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健康護身術を指導している橋本実です。

当身について②

前回に引き続き、“合気道の動きの基礎をつくる”当身(あてみ)の技術についてお話ししていきたいと思います。(ちなみに当身とは合気道での打撃技術のことです。)

私が、井口師範から指導を受けた当身の技術は、身体面と意識面に秘訣がありました。今回は身体面についてお話しします。

井口師範は、「当身の中に合気道の動きの基本がある。気の起こり、気の流れ、気の伝わりや。気をコントロールするのは当身からなんや」とおっしゃられました。

気というと、特殊能力のある人のものなど使えないと思われる方がいるかもしれませんが、実はそうではありません。当身の技術で扱う“気”というのは、運動エネルギーであり、それに伴う身体の感覚と考えていただいた方がいいと思います。

ですから、超能力のような特殊な能力を備えている必要はまったくありません。単に物理の法則に従うだけでよいのです。物理の法則に従うということは、当身は「天地自然の法則に従う」とも言えるわけです。

さて、当身の技術が物理の法則に従うということは、何を意味するのでしょうか? それは、身体の構造と使い方が大切であるということを意味します。ですから、身体の構造と使い方が分かっていないといけないのです。

まず、身体の構造についてですが、身体の構造で一番基礎を構成しているのが骨格です。これに筋肉が付いて、体が自由に動くのです。これに関しては異存ある人はいないでしょう?

骨格が身体の基礎を構成している以上、骨格の正しい使い方と正しい位置というのがあります。正しい、正しくないの判断を具体的に言うと、骨格がある特定の状態のとき、ある方向に対して力学的に強いとか、弱いとかいうことです。これを無視して理に適った正しい動作を行うことができません。

さらに、人体は固定された建物のような構造物ではありません。動きを伴った構造物であり、物理学的にいうと運動エネルギーを持った構造物です。ですから、静的な力学的強度だけを考えるのではなく、それに運動エネルギーが加わえて考えないといけないわけです。このように、動く人体は、動的に骨格を正しく使う技術が必要ですから、当会では、この技術のことを「骨の技術」と呼んでいます。

さらにもう一つ言い添えておきますと、正しい骨格の使い方をしたときに、体に気の起こり、気の流れ、気の伝わりなど感じます。そして「これが気なのか!」という思いが浮かんできます。

ですから、井口師範の「気が出る」というのは、実際に身体上で強度的に強い構造ができていないとだめであり、思うだけで気がながれるという想像力や意識だけで作るものではないのです。この点をよく理解して、骨の技術の稽古をすると、確実にさまざまな発見に行き着きます。

会員じゃないこのブログを読まれている方が、例え骨の技術が何か理解できなくても、そこをおさえて稽古してみられると、何か発見できると思います。次回は、さらに踏み込んで、当身の身体面の術理を紹介していきます。

当身について①

最近、私のブログに合気道修行者の方々が興味をもたれているようだとわかりましたので、そういう人たちのために、少し私の学んだ合気道について述べたいと思います。

まずは、合気道における当身(アテミ)について述べたいと思います。ちなみに当身というのは、パンチや手刀や肘や体当たりなど合気道における打撃技のことを指します。

近年の合気道の稽古では、当身を軽んじる傾向があると聞いています。しかし、当身は非常に大切な技術ですので、少しでも当身に関して興味をもっていただければと考えて、何度かに分けて当身について述べさせていただきます。今回は当身の意義について述べます。

私の師匠である井口雅博師範は、当身を非常に重視され、常に稽古するように言われていました。
それは次の3つの観点から言われたものでした。
①武道としての実用性
②合気道の動きの基礎作り
③対処のためには、原理を知ておく必要性がある

①に対しては、開祖・植芝盛平翁先生は、「合気道の実戦では、当身7分に投げ3分」といわれているのと同等の理由です。

②を指摘すると、多くの合気道家は「?」と思うようですが、実は当身の身体の使い方は、投げに共通するところが多いのです。
当会では、当身を骨の技術という名称で、鍛錬していますが、詳細は後日ご説明できればと考えています。

③に対しては、例えば医療では、人間の体に悪影響を及ぼす要因を研究します。要するに毒となるものを研究する訳です。しかし、それを悪という人は一人もいないでしょう。

でも、悪用すれば、大量殺人も可能な危険なことです。「悪用を考えると研究なんかとんでもない。即刻研究をやめるべき」と言っておられるでしょうか?

人は知らないことに対処しようがありません。当身もそれと同じで、当身に対処しようと思えば、合気道修行者も当身をよく研究し、どんな原理でパンチが飛んでくるかを知っておく必要があります。

最近の合気道指導者は、当身に対して否定的で、指導をされた経験がないという方が増えていると私は聞いていますが、当身の原理を分からずして、当身に対処できるのか私は甚だ疑問に感じています。

私の知り合いに、フルコンタクト空手を少しやったことのある合気道四段の方がいらっしゃいますが、「どこの道場でも、女性が二段にもなると、どんな相手でももう大丈夫と考える」と言っていました。

しかも、その方が、例えば空手の初級クラスでも簡単に捌けるパンチを出してみても、まったく対処すらできないそうです。ところが、女性たちは、「相手が自分より上の四段だから対処ができない。でも、他の武道二段なら大丈夫」と思うそうです。

このような思いこみは当身を知らないから起こることで、指導者の責任ですので、その様な女性をだれも責めたりはできません。

まだ、男性の場合、テレビでボクシングやアクション映画を見たりして、何となく当身の怖さをわかっているので、「自分の合気道は実際つかえるのだろうか?」と考える人は女性に比べてかなり多くいると思います。

そこで、そのように考える男性や女性の合気道修行者の方々は、さらに踏み込んで当身について研究してみては如何でしょうか?

次回は、もう少し当会に伝わる当身について述べてみたいと思います。

第4番目の技術(空間感覚)の応用

最近、空間感覚の技術の応用の稽古ばかりやっています。
空間感覚の技術というのは、当会では第4番目の技術で、第3番目の皮膚感覚の技術の上位技術となっています。この第4番目の技術は、第2番目の皮膚の技術を基本とする技でも効果がでます。

映像は、皮膚の技術でできる座り技呼吸法ですが、これに空間感覚の技術を入れると、もっと力が不要になります。

合気道の秘伝の同時使用

当会に伝わる井口師範の合気道の秘伝は、当会では次の4つに分類して指導しています。
①骨の技術(物理学的な技術群)
②皮膚の技術(生理学的な反応を利用する技術群)
③皮膚感覚の技術(①と②を同時にしようした技術群)
④空間感覚の技術(心理学的なトリックを利用した技術群)

今までは、それぞれ個別に指導しておりましたが、実際使用するのを想定した場合①~④を組み合わせて行います。この組み合わせをお弟子さんたちに説明するのはかなり難しいと思っていましたが、杖(じょう)の稽古を導入してから、お弟子さんたちの感覚が敏感になり、上記の技術を同時に組み合わせて用いても使えるようになっているようです。

しかも、まだ稽古3ヶ月の初心者の方も、十分ついてこられています。初心者の人の才能も関係があるのかもしれませんが、これは杖(じょう)の稽古によるところが多いものと思われます。合気道にとって杖の稽古は非常に効果が高いので、ブログを読まれている合気道修行者の方も杖を稽古することをお薦めします。

ただし、神道夢想流を稽古されている合気道修行者の方が多いとききますが、神道夢想流は一度しか経験していないので一概にいえませんが、神道夢想流では、このような感覚が身につくかどうか私は疑問に思っています。

今回は、下の映像のような秘伝混合の稽古を行いましたが、映像を見てもわかるとおり、秘伝の同時使用をいきなり求めても、皆さん十分付いてこられているようです。ただ、映像を見て秘伝を見て取れる方以外は、映像を見ただけで再現はかなり難しいと思います。

合気道の幹を育てる

「何事も中心が大事、中心を見失ってはいけない。中心と言うのは、合気道を木で例えれば、幹にあたるもの。幹を育て、大木とならないといけない。枝葉を見て木と思ってはいけない。枝葉とは、片手取り小手返しとか、それぞれの技のこと。落ち葉や落ち枝をいくら集めても木にはならない。根をしっかり張って、大きな幹を育てることこそ肝心」

この前、お弟子さんたちを指導をしていて、井口師範がおっしゃった言葉を思い出しました。

ところで、一般の道場の稽古では、この“中心”すなわち“幹を育てること”を稽古をするのはとても難しいと思います。それは、井口師範が指導されていた稽古でも同じです。

と、言うのは、道場の稽古は、師範の演武を見取り、個々の技を弟子たちが互いに繰り返し稽古を行います。このとき、お互いに技をやりあうのが、“中心”が何であるが理解できていないもの同士であるというのが大きな問題なのです。これでは“中心”となる技術が習得できません。

その点、私はとても幸運でした。私は井口師範の送迎をしていて、お送りする際に、見つけた空き地や閉店したスーパーの駐車場で、井口師範に直々にご指導を受ける機会を持つことができたからです。

このことは非常に大切なことでした。技の勘所が、直々に教えていただけたことで、何が“中心”であるかを理解できました。そして、この“中心”こそが、当会で教えている技術であり、井口師範が言われている秘伝です。

この秘伝は、井口師範より口で伝えるというより、感覚で伝えていただきました。ところが、このように折角師匠が自ら感覚を伝えて頂いても、私のような才能のない人間にとっては、師匠の秘伝は分かりづらく習得するのにかなり時間がかかりました。

ですから、私は当会の会員には出来る限り直接手を取って、この感覚を伝え、常に状態のチェックをするようにするとともに、秘伝を理論的に説明し頭でも理解していただけるようにしています。

それで、会員の方々の“幹(中心)”の成長速度は、私と比べると十倍~数十倍の早さに達しています。女性会員の一年と比較しても、私の合気道歴十年のときではできなかったことを簡単にやってのけていましたので……。

また、この合気道の“幹”は、他の武術でも“幹”になります。先日、東京からこられた空手暦40年の師範も、当会の秘伝を、空手の“幹”として育てつつあるのは、前回のブログで書きました。

合気道を中心に修行してきた私としては、どちらかといえば、空手家の方や中国拳法家の方よりも、できれば合気道修行者に、幹を育てて行っていただきたいと思っています。

でも、現状は、幹を育てようとしない合気道家より、この幹を育てたいと考える他の武道家を応援したいとも思っているのも事実です。

東京からの来客

東京の空手の師範の方が来られました。今回で2回目です。前回は半年以上前の11月の中旬でした。その際に教授した秘伝の内、特に骨の技術を自宅に砂袋を買って徹底的に研鑽され、こちらに今回こられました。

そこで、研鑽の結果を確かめるということで、私はミットを構え、パンチを受けてみました。身体をある程度低くし、衝撃に備えて受けたのですが、予想以上に強く、思わず後方に押されてしまい、たまたま後ろに立てかけてあった杖(じょう)で足を挫いてしまいたした。

これを受けて初めて、この空手の師範の方のどれだけ熱心に研鑽されたか伺い知ることができました。そのことをこの方にお話ししますと、「何十年も空手の稽古をしてきましたが、最高のパワーがだせたのが若いころでした。しかし、ここ最近になって、パンチの質が変ってきたのを自覚しています。効かせどころがわかり、様々なタイミングでパンチが打ち出せるようになってきました。その結果動き全てに余裕がでてきました。すべて秘伝を教わったお蔭です」
とおっしゃれました。

よくよく話しを伺うと、骨の技術の第一式を徹底的に稽古されたとのことです。コツコツと一意専心頑張られたのでしょう。それで私の予想をはるかに上回る威力を持っていたのです。

次に、骨の技術の第二式をやっていただきました。タイミングが少し違っていました。第二式はタイミングが非常に大切ですので、少し訂正させていただきましたが、すぐにできるようになりました。もし第二式の稽古も徹底的に稽古していたら、その癖を訂正するのにかなり時間が掛かったでしょう。不安があった技術を自己流に行わず、第一式のみに専心したのが正解だったようです。

さらに、骨の技術奥伝の第一式と第二式を混合した技術も教授しました。第一式の稽古を徹底的にし完成していたのが功を奏して、驚くほどすぐに使えるようになりました。この技術は、第一式よりもさらに効果が高くなるのですが、新しい秘伝が必要で、中心軸とは別の軸を使った技術となり、この習得には一式の習熟具合の高さが必要になります。

ここまでは骨の技術の問題ですが、骨の技術だけでは、武器を持った相手や、2人以上の相手はできません。これにはどうしても空間感覚の技術が必要になりますが、実は、この2人以上の相手をする場合の空間感覚の技術には、どうしても皮膚感覚の技術で使われる感覚が必要です。

皮膚感覚の技術の伝授のため、少し杖(じょう)の稽古を行いました。杖の稽古で、皮膚感覚のフィーリングを掴んでいただいたので、空間感覚の技術の勝速日の秘伝を教授いたしました。

さすがに空手の師範、皮膚感覚、空間感覚の秘伝の本質を理解されたようで、次回にお会いするときに楽しみです。

合気道に用いる「呼吸」という言葉

合気道には、呼吸力、呼吸法、呼吸技、呼吸投げなどのように「呼吸」とついた言葉がでてきますが、「呼吸」がついているので、どのように息を吸って、どのように息を吐くかということに意識が囚われている人がたまにいるようです。

確かに、世間一般に、呼吸というと、酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出す動作のことを意味します。そこで、技をかけるときは、「ハーっと吐け」と指導する人もいる様ですが、これは誤った認識です。

合気道における「呼吸」というのは、昔の人が使ってきた「息(いき)」という意味と解釈しないといけません。今でも武道や芸道では、「息」ということばが使われるときは、「芸道や武道の深い要領」のことを意味します。特に武道や武術の場合、言い換えると「極意」をさしているのです。ですから、合気道でいう「呼吸」というのは、この「息」の意味、要するに「極意」という意味で使われている訳です。

呼吸力というのは、極意を体得した特別な力ということになります。要するに、体全体が協調して出る統一力といった方がいいかもしれません。ただし、井口師範の言われる呼吸力とは、統一した力がでるようになった人が、さらにその力を限界まで鍛え上げた特別な力をさしていましたが、一般の合気道では、それは呼吸力の差を生み出しているもので、単に呼吸力は統一された力だと考えた方がいいと思います。

さらに、技や法となると、その呼吸力の上に、術理に則る必要がでてきます。そしてその術理も極意の一つですから、これも「息」すなわち「呼吸」を意味するものです。いくら呼吸力が強くても、術理を破るやり方ですと、当然「呼吸」とはいえないですし、法や技とは言えませんし、そういう力ですと相手を破壊しかねません。それでは、平和の精神に基づいた合気道精神からも逸脱します。

ですから、呼吸法といっても、息の吸い方と吐き方ではないのです。座り技呼吸法で、息を腹式呼吸でハーっと吐きながらやっても、効かないものは効きません。「まだ呼吸が浅いから」というわけではないのです。統一力である呼吸力と術理の二本柱がちゃんとできているかどうかが効く決め手となるのです。

たまに、道場などで、合気道の何年も先輩になる人が初心者相手に、さも知っているように息を吐いて技をかけるように言うことがあるようですが、それは、多分、中国拳法の本でも見て、息を吐きながら行う発勁という動作を意識しているのだと思います。

しかし、合気道と中国拳法では学び方が違います。根本的な違いは、合気道における拳や足による当て身は、補助的な役割しか持っていませんが、一方、中国拳法では、拳や足での当て身は破壊を目的にしたものであるということです。ですから、中国拳法には手足による破壊ための独自の気の理論があり、その上での腹式呼吸(爆発呼吸)を行っているのですから、「息を吐くと強い」というものではありません。

ですから合気道修行者はその当たりをよく理解して、心身の統一と術理の二本柱にした合気道の技の研鑽を行っていただきたいと思います。

井口師範の答え

合気道を修行していると、合気道に対して様々な疑問が浮かんでくると思います。ところが、その疑問を、師匠なり、先輩なりにぶつけてみますと、禅問答のような煙に巻かれたような回答が来ることがよくあると思います。私も井口師範に師事する前は、そうでした。酷いのになると、「素直に、コツコツとしていれば、その内わかる」とか言われることも多々あったように思います。ですから、ちょっと疑問がでても、形稽古を行う上に支障がなければ、質問はできないという感じになっていたように思います。

ところが、合気道への私の疑問に対する井口師範の答えは非常にシンプルでした。確かに、高度すぎて、まったく意味不明の答えもあったのも事実ですが、それでも本物の雰囲気をにおわす独自の答えでした。

例えば、合気道では試合がありません。それどころかスパーリング的な稽古もありません。それで、実際に護身術として使えるようになるかと言う疑問です。そのことに関する模範的な回答として「合気道の理念に反する」ということがあげられます。「理念に反する」といわれますと、納得できなくても「なるほど、そうですか」と返事するしかありません。
しかし、心の中では
『俺は護身術として合気道を習おうと思ったわけで、別に合気道の理念に感動して、賛同したわけじゃないので、どうも納得いかない。それに、護身術として使えるかと理念とは別問題だ』
と私は思ったものでした。

一方、井口師範の回答として「試合とか段取りは虚虚実実のやり取りするので、そんなことにこだわっていたら勝速日は実現できんからあかんのや」ということでした。確かに何のことかよく分かりませんが、深い意味があるのがわかりますし、煙に巻かれた気はしません。

こう答えられたら「勝速日というのはなんですか」と質問ができます。
「勝速日というのは、非常に速いこと。相手の攻撃にさっと合わせるて動くこと。寸部の狂いもなく合わせてしまうこと。そこには、先とか、先先の先とかそんなものはない。だから、虚虚実実のやり取りもなにもないんや」

ここには、私の疑問に対する答えが全てあります。「勝速日を実現する」ことで護身ができると答えており、その獲得のためには試合やスパーリングではできないと言われているのです。

もう少し具体的にお話ししますと、井口師範によれば、相手が攻撃を出そうとする場合、有効なのは、もっとも攻撃しやすい距離に近づいたときの一瞬しかないということです。ある種の攻撃を仕掛ける場合には、その攻撃が出せる間合いというのがあり、それは相手にとって一瞬であり、その一瞬を相手より先に奪えばよいということで、この速さが勝速日ということになるということです。

このように書きますと、「勝速日の実現」というのはかなり難しく、凡人には不可能に思えます。しかし、ご安心ください。当会は普通の人が使える力の要らない護身術を教えています。ですから、一部の才能のある人しか使えない技術の話ではありません。

実は、ある種の心理学的な原理がそこにあります。しかも、ちょっとしたことを意識するだけです。これがわかると「なるほど、これを使おうとすると試合にならない」ということが分かります。これが井口師範の答えです。

ですから、当会の「勝速日の実現」というのは、井口師範のような達人レベルのように完成されたものではありません。それでも、才能のない上、片目が見えない私でさえ、この原理を使って、50歳を越えて、20代、30代の人と対等にスパーリングをやっていますので、その効果は十分証明できていると思います。

こういいますと、「何だ、やっぱり、試合やスパーリングで使っているじゃないか」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、私の相手をした方々は、この「勝速日の秘伝」を知らないのです。だからこそ、私がスパーリングで使えるのです。一方、合気道で、これを使うとなると、お互いが「勝速日の秘伝」を知っていることになりますから、やっぱり試合やスパーリングにはならないのです。

師匠へ感謝

先日、合気道の高段者の方の指導を行いました。

その際に、この方に呼吸法に関連する技術を伝授しておりましたところ、
「前に、気をだすには、手を握っても出ると教えていただきましたが、私が会ったどの合気道の師範も、気を出すには掌を開かないとが出ない、握ってはいけないといっています。そう考えると、合気道歴50年以上の師範や高段者方々でも、皮膚の技術の一部しか使えていないのですね。それに比べると、ここではその上の技術を教えてもらえるのでとてもありがたいです。」と言ってくださいました。

そこまで言うのは、リップサービスが入っているのかもしれませんが、この高段者の方も、井口師範の第2の秘伝の皮膚の技術をまったくご存知ありませんでした。

当たり前のようにお弟子さんたちに伝えている秘伝も、井口師範に教わらなければ、この第2の秘伝の皮膚の技術だけでも、才能のある人ですら、半世紀もかけて研究して、その一部がようやく使えるかどうかだということなんだと、私はここに来て改めて納得しました。

才能がなく、片目が見えのない私が、ジークンドーなどのスパーリングでも、少林寺拳法や空手の高段者の人たちとそこそこ戦えるのは、全て井口師範から頂いた秘伝のお蔭です。今更ながら井口師範に感謝でいっぱいです。

ちなみに、皮膚の技術の初伝に関して言えば、体系化できている現在では、非常に才能のある人に伝えると、半時間もかからずにマスターしてしまいます。皮膚の技術の初伝といいますと、それを用いれば秘伝をしらない人相手に座り技呼吸法を行えば、体重差20kg以内であればほぼ100%転がすことができます。

私は、それを、理解するのにかなりの年月がかかりました。師匠は、野球でいえば長島茂雄さんのような感覚的な説明の人でしたので要領を掴むのに苦労したのも事実ですが、才能が無かったのが一番の原因と思います。それでも、あきらめず十年以上も見捨てずにご指導をいただいたお蔭で、井口師範の4つの秘伝をなんとか私は覚えさせていただけました。

合気道修行者の方は、ご存知と思いますが、道場内では、指導者は個人個人に合わせて秘伝を説明している余裕がありません。その点、私は非常にラッキーでした。帰り道が同じ方角というだけで、井口師範の送迎をしていたからです。お蔭で、井口師範を送迎している間、マンツーマンで様々な秘伝を教えていただける機会を得ることができました。

秘伝には、常識で考えていたら絶対に考え付かず、天才でなければ思いつかない発想があります。ですから、「皮膚の技術の一部しか使えていない」といわれている師範の方は、半世紀という途方もない時間をかけて研究し到達したのです。本当にすごい努力が必要だったと思います。その意味では、やはりその師範の方に敬意を払いたいと思います。

今更ながら、貴重な秘伝を教えていただいて、師匠である故井口師範に感謝の気持ちでいっぱいです。

拳で語りあう?

 4月より新しいお弟子さんができましたので、今回の土曜日の稽古は、初歩的な技術を中心に稽古を行いました。

 ところで、今日は、4月に入って急に来なくなったお弟子さんが、半月ぶりに稽古に参加しました。学業が忙しくて、これなくなったのかと思っていたら、生活全般に無気力となったと言っていました。
 確かに、技はかなり正確にこなすのですが、顔の表情が硬いまま稽古を最後まで終えました。

 稽古終了後、
「日本拳法をしていたときのようにまたスパーリングのようなことをしたい」
と彼がいったので、稽古は終わっていましたが、
「じゃあ、少しライトでスパーやるか?」 
といって、互いに防具を付けて、ライトスパーをすることにしました。

 スパーリングを始めた時点では、彼は、かなり表情が硬かったのですが、スパーリングをしている中で、徐々に闘志が出てきて、いい顔になってきました。それに伴い、かなり動きがよくなりました。後半は、合気道的な動きでないと、若い彼にはかなわないようになりました。

その際、「スパーリングで合気道の原理を使うとこうする」など説明をすると、数分のスパーリングでしたが、彼はどんどんと技に取り入れるようになりかなり上達しました。

 スパーリング終了後、「久しぶりに楽しかった」と表情が柔らかになり、顔つきもかなり精悍になってかえって行きました。

 一般に、“拳で語り合う”という表現をつかうことがありますが、力と力のぶつかり合う全力を出し切った喧嘩とは違った意味で、何か彼の心に伝わったようです。今後、彼にとってこのとことがいい方向に向かえばいいと願っています。