないんや」と言われていました。

しかし、「名前がないと覚えられない」のです。達人にもなると、「あの技をあのようにかける」など思わず、自然に体に動くとのでしょうが、天才でない稽古段階の人は、それを習得するには、名前がないと心に掛かりませんから、覚えられません。

翁先生も「覚えて忘れよ」というような教えで、技の名前さえこだわらなかったようですが、それでは、一部の才能ある天才しか体得はむずかしいのではないかと私は考えています。

少し話がそれますが、以前の話ですが、ジークンドーという武術をやっていたとき、そのセミナー会場で、ある武道をやっている人に、「私は合気道をやっていた」というと、「ああ、合気道ね。俺は合気道は武術と思っていないですわ。柔道や空手は稽古すれば、誰でも、ある程度のレベルになけれど、合気道は、何年やっても、まともに使える人は稀で、殆どが使えない人ばかりで口ばかり。俺が今までにあった合気道の黒帯の人全部、空手や拳法で3ヶ月ぐらい稽古した人のパンチすら捌けない人ばかりでしたよ。 だから、合気道はね……」と言われたことがあります。まあ、『悔しかったら、立ち会ってみろ』とでも言っているようでした。

そこで、その方に、パンチを打たせ、技の説明し、術理がわかれば、簡単に合気道の技が使えるということを納得していただきました。

ですから、「秘伝やノウハウや術理は邪道で、合気道の技は、自然と体得するもの」とおっしゃる方が、合気道をやっているとわりと多く見かけますが、お金を頂いて生徒を持つ以上、わかりやすく教えるのが指導者の義務だと私は考えています。そのためには、やはり、分かりやすく、理をもって説明してあげるのが大切だと考えています。

それはともかくとして、最終的には、術理が体に染み付いて、自然と出なければいけないということで、その結果は「技にこだわらなくなる」ということです。ですから、初めは、こだわるべきところはこだわらないと稽古にならないということだと思います。

皮膚の技術と皮膚感覚の技術

最近、日記の方がおろそかになっていました。一応、このブログは生徒に、稽古した内容に近いことを書くと言っておりますが、最近、実は、日記には書けない「相手を崩すための技術」を稽古していたためです。日記に書けないというのは、秘伝であるということもあるのですが、図解であらわさないと説明が困難な技術であるというのが大きな理由です。

ちょっと興味がある人のために、少し触れておきますと、最近まで稽古していた、肩に触れて崩すという技術の一番大切な考え方と技術を稽古していたのです。

また、基本的な稽古にもどりましたので、今回の稽古のまとめを書くことにしました。
今回の稽古内容—————————————————
皮膚感覚の技術の稽古・「体の転換」の術理・「座り技呼吸法の術理」・拳法などのパンチに対する「合わせの術理」を稽古しました。

体の転換の術理では
①気の流れを伝える「体の転換」(合気会二代目吉祥丸道主が演武で行った形)
②皮膚の技術の合わせを使った「体の転換」
③骨の技術の陰の技法を使った「体の転換」

座り技呼吸法の術理では
①皮膚の技術
②皮膚の合わせの技術

パンチに対する合わせの術理では
①パンチを出す前に相手を崩す技術
②パンチを受けて相手を崩す技術

以上

映像をUPしたかったのですが、上手く取れておらず、後日、できればですが、編集してUPできればと思っています。
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ちなみに、よく混乱するのが、皮膚の技術と皮膚感覚の技術です。ともに皮膚に関係がありますが、それぞれまったく異なる技術です。

特に感覚で大きな違いがあります。皮膚の技術では、自分(自分の丹田)と相手との間に力感覚のあるツナガリを感じますが、一方、皮膚感覚の技術では、「ゼロ感覚」というぐらい、力感覚のツナガリは感じません。ツナガリ感としては、相手にべったりとくっついていくというかへばりついて行くというような、いやらしいツナガリ感です。

この様に合気道では、力感覚を感じつつツナガリがあったり、力感覚がゼロであるツナガリがあったりと、状況や技術により異なっています。しかし、通常の合気道の道場では、この違いをまったく説明しないため、高段者の人でも、混乱していると聞きます。

でも、この違いの区別なしに、技をかけることをしないと、効く技にならないのではないかと思います。

このブログを読まれている合気道修行者の方で、今までその区別が分からず、技が効いたり、効かなかったりするとお悩みの方は、効いたときのイメージを思い出して、それをヒントに、稽古に当たっていただければと思います。

皮膚感覚2

私的に非常に忙しく、ブログの更新がなかなかできませんでしたが、前回に引き続き、皮膚感覚について書いていきたいと思います。まず、下の動画を見て下さい。

これは、合気会の二代目・故・植芝吉祥丸道主の演武の映像です。ご覧の通り、不思議な感覚を与えるほど、非常にやわらかい演武です。この映像を見て『凄い』と思える人は、大した感性の持ち主か、本当に分かっている人のどちらかです。

吉祥丸道主の演武の柔らかさは、非常に高度な皮膚感覚の技術と空間感覚の技術を駆使して行われている結果です。これだけ美しく演武できる方はYoutubeの映像でも少ないのではないかと思います。

とある昔、合気道の集まりで、「あれは弟子が勝手についてきているだけだからだ」ということを自分の弟子にカゲで話していた師範の方がいましたが、その人の演武はとても硬く、皮膚感覚も空間感覚の技術もは使われていませんでしたので、それが読み取れないのだなあと、私は見ていました。

皆さんも、経験でお分かりになると思いますが、弟子がどれだけ巧く立ち回っても、柔らかく見せることはできません。

巧く気の流れ(運動エネルギー)に乗って、それが受けに伝わっているから柔らかい動きが実現できるのです。

また、吉祥丸道主のすばらしさは、動きに途切れがなく、波が寄せては引いて、また寄せるがごとく、常に気の流れを起こしています。

吉祥丸道主が好んで使われている起こし方では、前進移動、回転、沈みです。当会でいうところの、骨の技術の第一式~第三式の技術ですので、会員の方には、非常に参考になると思います。

会員でない方でブログを読まれている方で、この意味を知りたいかたは、本ブログで「気について2 当身の大切さ」で、当身の4種類の用法として説明していますので、そちらを参照してください。

なお、吉祥丸道主は、相手を導くために、気の流れを起こしておられますが、技の中でこの骨の技術の原理を如何に使うかという点でも、非常に参考になると思います。

皮膚感覚1

ここのところ、私は、生徒たちに、井口師範から伝えられた合気道の秘伝である皮膚感覚の技術をつたえるのにどうすればいいかと何ヶ月も考えていました。そんなある日、以前、この技術が分からなく、悩んでいたときのことを思い出し、その頃のことをヒントに新たに皮膚感覚の技術を生徒に伝えるアイデアが浮かんできました。その思い出である「技に悩んでいた当時のこと」を小説風に書いてみたいと思います。

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空一面が、灰色のどんよりとした雲に覆われ、雨がしきりに降っていた。梅雨時期の休日は外に出る気がしない。入梅特有のじめじめとした空気が充満した自分の部屋の中で、俺は、自分のベッドに仰向けに寝転がって、天井を見つめたまま、合気道の師匠・井口師範の言われていた言葉を考えていた。師匠の手が、つっ立っている俺の肩に軽く触れただけで、俺は倒され、そのとき師匠がいった言葉だった。

「合気道では、自分が中心で動かなあかん。自分が宇宙の中心となって自ら動くんや」
「合気道では、相手をどうしようとか思ったらあかん。相手を尊重せなあかんのや」

いくら考えても、2つの言葉は、まったく相反するようにしか思われなかった。
『自分が中心になって動けば、相手と衝突が起こるのは当たり前。どう考えてもおかしい』
と、俺はつぶやいた。

 ところが、あのとき、俺にかけた師匠の技は、ふんわりとしていて、まったく『やられた感』がなかった。
『えっ』
と、思った瞬間に、倒されていた。師匠が俺の肩に手をやり、わずかに師匠が動いたようにみえたその瞬間、俺は倒れていた。

 師匠の技はいつもそうである。師匠が動くと、自然とついていってしまっていることに気づく。だから、師匠の言う言葉を納得せざるを得ない。だから、師匠は、暗に何かを言ったという言葉ではなく、本心からそう思って発した言葉なのは分かる。

 だが、いくら考えても、己の身体で、その言葉を実行するのは無理があるように思われた。
『倒す意思がなくて、技はかけられない』。
と、俺はそう思う。
だが、「『相手を倒そうと思ってはいけない。』とは、一体どういうことなんだ?」
と、つぶやきながら、俺は、まだ天井を睨んでいた。

「ぶつかってはいかん。相手との接点は、相手にまかせておけばよい。相手との接点は相手の力の方向に合わせておけばええんや。それで相手の力は消える。その上で、動くんや。相手とか自分とか考えたらあかん」
と、何年か前に、師匠が、両手取りの技を教えるときに、そう言われていたのをふと思い出した。
「確か、合わせるというのは、『いったんゼロに清算すること』だとも師匠は言っていたなあ」
と、俺はまたつぶやいていた。俺は、両手取りの技をイメージしながら、師匠の言ったことを思いだしていた。

 両手取りというのは、自分の片手首を相手に両手でつかませ、投げ技などをかける技術の総称で、通常は、両手取り四方投げのように、下に投げ技の名称がつく。この両手取りを行うポイントで、師匠は、相手にしっかり掴まれていても、『力感をゼロにした感覚で回りこめ』といったのである。

 さらに、詳しいポイントをいうと、相手との接点、要するに持たれているところだが、相手の力の方向に合わし、決して逆らわず、まるでコンパスで円を書くように、持たれた片手首の一点をコンパスの針とイメージして、体が鉛筆側というイメージで、円を描くように移動するのだ。そうすると、不思議なことに相手が自然とついてくる。

 初めてコンパスを使った小学生のころのように、コンパスで円を描くとき、少しでも針側に力がはいれば、針がずれて、円はかけない。これと同じように、両手取りのときも少しでも無駄な力が入ると相手に逆らわれてしまう。相手を引っ張る意思がなくても、自然と相手がついてくる。だから、正確には、相手がついてくるということは、実際は円ではないのだが、意識では円を描いている。この点が、実際の動きと意識とのギャップなのである。

「そうか。これが『相手を尊重し、しかも自らが動く』理合いか! すべての原理は既に、ここにあったのか。あれは、両手取りの技だけの理じゃなかったんだ! 全ての技に共通する原理だったんだ!」
と、俺は大きな声を上げて立ち上がった。
俺の頭の中に、イメージがドンドンと形成されていく。
『相手との接点は相手に一番近く自分に一番遠い存在。だから接点は相手と一体としつつ、相手と共有するという感覚が大事なんだ。その上で、自分が動き、気の流れ(運動エネルギー)を作る。さらに最終的のは、気の流れを接点に伝える。そうすれば、相手に気の流れが伝わる。そこで相手は動き出す。その時だ。その時、倒れるべき方向に『導け』ば相手は倒れる。これが相手を尊重するということだ!』
と、俺は、大きな声を上げて立ちあがった。

俺は、窓越しに外の景色を見た。いつの間にか、雨が止み、ところどころの雲の合間からは青空が覗き、南西の方角では、太陽の光の束がスポットライトの様に、遠くに見える山の一部を照らしていた。
 「もう、そろそろ、梅雨明けの時期か。明日は道場でこの理合いを試してみよう」
と、つぶやきながら、俺は目を輝かせてこの景色を見ていた。

 翌日の夕暮れ、俺は道場に立っていた。
 俺の足元はに、少し大柄な中学生が驚いたような顔をして転がっていた。

 俺は、その日の夕方、稽古が始まるよりも随分まえに道場に行き、昨日思いついた理合いをイメージしながら一人稽古しつつ、他の道場生の登場をワクワクとしながら待っていた。そこに現われたのが、この中学3年生の良樹だったのだ。俺は、良樹が道場に上がってくるなり、この理合いを試してみた。
「良樹、ちょっと技をかけるけどええか? 投げ技やから、気をつけてな!」
と、言って、俺は、良樹の肩に軽く手を置いた。と、次の瞬間!
 バンー!
良樹は、俺が立っている足元で突然受け身を取った。見事に技がかかった。
俺の足元で、良樹が転がっていた。これが、師匠の摩訶不思議なあの技が、俺にもできた瞬間だった。

良樹は、突然何が起こったのか理解できず、あっけにとられたような顔で、しばらく転がっていた。まだ生徒が集まっていない、稽古前の夕方の道場であった。くもりガラスの窓を通して道場に入ってきた夕焼けのオレンジ色の光が、なんともいえない美しさで、窓ガラスを輝かせていた。

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次回は、もう少し皮膚感覚の技術を踏み込んで説明できればと考えています。

非日常的な動きと自然の理

当会で教えている合気道の秘伝は、とてもシンプルです。たった4つの原理だけです。
①骨の技術
②皮膚の技術
③皮膚感覚の技術
④空間感覚の技術

しかも、既に他界された合気道の師匠である井口師範は「これらの技術は自然の理と一致する」といわれていました。私も現在は、「まったくその通りだなあ」と思っています。

しかし、これらを生徒さん達に指導しますと、皆さん口をそろえて、「何が自然の理なのか分かりませんし、奥が深すぎてすぐにはできそうにありません」といいます。これは、実は、私も以前はそうでした。

何故なら、これらの原理が、私たちにとって、あまりにも非日常的すぎるからです。生まれてから今までに、使ってきた体の使い方とまったく異なる使い方を必要とするため、混乱を生じるのです。

私もそうでしたが、これを読まれている皆さんも、「何故、われわれにとって非日常な動きが、自然の理と一致するか?」と疑問をもたれているのではないでしょうか。

われわれが生まれてからずっと、「自然と身につけてきた動きである『日常的な動き』こそ、自然の理に一致する」と考えるのが普通だと思います。それなのに、「それが不自然で、非日常的な動きが自然」とは、まったく反対ではないかと思われていると思います。

それに答える前に、「日常で要求される動き」と「武道の動き」は違うということを言いますと、何となく「なるほど」と納得されるのではないでしょうか。

実は、われわれが身に付けてきた「日常の動作」というのは、非常に限られた範囲の動作なのです。そして、「日常の動作」は、物を持ち上げる動作が中心になっていて、武道のように人を倒すという動作ではないのです。ですから、日常必要とされる動作で、武道を行うには無理がありますし、当然アプローチも異なります。

しかも、「日常の動作」のものを持ち上げるという動作では、現代人のわれわれにとっては、特殊な仕事をしている人以外は、10キロ程度までのものを持ち上げるのが殆どなのです。「日常の動作」というのは、こういった非常に限られた状況下で行われる動作であるということなのです。

一方、「武道の動き」を考えたとき、大人を倒す場合、少なくとも体重40kg以上の人を倒すわけです。だから、そこに日常の動作を入れるには無理があり、それなりの技術の習得が必要になるということがわかっていただけると思います。

さらに、重さだけでなく、相手が二足歩行の人間であるという点も大切な問題になってきます。

ですから、立っている人を倒す技術というのは、日常の体の使い方以外の使い方を行います。その使い方こそが、日常使っている体の使い方よりも自然の理に則っているということなのです。だから、「合気道は自然の理に従う」というのです。

△○□の三角の術理

合気道修行者の方に△と言うことについて質問されましたので、今日はそのことについて説明させていただきます。

一般に、合気道の技は、△○□で構成されているとよく説明されます。
特に多い説明は「入り身で三角に入って、丸く捌いて、四角に抑える」というものです。

私は、大阪で合気道を学んでいるとき、確かに、そういわれるとそのような気がするのですが、なんとなくこじ付けぽく感じたものでした。
○はニュアンス的になんとなく分かるのですが、△や□といわれても、十分納得できないなあと感じました。

確かに、「入り身はイメージ的に矢印ぽい動きなので、三角だ」といわれれば三角ではあるし、四角は安定しているから、抑え技と解釈できるが、それでも何となく納得できないものがありました。

ところが、井口師範に師事するようになり、井口師範にこの質問をぶつけてみましたところ、
「三角は強い。では、三角の何がつよいか」と逆に聞き返され、言葉に窮したことがあります。

井口師範は、「ピラミッドも強い。これも三角だかや」といいました。

井口師範は感覚の人なので、感覚的な説明でしたし、問答を全て記載すると遠回りになるので、要点をお話しますと、三角形の強さは「底辺に対して頂点が強い」ということでした。

皆さんもご存知の三脚などの「3点支持」より、机の4点支持の方がが強いというのは経験的にご存知と思いますが、指導者で3点指示の説明をされる方がいらっしゃるというのを聞いたことがありますので、そうではないというのを特に強調しておきたいと思います。。

例えば、合気道の場合、相手と対峙するとき、半身をとりますが、この半身が三角だといわれるのです。ご存知の通り、その半身とは、前の足にあたるつま先を前に向け、後ろの足にあたる足は前のつま先に対して、L字あるいはレの字の形になるように立ちます。このとき力の使い方で後ろの足に当たる方の踵とつま先を結ぶラインが底辺になり、前足に当たる方の足が頂点という関係になるというようことで、だから、半身が強いということでした。

ところが、△でなくても、床についている足が二点でも、その二点を結ぶライン上から押されれば十分強いので三角という必要性はないと思われる方がいらっしゃるかと思いますが、入り身でご説明をするともっと納得していただけるでしょう。

そこで、入り身ですが、合気道では、移動する際に、他の武道のようにステップでためを作ってジャンプするように移動せず、後ろ足に当たる方の足を軸にして、その軸を前に傾斜するようにして移動をします。その際、後ろ足の足元(踵とつま先のライン)が三角の底辺となり、進む方向に移動する前足が頂点となるように移動するわけです。だから入り身は三角なのです。

ただし、この際の足先の力の入れ方に口伝(秘伝)があり、急加速できる方法がありますが、公のブログでは話せませんのでご了承ください。
なお、この移動方法には次の2つのメリットがあます。
①移動開始が相手から見えにくく瞬間に移動したように思わせる点
②ためを作る時間がないので、相手がためをつくっている間に相手の虚をつけるという点

これが井口師範の言われる入り身が三角である理由です。ですから、合気道修行者の方で、ためを作ってから動いていらっしゃったら、ためを作らないで動く動きを研究される必要があると思います。

井口師範から教わった△の技術は、入り身だけでなく、実際は三角を使う場面はたくさんありますが、あまり多く書きすぎると混乱されると思いますので今回はこれだけにさせていただきます。

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