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健康護身術を指導している橋本実です。

【リフレーミング】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今年上半期に、NLP心理学と合気道に関する電子出版を出したいと考えています。

そこで原稿の準備を始めるために、ときどき、このブログで考えをまとめていきたいと思っています。

今回は、NLP心理学に出てくるリフレーミングです。

リフレーミング

リフレーミングとは、言葉の通りフレームをやり直すことです。

NLP心理学では、人が考えたり、行動したりする場合、ある一定のパターン(フレーム・枠組み)があり、そのパターンを行っている場合、別のバターンの考えや行動はできないと教えています。

例えば、有名なるピンの壺という絵があります。壺だと思ってみると壺に見えるが、人が向かい合っていると見るとそう見えるが、2つを同時に認識することはできません。

そこで、LNP心理学では、悩みごとなど抱えている相手に対して、現在抱えているフレームを一度潰して、新たなフレームを提供することで、問題を解決するという手法をとります。

そのために、記憶の撹乱、視点を変える、言語の変換などを行って、その人の問題パターンを破壊し、新たなフレームを再構築するようにするのです。

これは、思考パターンだけではなく、行動パターンについても言えます。


合気道でのリフレーミング

僕は合気道でもリフレーミングは常に必要と考えています。

合気道の稽古は形で行いますが、この形というのが非常に曖昧で、ぶっちゃけ人によって様々な視点が存在します。

特に合気道を習いだしたときに一番苦労するのが、先輩によって言うことが違うという点です。

その結果、どっちが正しいのか?と悩んじゃうわけですが、これからも分かるように、形稽古での形というのは、師範の演武を見てそれぞれの解釈で行うから、人それぞれになるのです。

ところが、本当は、形自体は合気道の原理やノウハウを濃縮したもので、全て理解できる人が順に指導する必要があります。

合気道ではそれを秘伝伝授という形で、師から直接口伝で教わるので、師から教わった時点で、今まで稽古してきた技を、改めてリフレーミングする必要があるのです。

しかも、師匠からの秘伝には悟りが必要で、悟った時点で、自分の形を見直して、初めてリフレーミングができます。

このように、武道においても、リフレーミングというのは常に大切であり、そのためにはいつでも変えられる柔軟な思考が必要となります。


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【一年間連続投稿達成!】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、今日で一年記事連続投稿が達成しました。

応援して下さった読者の皆さんありがとうございます。


連続投稿を振り返って

僕が加入しているビジネススクールでの課題で昨年の1月4日から始まったブログ連続投稿は100日の期限でした。

ところが、100日達成したところ、多くの方からご声援をいただいたため、つい、「200日つづける」と言ってしまったため、止める機会を逸してしまいつい続けることになってしまいました。

正直に言って、毎日800~1200文字の記事を書くのはかなり大変でした(笑)

改行などが入ると結局原稿用紙3枚~5枚分ぐらいになる訳で、それだけの量の記事を毎日書くと当然ネタに困ってきます。

一時はもうやめてしまおうかと思ったこともありますが、その度に、格闘ブログのカテゴリーの三部門ですべて一位になったり、格闘ブログランキングで一位となったりとし、読者の方から、お祝いの言葉が届いたりと、中々やめることができませんでした。

ただ、これを始めて大きな問題は、自分の武道の稽古時間が全く無くなってしまったことで、今回でより思いついたときにまた記事を書いていきたいと思います。


連続投稿で得たもの

一年の連続投稿をやってみて、期待をしていたことは、文章を作る能力ですが、予想したほど効果を得た感覚がありません。

折角、稽古時間を犠牲にしてと、読者の方は思われたかもしれませんが、貴重な体験を得たことは確かです。

1年間一日も休まずに投稿するというのは、簡単なようでかなり大変です。

100日連続投稿ですら、できなかった仲間が多いなか、一年続けられたというのは本当に自分ではよくやれたと思っています。

そして、一年ずっと続けられたというのは、自分は非常に幸運な人間である証だと思えます。

途中、病気や事故などで、やむを得ず止めることもあったかもしれませんが、風邪一つ引かず、寝込まず一年続けられたことは、天に護られているとしかいえないと僕は感じています。

何か一つを決めてやると、天が味方をしてくれるという確信を新な年を迎えて持つことができました。

また、とても当たり前のことに聞えるかもしれませんが、人には今しかないということにも気づきました。

自分が感じること、認識することは、今であり、過去を思い出しても、それは今、過去の記憶に対してそう感じ、認識しているだけということです。

だから一日一日を大切に生きないといけないと思いますが、そのためには、自分というものを認識しなおす必要があります。

この1年の経験から、過去の経験や記憶から自分を認識するのではなく、自分の可能性から自分を認識する必要があるという考えに至りました。


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【インスピレーション】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日は僕が経験した秘伝とインスピレーションについて話したいと思います。


合気道の秘伝を受けたら誰にも話すな!

武道の秘伝を受けると、普通はすぐに使えて強くなれると思いますが、合気道の場合はそうではありません。

僕は、合気道の師匠より井口師範より非常に多くの秘伝を伝授していただいています。

当然、井口師範より秘伝を伝授されている人はかなりいるようです。

ところが、井口師範が秘伝を授けたという人と話すと、僕の知っている内容がかなり異端のように言われました。

井口師範は、秘伝には悟りが必要で、秘伝を受けてそれを悟ったら決して他言せぬようにと言われました。

というのは、同じように秘伝を受けても、人ぞれぞれ解釈が違いい、それぞれが自分こそは正しいと思っているから争いの元になるそうです。

それともう一つは、優れた技ができるようになると、非常に嫉まれることになるというのもその理由だそうです。

井口師範は、「僕は、道場の稽古でもいつも秘伝を言うてる。けどそれを理解するのは本人次第。悟らんとあかんのや」と言われました。

そういわれると、色々な本を読んでみると、開祖・植芝盛平(うえしばもりへい)翁先生の直弟子の先生方でも、それぞれ言われることがかなり違うようです。

やはり、井口師範同様、翁先生のお言葉に対して、それぞれの理解が違うということなんでしょう。

井口師範の「他言無用」は、翁先生から授かった秘伝に関しての師範自身のご経験によるものだったのでしょう。


悟りとはインスピレーション

井口師範のお言葉をノートに控えておく必要があり、常日頃からそれを読んでいる必要があると教えていただきました。

それで僕は、井口師範のお言葉をノートに毎回つけてはよく読んでいました。

けれども、当時を振り返ってみると井口師範のおっしゃることは、殆ど意味不明でした。

というのは、時として、以前おっしゃっておられたのと、全く正反対の動きを要求されるときとかあり、「サーっと」とか「ひょい」とかいう擬音が非常に多く、お言葉を控えるのもかなり苦労しました。

しかし、井口師範のおっしゃることで、非常に気になったことは、常に考えていて、どういう意味かとことあるごとに考えていました。

そして、ヒントは無いかといろいろな武道書や氣に関する本など手当たり次第に読んでは、実践してみるということをやっていました。

そうやっていると、あるとき、ふと分かるときがやってきます。

それがインスピレーションというものだと思いますが、そうすると、後から、不思議なことに理屈が分かりだすのです。

そうして作り上げたのが当会で指導しているシステムです。

ところが、実は師匠のお言葉を写したノートは現在ありません。というのは、引っ越しの際に、何故か無くなってしまったのです。

当時はいくら探しても見つからず、どこかに忽然と消えてしまったようでした。

もしかしたら、全く理解できなかった秘伝が書かれているかっも と思うと本当に残念で仕方がありません。

ただ、非常に面白いことを発見しました。

というのは、ときどき技を研究していると、不思議なインスピレーションが頭に浮かんでくることがよくありました。

「あっそうか! 俺って天才!」って

でも、しばらくすると、そのインスピレーションは、井口師範に話していただいた内容だと思い出すのです。

ですから、無くしたあのメモは無駄ではなかったと言えます。

一生懸命に書いたノートは無くしましたが、何度も読んでいたので、それがインスピレーションとして浮かんでくるのです。

ですから、必死で書き留めたノートは決して無駄ではありませんでした。


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謹賀新年

皆さん、明けましておめでとうございます。お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

本年は読者の皆様にとって素晴らしき年になるよう心からお祈り申し上げます。

さて、新たな一年を迎えて、読者の方々も新たな抱負をもって新しい年の門出を迎えておられると思いますが、僕も、年初にあたり本年の抱負を申し上げて、今年はより充実した稽古ができるよう励みたいと考えています。


本年の抱負

僕は、世界で一番わかりやすい武道を目指しているので、本年もより、誰でも理解しやすいように、今の指導システムをより改善していくつもりです。

その一環として、昨年取り入れたNLP心理学をもっと勉強して、僕の武道に入れていきたいと思います。

そのため、昨年の研究成果をまとめ、本年の上半期中には電子出版として本を出したいと考えています。

その後、さらに新しい知識を導入して新たな進化に挑戦したいと思っています。


世界一分かりやすい武道を目指して!

僕は、元来体が弱く、青少年時代は十分なスポーツをすることもできませんでした。

そのため、武道を覚えるのに、体力面でも学ぶ面でも非常に苦労しました。

武道は基本的には、他のスポーツでも同じでしょうが、「理屈はおいておいて、体で覚えるもの」というのが強いのではないでしょうか?

しかし、そういった体で覚えるという発想では、才能ある人だけが上手になるという状況から脱出することができません。

すると、結局は、より体の大きく、腕力が強く、運動神経のよい人がするものとなってしまいます。

しかし、強い人がより強くなるのであれば、武道というものは必要がないものとなり、単に喧嘩術があればよいということになってしまうでしょう。

やはり、武道には、体格、体力、素質、性別、年齢を超えて、習得できるものの存在が必要です。

その上で、高度な精神性を養う方向性が武道に必須と僕は考えます。

そういった面をすべて賄うためには、誰でも取り組める分かりやすい武道が僕は必要と思い、当会では、本年ももっともっと誰でもわかる世界一わかりやすい武道を目指します。


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【NLPと合気道の結び】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今年も残すところ本の僅かとなりました。

このブログの原稿用紙3枚分の記事連続投稿は今年1月4日より始め、一日も休むことなく新たな年を迎えようとしています。

ここまで続くとは思いませんでしたが、これは一重に多くの方々の支援の賜物と感謝しています。

ブログの読者の皆様、本当にありがとうございました。

今年は、NLP心理学という新しい武器を手にして、僕の武道とって非常に革命的な年になりました。

今年最後のブログとして、NLP心理学と合気道をどう結んでいくかについて今日はお話ししたいと思います。


古神道とNLP心理学

特に合気道というのは、古神道を学んだ開祖が編み出した武道ですので、合気道にも古神道の儀式が組み込まれています。

ところが、今までは開祖が組み込んだ古神道の儀式はあまり見向きもされず、単なる準備運動にしかなっていませんでした。

というのは、こういった儀式と、合気道の技との関連性がかなり希薄で、どうつながるかということを多くの人に理解する術がなかったからだと思います。

何故なら、合気道は体術ですから、学ぶ人には、こういった儀式が直接自分の動きにどうつながるかを示す必要があるのですが、それを説明する術がなかったのです。

しかも、昔の人は、戦争体験など、究極の状態に身を置いた経験から、何もいわずとも、何となくわかる人が多かったため、 宗教が悪で科学が善という戦後教育を受けた僕たちの感覚とはかなり乖離していたのも大きな原因です。

こういった教育を受けた僕たちは、もっと別のアプローチが必要で、NLP心理学ではかなりそういったヒントが入っています。

例えば、天鳥船の行という今は、単なる船漕ぎ運動として、準備運動の一環になっているものも、NLP心理学的アプローチで、宗教を信じない現代人にも非常に有効な効果を発揮することが、NLP心理学を学んだ今年分かりました。


武道では体感と体現が必要

多くの師範は、合気道は精神が大切と話します。

僕が経験した最も酷い話は、「合気道は空手や拳法など人を殴ったり蹴ったりするような次元の低いものではなく、精神を高めることに全力を傾けます」というものです。

武道を知らない人は、「なるほどその通りだ」と思えるかもしれませんが、『そんなに精神性が高いなら、何故、他と比べ、他を卑下する必要があるのか?』と考えてしまいます。

武道をやっている僕たちにとって、実は精神が正しいということよりも、技ができるかということの方が重要だと思います。

これが本音じゃないでしょうか?

いくら精神性の高いことを言っても、護身として全く役に立たないようなら、武道としてする意味を持たないように僕は考えます。

ようするに、武道では体感と体現が大切ということです。

神道の儀式をやってそれがどう技に影響がでるのかを物理的に納得する必要があるということです。

ところが、合気道とNLP心理学を結び付けると、その物理的な部分がはっきりするのです。

合気道の物理世界と精神世界をNLPで結ぶことで、より万人にわかりやすい武道ができるのではないかと考えています。


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【無意識にアクセス】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

僕は、世界一わかりやすい武道を目指していますが、そのため動作に関して、具体的な説明が必要だと考えています。

ところが、最近はこの説明には限界があると感じだしはじめ、やはり本人の「気づき」が最も必要ということが分かってきました。

それで今回はそのことについてふれていきたい思います。


無意識から意識へ

現状の合気道では、古い時代の行われていた古神道の儀式は現状にそぐわないということで、排除あるいは簡略化する傾向があります。

たとえば、天鳥船(あまのとりぶね)の行と振魂(ふりたま)のセットは、単に船漕ぎ運動として、振魂はしなかったりと本来の意味が消えつつあるようです。

ところが、このような儀式こそ実は有効じゃないのかと、最近になって僕は考えだしています。

合気道の動きを物理的、生理学的にとらえている間は、こういったことは問題なかったのですが、技を伝えるとき、自分の中で感じる無意識からくる感覚の大切さが最近分かってきたのです。

そう考えてみると、合気道の思想の中核は、如何に無意識を利用するかという点になってきます。

これには自分の無意識もそうですし、相手の無意識とのかかわり方も大切になってくるということです。


意識と無意識をつなぐには?!

「意識より無意識が上」というと、心理学など詳しい人にとっては「当たり前じゃん」と言いたくなるでしょう。

僕も、心理学の本を読んで、無意識の力は凄いというのは、知識的にも、日ごろの自分を含め人間の行動からそう感じていました。

ところが、理屈じゃなく、気づきというか実感は本当にしていたのかというと、かなりあやふやです。

というのは、自分のやりたいことやりたくないことが僕の場合はっきりしていて、これをコントロールできれば何て素敵なんだろうと思っていたので、無意識をコントロールできないものかと日ごろから考えていたから、自分でも無意識を自覚していると思っていたからです。

ところが、骨の合わせの究極であるゼロの掛け算の技術をどう指導するかということで、これをもっと科学的説明ができないかと最近いろんなアプローチを考えているうちに、上手く骨の合わせができない自分に気づいていたのです。

今までは、ときどき、人に思い切り人差し指を掴ませて、それを簡単に挙げることができたのですが、科学的説明を考えだした途端、動きがギクシャクに感じるようになりました。

科学的説明を考える前は、思えば手が挙がるということだったのですが、指を持たれると、何故かこの方向というのが分かったのですが、その方向性の科学的分析を始めると、何故か分からなくなったのです。

要するに、無意識からくる感覚に委ねられたとき、その方向が簡単にわかりましたが、意識でコントロールしようとしたとき突然分からなくなったのですが、心を静めて、感覚に意識を持っていくと、この動作ができるわけです。

このように自分と無意識をつなぐには、自分がどの様に感じるているかという点に意識を持っていく必要があるのです。


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【相手の認識をコントロールする】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今、このブログではNLP心理学のフレームというものに焦点を当てていますが、今回は別の認知科学の角度からこれに関したことを書いていきたいと思います。


認識とはかなりいい加減!

人がものを認識する場合、その人が自発的に行っているものと考えられがちですが、実は人の認識は簡単に他人から制御されてしまう恐れがあります。

認識ということについて少し考えてみましょう。

今、どこかにあなたがいて、あなたは目の前のものを見て認識していますね。

ところが、あなたの目に映るものすべてが認識できていると思ったら大違いなのです。

この認識というのは実は穴だらけで、実際に見ていても見えていないことがかなり多いです。

例えば探し物ですが、車のキーを無くして一生懸命さがしたが見つからず、一緒に探してくれた他の人が見つけてくれた。キーが見つかった場所は、さっきから何度も見た机の引き出しの中だった。

このようなことは日常、僕たちが良く経験することで、見ていても見ていないということがよくあります。

ですから僕たちの認識というのはかなりいい加減なものです。


認識を揺るがせる

自分が認識している世界というのは、非常にいい加減で、危ういものであるということが理解できたと思います。

この危うさによって、自分の認識に他人が介在してコントロールさせる危険性を持ちます。

NLP心理学では、問題行動の解決の場合は、相手のフレームにアクセスして、認識を揺るがして、フレームを再構築するリフレーミングするわけです。

そのために、必要な前提が、相手の世界に理解と敬意を持つということです。

相手に理解と敬意をしめすことで、相手の世界に入り、相手の世界から相手が認識できていない事に目を向けさせるのです。

実は、この原理は合気道でかなり利用されています。

一例として、NLP心理学ではミラーリングという技法の応用があげられます。ミラーリングとは、相手の動作を真似して、相手と共有空間を作って相手の認識の世界に入る技術です。

具体的に合気道では相手に合わすということを行います。

これは、相手との心理的距離を一定に保つことで、相手とシンクロした共有空間を作り出すことで、相手の認識の世界に介入しこちらの意識したように相手をコントロールするのです。

ちなみに、この技術が上手くいくためには、相手に意図を悟られないための情報遮断が こういった心理操作をするために最も大切です。


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【合気道の形はミックスジュース】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、 先ほどフルーツジュースを飲みました。何種類かの果物が入っているジュースです。

僕は、フルーツジュースが好きです。色んな果物の味がハーモニーを奏でていておいしいと思います。

それと同時に、僕はこれは合気道の形だなと思いました。そこでそれについて触れてい見たいと思います。


形稽古の問題点

今も昔も、合気道の稽古は形稽古です。

合気道の形稽古は、様々なシチュエーションを形というパターンに凝縮したものを二人一組になって再現するものです。

こういえば、非常に高度な稽古がそこに存在するのが分かると思います。

ところが、合気道の場合の形稽古には問題点があります。

それは、高度な極意がかなり高濃度に凝縮されすぎていて、普通の人の理解をはるかに超えているという点です。

これは、ジュースで例えると分かりやすいかもしれません。

「オレンジジュース、いちごジュース、グレープジュース、リンゴジュース、メロンジュース、グレープフルーツジュースなどを混ぜて濃縮して粉末にし、その粉末に何が含まれているかを分かるか?」と言われたとき、それが分かるのは非常に限られた人だけで、特にそれぞれのジュースを一度も飲んだことがない人は全く分からないと思います。

このように高濃縮な形の欠点はココにあるのです。

確かに、形の中には、極意が多く含まれていますが、これをただ味わっているだけでは、そこに含まれている極意が殆どわからないのです。それが僕たちのような凡人なのです。

これが合気道の問題点です。


形稽古を補う

先日、ある武道家の人とお会いしたのですが、その方と僕の師匠が柔道も空手も高段者だったの話をしましたところ、

「やっぱり、そうですか? 私は合気道だけで使える人を見たことがありません。合気道の達人と言われている人は、殆ど、柔道など他の武道をやっていた人ばかりです」

と、おっしゃいました。

要するに、粉末ジュースの構成成分が分かるには、成分であるそれぞれのジュースの味を知っているからできるということです。

ということは、形稽古を補う必要があり、それを構成している極意を知っている必要があるということになります。

その上で、それぞれの成分である原理を分析できる必要があるということです。

合気道の道場でよく言われる、「ただコツコツと長い間修練しているとあるとき悟りが啓ける」というのは、僕は道場に長い間在籍してもらうための一つの経営戦略と思っています。

やはり、オレンジジュースを知らない人には、混ざった粉末ジュースの中からオレンジジュースだけを取り出し水で元のオレンジジュースに戻してやる必要があります。

「修行が足りない」の一言では済ますのは、指導者の努力不足だと僕は思います。

僕は、非常にラッキーなことに、井口師範の運転手をしていたので、よく一つの成分を取り出すような稽古をしていただいた経験があります。

しかし、この経験がなければ殆ど合気道は使い物にならなく、体の大きな中学生にすらビビっているかもしれません。


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【武道とカタレプシー】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回はフレームの破壊に関連のあるカタレプシーについて話したいと思います。


カタレプシーとは?!

カタレプシーというのは、硬直を意味する言葉です。

元々は、緊張病症候群で、 受動的にとらされた姿勢を保ち続け、自分の意思で変えようとしない状態になるものを指しますが、ここでは心理学でのカタレプシーについて述べます。

相手が行動を起こそうとするとき、何らかの心的モデルがあるのですが、そのモデルが中断された場合、無意識にその間中は体の動きを止めてしまい、再開されるのを待ちます。

例えば、名刺交換というフレームでは、名刺を渡そうとすると、相手はそれを受け取ろうとします。

これが一連のパターンとなっていますが、このフレームを、例えば、相手が受け取ろうとした瞬間に、手を止めて、自分の名刺を引き寄せて見ると、、相手は受け取ろうとした手をそのままにしてジーっとしてしまいます。

そして相手に、名刺をそのまま渡してフレームを再開すると、相手は その2、3秒の間の事を全く忘れ、中段があったことも気づきません。

このように、フレームを自然に中段すると相手は、フレーム中断から再開までの記憶が飛ぶわけです。

こういった特性を当然、武道で使わない手はありません。


武道でのカタレプシー

武道でのカタレプシーの代表的な例としては、中国拳法の高度なテクニックを見たことがあります。

パンチで攻撃する際に途中で手を止めて、その位置から再開してパンチを打ちだします。すると、相手は止まった状態になってパンチが確実に当たります。

しかし、特殊な訓練をしていない限り、再開したパンチは単なる手打ちとなり、相手へのダメージを与えることができません。

中国拳法には寸勁と言って、距離3センチぐらいから、爆発するようなパンチの打ち方がありますが、これができるとこのカタレプシーというは非常に恐ろしいものになります。

合気道ではどうかというと、相手に持たれた手を外す場合、相手の親指に特殊な術を施して手が抜けるようにする技術がありますが、相手と目を合わさずに、これを行うと、相手は何故か手を掴んだ時の状態のままじっとしています。

その間に、相手の横をすり抜けると、1、2秒止まったままになります。

更に、気に当たる技術、気に当てる技術、気を誘導する技術というのも、実はカタレプシーを応用したものです。

例えば、気に当てる技術の中でかなり高度なものとして、合気道の遠当ての術というものがありますが、原理は同じです。

遠当てとは、相手が行動を起こそうとして、動き出した瞬間にこちらから何かのアクションを起こすと、一瞬カタレプシーになり、この瞬間、合気道では相手の中に入って技を仕掛けるわけです。

合気道の遠当てでは、相手のフレームが開始する寸前の頭を抑える必要があり、非常にタイミングが見妙で、相手の兆しを掴むことができないと成功しません。

このように見ていくと合気道や武道の技術にもこういった心理学的アプローチが沢山使われていることが分かります。


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【フレームを壊す】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は人は何か動作をするとき、必ずある一定のパターンの枠の中で行っているという話をしましたが、これをフレームというとお話しました。

NLP心理学では、リフレーミングといって、例えば負のフィードバックにはまっている人の心理のフレームを一度壊して、再構築することを行いますが、武道の場合はフレームを破壊して相手を戦闘不能な状態にし、リフレーミングはしません。

しかも、特に合気道の技には、このフレームを壊すことで技をかける技術が隠されています。

今回は、もう少しフレームを壊すという点について述べてみたいともいます。

漫才師がやるフレームの壊し方

かなり昔の話で、漫才師が誰であったのかすら記憶にないぐらい過去なのですが、思わず笑いで吹き出してしまったシーンが頭に残っています。

それは、一方が相方からハンカチを借りるシーンだったと思いますが、ハンカチを思わず受け取り損なって、下に落としてしまったのです。

すぐさま、ハンカチを渡そうとした人が、「あっ」と言って、急に屈んだかと思うと、ハンカチを拾うのではなく、自分の靴ひもを結びなおしたのです。

このやり取りがおかしくてつい笑ってしまいました。

これは、一般的なパターンである【ハンカチを落とす → 屈む → 拾う】のフレームを皆が持っていて、屈むという動作をした後の次の動作の期待はハンカチを拾うです。

ところが、次の動作で全く無関係なことを行って、その期待を全く裏切ることで、フレームを破壊しているわけです。

このようにコメディアンたちは、常識のパターンの枠を壊すことで笑いを作ることをよくおこなっています。

このように、フレームには、個人個人のフレームもあれば、ほとんどの人が持っている一般化されたパターンとしてのフレームも存在します。

武道と漫才の共通する点は、この一般化されたパターンのフレームを壊すことで、笑いをとったり、相手の思考を停止させることができるのです。


合気道でのフレーム破壊

合気道では、よくあるパターンとして次のものがあります。

  1. 弟子が師匠の手をしっかりと片手で掴みます。
  2. 師匠はその掴んだ手をもう一方の手で軽く触れます。
  3. さらに、その手を外して投げ技に移ります。

このフレーム破壊の術理を知らない人がこのシーン見ると、あたかも弟子がワザと手を離して、師匠に投げられているように映ります。

いわゆるヤラセというものに見えるわけです。

しかし、フレームという点で考えてみると、弟子がとるべきフレームは以下のようになります。

  1. 相手の手首を持つ
  2. 相手の手を固定して動かなくし、技が掛からないように邪魔をする

このフレーム内では、「相手は、動かない手を何らかの方法で動かそうとするだろうから、その力に逆らえばよい」という思考もパターンの中に含まれるわけです。

ところが、別の手で軽く触れられるというのは、その動作は弟子のフレーム内にない行為です。

その行為で、一瞬フレームが壊れてしまうのです。

これと同じように弟子が行うと、軽く触れるよりしっかり切り離した方が手は解きやすいだろうと考えます。

すると、しっかりと切り離そうとする行為は、手を持った方の想定内の行為(相手は手を離そうとしている)になりますので、十分に対応できるため、簡単に手を離してくれることがないのです。

このように、相手の一つの行動パターンのフレーム外の行動をすることで、相手のフレームが簡単に壊れてしまいます。

こういったことが合気道の技の随所でみられるので、2チャンネルではヤラセだとかよく言われるのです。


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