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手首取りの技の意義について10

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!

さて、手首取りの技の意義について今回で10回目となりましたが、手首取りからかなり話がはずれ、今は「当て身」の稽古ということになっていますが、飽くまでも手首取りで「最外殻の気」を動かさないということでの話ですので、「木を見て森を見ず」にならないでくださいね。

前回は、かなり具体的に「最外殻の気」を出さない当身の稽古の内容を話しました。しかし、誤解しないでいただきたいのは、当て身をする際に「最外殻の気」を一切動かすなということではありません。

何故なら、正面打ち、横面打ち、正面突きの各技は、相手の「気」をコントロールするための稽古ですので、受けが「気」を出さないと稽古できないからです。この点、「最外殻の気」が動かなくなっても注意してください。

というのは、「最外殻の気」を動かさない「当て身」を、以前に自称運動オンチの女性に合気道を教えてほしいと言われ、徹底的にこの「最外殻の気」を動かさない「当て身」を教えました。すると、この女性は「当て身」をする際に全く「気」が動かなくなってしまったのです。

その結果、合気道の稽古が成り立たなくなっちゃったのです。何故なら、正面打ちの技をやろうと思っても、いつ正面打ちが来るかわからないと、取り(技の掛け手)は技の掛けるタイミングがわからないことになってしまいます。

当会には、ボクシング、空手などの格闘技経験者も所属していますが、この女性の打撃にはかなり手を焼いています。また、柔道、空手、総合格闘技などをやってきたベテランでも、この女性が受けをするのを嫌います。それぐらいわからないのです。この女性、徹底的に「当て身」で「最外殻の気」を変化させない方法を身に付けさせてしまい、「当て身」で「気」を出す稽古を一切していないから、いくら後から教えてもすぐ「気」が消えてしまいます。本当に厄介です。

というのは、ケンカや格闘技どころか、スポーツで狙って打つということを中学生以来ずっと十数年来やっていない人間が、一切「気」を出さずに打つ「当て身」を学んだんだから、「気」を出す打撃の仕方の上に「気」をださない打撃の仕方を上書きしてしまったようです。だから、「気」をだすようにするには、さらに上書きをしないといけない状況になっています。

正面打ち、横面打ち、正面突きの技というのは、「気」の面で話をすれば、相手が出す「気」に反応して、相手の「気」を導く技術の錬磨ですので、「気」が変化しないと非常にこまるのです。ですから、読者の皆さんには「気」も出せるし、「気」も消せるとうように両方できるようになってほしいと思います。特に、指導者を目指すならこれは必須だと思ってください。

相手と自分の両方の「最外殻の気」のコントロールこそが合気道の大切なポイントであるということ、ご理解いただけたでしょうか。

【別の土俵で闘う】4

皆さん
今日は! 元気ですか? 僕はメチャ元気です。

さて、前回の内容は、かなり科学的に書きましたが、内容的には非常に抽象的になりました。でも、意識が自分の動作にかなり影響が出るということは理解はできたと思います。そして、その意識の持ち方を研究することで、「意識して動く」と「意識せずに動く」以外の第三の方向性が見いだせたのではないかと思います。そして、我々に必要なのはどう意識すると、相手はどう動くかという経験を積む必要があります。

その初歩的なヒントとして、【別の土俵で闘う】という点で、少し手首取りの話をしていきたいと思います。

合気道では、手首取りという技があります。具体的には、片手取り、両手取り、諸手取りなどですが、通常は、師範は「持たれたら」という言葉を使います。

でも、本当は「持たれたら」、もう遅いというのが武道的な考えです。例えば、殴るという動作を考えてみたらどうでしょう。「顎を思い切り殴られたら」と、師範が技を見せたらあなたはどう思うでしょう。

ボクサーのパンチはかなり速いです。その上パワフルです。未だかつて、顎にクリーンヒットがあって、相手のパンチを返したボクサーはいません。確かに古武道と呼ばれる分野で、殴らせても大丈夫というパフォーマンスを演じる人はいますが、それは心理学的な手法をとって、クリーンヒットを避けているからです。

余談になりましたが、要するに「顎を思い切り殴られたら」というと、答えは「倒れてしまいます」です。それと同様に、「持たれたら」本当は終わっています。「刺されたら」終わっています。

何を言いたいかというと、「持たれる」のではなく、「持たせる」という心構えが必要になります。何故かというと、武道では先を取ることが最も大切だからです。持たれるというと相手に先を取られているわけです。持たれた瞬間、実戦では相手は次の行動に入っています。仲良しクラブじゃないので、持たれても後は何もしないって言うことはありません。

さらに、「持たせる」と何故、先を取れるかということですが、ただ相手が持つのを待っているだけではなく、罠を張っているという気持ちがあるためです。ですから、大切なのは、例えば片手取りの場合なら、片手を取りに来た瞬間を狙うことだけを考えて手を差し出します。

この瞬間について少し詳しく説明しておきましょう。相手の手首を取るというのは、ターゲットである手首まで手を持っていき、そこで握るという2つの動作が必要です。だから、手首に触れた時点から、握るという動作が終了するまでタイムラグが生じます。触れた瞬間、握れているということでないわけです

しかも、相手が握ろうと思った瞬間から手の指が握れるまで、動作がとまらないというのが生理学的特性があります。この握ろうとした瞬間から、握り込むまでの時間を利用すれば、相手を思い通り扱えるわけです。

そのため、ただ手首を持たれるのじゃく、こちらが、罠を仕掛けるがごとく、相手に手首を差し出し持たせるわけです。この点が技がきれいに決まる大切なポイントです。

結局、ちょっとした意識の持ち方を変えるだけで、相手の土俵で戦うように見せながら、実は自分の土俵に相手を引き込んでいるわけです。

【別の土俵で闘う】3

前回、合気道では相手に敬意を払うことを、「合わせる」といいましたが、その意味を今回少し考えたいと思います。

合わせるというと何だかかわかったような気になりますが、合わせるというのは、実は動作だけの問題ではありません。合気道ではこの合わせるという行為は修業者にとって非常に厄介です。何故なら、見た目は、まるで相手に逆らっているように見えるからです。

そして、達人は言います。
「相手と一体になって行ったとき、簡単にできるものです。心がつながれば、相手は自分の思い通りに動いてくれます」
「相手と繋がっていると意識すれば、相手が右手を押して来たら、相手の力を、相手と繋がっているその右手で、相手に送ることができる。だから相手は自分の力が返されるのです。」

これだけの話を聞いて、相手にそのまま力を返すことができる人もいます。でも、いくらやっても出来ない人もいるでしょう。確かに、それは達人の言っている通りなんだけれど、一度できたとしても、原理が分かっていないと、またできなくなったりします。それは、実は相手がそれに慣れて対処できるようになってくるからです。普通の人は、相手が変化に対応した時点で、また自分の力でやろうとしてしまうからです。そうすると繋がりが無くなってしまうわけです。

そこで、本質を科学的に説明しておきましょう。二足で立つというのは非常に不安定な状況なので、人間が力を込めようとしたとき、体の位置、腕の位置などかなり精密にバランスがとれないと力が入りません。そういう訳で、二本の足で立っている人間が、ある位置である方向に力を加えようとすると、最高の位置というのは唯一つの状態しかなく、その状態でしか最大のパフォーマンスが発揮できないのです。ですから、その最高の位置を少しずらせば、力が急激に小さくなります。これが科学的な原理です。

そして、相手は最大のパフォーマンスを出す位置を経験から小脳で自動的に計算しているので、こちらが相手と繋がろうとする意識が働くと力の方向が若干変わるのですが、相手の経験がそういう経験を通っていないから、実際に相手が最大のパフォーマンスが出る位置と食い違いが生じるため、十分な力がなくなります。その結果相手はついてくるわけです。

このように合気道では、面白いことに、意識と現象が全く正反対になります。相手に敬意を示すと、逆に相手がついてくるというのはこういうことです。これが合気道の面白さなんです。

【別の土俵で闘う】2

こんにちは!
皆さんお元気ですか? 僕はメチャ元気です。

前に、別の土俵で闘うという話しをしましたが、「世界平和などといいつつ、結局、合気道って本当は卑怯なのですね」ということを指摘された人がいました。そこで、もう少し、合気道の平和思想と一般的な正々堂々に関してお話ししたいと思います。

確かに、漫画やアニメでは、主人公が相手の最も得意な分野で、相手を打ちのめすというシーンが良くあります。とても格好良く描かれています。主人公のすばらしさを表現するためにそう描かれています。

自信満々でくる相手の得意なものよりも、適当にやってる主人公の方が得意だということを表現することで、主人公が得意なものはさらに上で、そんな奴にも余裕で勝てる主人公の何でもできる絶対的な素質を述べているだけです。

でも、実際問題として、少しの時間も惜しんで命がけで何年もトレーニングを積んだことが、何の努力もしない相手に一瞬で負かされたらどんな気持ちでしょう? 

例えば、筋トレを必死な思い出3年間やり、かなり筋肉が付いたと思ったら、日ごろのらりくらりとしている人が、いきなり自分の持てる最大の重量の2倍を軽々と持ち上げたらどうでしょうか? その人は自信を失うのではないでしょうか?

正々堂々というのは別の意味では、相手の自信を徹底的につぶすということと言えます。日本人は正々堂々が好きです。才能にあふれた人が、華の舞台で高得点を取るのが大好きです。

だから、野球などでも、日ごろ必死で頑張って努力した人が、たまたま不調で、大切なところでヒットがでなかったら、ボロクソいいます。どんな不調でも、どんなに体調がわるくても、活躍することを期待します。

合気道についてもそうです。世界平和を目指す武道であるから正々堂々でなければならないという人がいます。
・力自慢に対してはそれ以上の力で対抗する。
・スピードに自信のある人には、さらなるスピードで対抗する。
これで、相手を敬意を示せるのだろうか? 

合気道は世界平和を目指す武道です。それは相手の世界に敬意を示すから実現できると考えます。

でも、相手の得意なことを相手の得意なことをつぶすことは、結局相手の人格を全面否定をしているようなものです。もし、自分の得意なことをすべて否定されたらどんな気持ちをもつでしょう。少なくとも子供なら完全に自信を無くしてしまうでしょう。

真向から正々堂々と勝負するというのは、相手の得意な分野で、それをつぶすということです。正々堂々と勝いうのは、ある意味、できる人間が出来ない人間を否定することです。それは、相手を見下すことになります。それこそ傲慢と思うのです。

確かに、世のなかには何の努力をしなくても、飛んでもない素質を持った人がいます。そういった人に比べると、自分の中の最大の才能は芥子粒のようなちっぽけなものかもしれません。でも、それにかけた情熱は、時間はそんなこと全て無駄に思ってしまうかもしれませんが、人と比べる必要はないと合気道では考えます。

それにつぎ込んだ時間、経験が大切だということです。人生を賭けたその時間、あなたはどんな貴重な体験をしたでしょう。僕も何十年もかけて研究した成果を惜しげもなく、会員に教えるのは、その苦労した経験ができたことこそ自分にはよかったと思うからです。そして、この成果をさらに、合気道を愛する後続の人に研究してもらって、もっと完成させて次の世代に回してほしいと考えているからです。

例えば、数学を例にとると、数学を自分だけのものにして、誰にも教えないという習慣があったとしたら、今日ほど数学は発達しませんでした。学問は後続の人によってより発展してきました。数学を家元だの何のといって、発展させることもなく何千年も前のままで残しておいたらどうでしょう? きっと算術のままで終わっていたと思います。

話は戻りますが、合気道の理想は相手と一つになって、相手を導くことにあります。それは相手の得意なことに合わせるということで、相手に敬意を払いながら、自分の土俵で闘うということを意味します。要するに自分の得意なものの中に引き込むわけです。だから、力いっぱい持たれても、相手にとって心地よく、相手をコントロールできてしまうのです。

【別の土俵で闘う】

今日は!
皆さんお元気ですか? 僕はメチャ元気です。

さて、今日、Youtubeを見ていると、何故か分からないけれど、自動再生をしている中、突然、今はもう解散してしまったジャニーズに所属していたグループ・スマップの歌「世界に一つだけの花」が再生されました。

ということで、今日は、いつものシリーズ・手首取りの意義とは違う話をします。
僕はこの歌の歌詞が凄く好きです。今日この歌を聞いていて、ここに合気道の本質を聞いたような気がしました。

  *   *
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた。

人それぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね 。

この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで

バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で
一番になりたがる

そうさ 僕らは

世界にひとつだけの花
一人一人違う種を持つ

その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい。

……

合気道の戦い方は、実は常に自分の土俵で戦うようにします。相手の土俵で戦うことを避け、自分の体が構造上で最も強くなる状況を作り、相手をその状況に導くことをします。

ところが、特に日本人は「正々堂々」という言葉が凄く好きで、特に昭和生まれの人は、道徳教育で、相手の土俵で戦って勝つことこを最高としているふしがあります。

例えば、相撲の解説を聞いていると、体格の劣る力士が体格の優る力士に対して、変則的な戦い方をすると「よろしくないですね。やはり相撲は真っ向から勝負をしないと!」と解説者が話すこと よくあります。

話が極端になっていると言われそうですが、もし相手が犯罪者の場合どうでしょう。犯罪者がナイフを持って襲ってきてるのに、正々堂々と素手で戦おうとして殺されてたらどうでしょう。「よく正々堂々と戦った」と讃える人もいますが、その家族はどうでしょう? 卑怯なことをしてでも死んでほしくなかったと思うでしょう。

合気道は、相手の知らない技術、相手の知らない方法で相手を制します。そして日々その技術を錬磨して行きます。ですから、合気道は基本的に筋トレはないのです。バーベルを持って、力でくる相手にも力でも凌駕し、技でも凌駕するという考えではなく、自分達の得意な分野を徹底的に錬磨するのです。すべてでNo.1になろうとせず自分の得意な分野を徹底的に作っていくということをします。そうすると、気が付くと他の武道の人たちと楽しくスパーリング(模擬試合)ができるようにもなります。

手首取りの技の意義について8

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義について今回で8回目となりました。

手首取りの技の意義を述べているうちに、「気」の話になり、手首取りの技を行う際には「最外殻の気」を動かさないのが大切という話になりました。ちょっと本題の手首取りから合気道全体の技術へと話が離れますが、非常に大切なポイントなのでその点を詰めてみたいと思います。

だが、実際に「最外殻の気」を動かさないというのがどうすれば可能かということです。ところが、正直に話しますと、その具体的な方法は合気道の存亡に関わるぐらい大切なことなので、極秘伝ということになっています。

私はこの秘伝のお陰で、運動オンチ、片目が見えないという2つのハンディキャップがあるにも関わらず、50歳を超えて、20代前半のプロボクサー、空手の師範や少林寺拳法の師範とスパーリングで十分に闘えた経験があります。別にこれを自慢しているわけではなく、そういった秘伝技術を知ると誰でもが使えるということを言いたいのです。

これぐらい「最外殻の気」を動かさないというのは効果的です。他の武道にはない特殊技術ですので秘伝になっていても仕方がないというのは分かっていただけると思います。何故なら、他の多くの武道や格闘技では、「最外殻の気」を強化し、虚々実々の「気」のやり取りで相手を翻弄する方法を取るのに比べ、合気道は「最外殻の気」の挙動を一切なくし明鏡止水の境地で相手と相対する方法をとっているためです。

しかし、それでは一般の合気道修行者には全くなす術がないということでは余りにも酷い話なので、ヒントになることを述べさせていただこうと思います。

実は、その「最外殻の気」を動かさない訓練に最適なのが「当て身」の稽古です。「当て身」の稽古は最近の合気道では殆どしないと聞いています。それどころか、「正面打ちの技」はやるが、正しい「正面打ち」の説明を一度も聞いたことが無いという合気道の修行者がかなりいるように思います。

でも、実際に武道として使おうと思うと、「正面打ち」に対処するには、熟練した「正面打ち」を受ける稽古が必要があります。ですので当会は、正面打ち、横面打ちなどから、色々なパンチでの「当て身」の稽古を行っています。

ですから、読者の方は先ず、効果的な「当て身」の出し方を研究し、どうすれば強烈な「当て身」を出せるかを実践していただくことをお勧めします。その上で「最外殻の気」を動かさない稽古をするとよいでしょう。

次回はもう少しだけ具体的に「最外殻の気」を動かさない稽古方法について述べたいと思います。

手首取りの技の意義について7

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義について今回で7回目となりました。前回、「人間は慣れる」という話をしました。要するに、同じことをしていると相手は適応するということですね。

では達人はどうでしょうか?
達人が真剣に行った場合はいくら分かっていても「慣れ」ません。でも、いくら達人でも、相手を舐め過ぎているとやはり適応された動きで実は読まれてしまいます。

井口師範のような達人にも、一教の技の稽古の際そんな場面がありました。それは、井口師範の一教の技に小学6年生の子どもが逆らってしまったのです。さからったというより、井口師範の動きを予測して先に逃れたということです。井口師範も小学生相手だったのでかなり手加減されていたのでしょう。その子どもは見事に井口師範の一教から逃げてしまいました。ところが、それ以降は誰が逃れよう、逆らおうとしても、見事に技がかかっています。達人でも気を抜くとそんなことがあるということです。

私も、そのシーンを見て、もしかすると逆らえるのではと思いましたが、実際に手を取っていただくと、もう完全にコントロールされ、逆らえる状況ではありませんでした。

では、何が逆らえる要因を作っているのでしょうか?
それは、相手にこちらの動こうとする意図が先に読まれるということです。いつ・どう来るかそれさえ分かっていれば誰でも避けられますよね。だから大切なのはこちらの情報を出さないこと。

井口師範はそれを「気を出すな」と言われました。要するに、以前の気の人体図で言えば、「最外殻の気」を動かさないということです。ここで、少し「最外殻の気」の話をします。

「最外殻の気」は、本当のことを言いますと誰でも感じています。例えば、ある人が相手を殴ろうとすると、殴られそうになった相手は思わず身をすくめます。それは全く武道経験のない人ほど顕著です。これは、殴られそうになった相手が、殴ろうとする相手の気(最外殻の気)を無意識に感じ取ったためです。

ですから、「最外殻の気」が動くと、よっぽどぼんやりしてる人以外は無意識で反応します。それが「防衛本能」だからです。そのため、相手の「防衛本能」を潜り抜け、相手に「気」を感じられる入る訓練が必要になります。

それが唯一合気道が他の武道と違う点であり、相手との調和を目指す合気道であるからです。以前もお話ししましたが、合気道では「自然」であることを重視します。それは相手にとって「自然」であるということです。

相手にとって「自然」とは、言い方を変えると「防衛本能」を起こさせないということです。要するに「ああしよう、こうしよう」と考えないことで、「最外殻の気」を動かさず、相手の中に入るということです。これが「相手に合わせる」ということであり、相手と一体になるということです。ですから、「相手に合わせる」とは単に、相手の動きに乗るということだけではないのです。

手首取りの技の意義について6

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義について今回で6回目となりました。
前回は、「気の流れ」から出発して、「最外殻の気」をコントロールするのが初歩段階の手首取りだとお話ししましたね。すると、「外殻の気」や「内殻の気」を使った方法があるのかと思われたと人もいるかもしれませんね。

はい、実は「内殻の気」を使った方法も「外殻の気」を使った方法もあります。でも、これについては秘伝でもあるのでお話しする訳にはいかないのですが、もしかすると後日に一部だけお話しするかもしれません。ただ、今日のところは秘密ということにしたいと思います。

ではこれまでのまとめをしたいと思います。手首取りの技の最大の意義として、特に片手取りについては、相手に運動エネルギーを伝えるということです。そのためには、「相手に取られた手首の部分は相手に与えるつもりとなって、動かさずに自ら動くこと」で運動エネルギーを起こす必要があります。
ところが、実際、争いの場面を考えると手首を取らた場合、それだけでは終わらず、次の攻撃が来ることが想定されます。だから、相手に先を取れると、非常に不利になります。
そこで、自分がタイミング的に優位になっておく必要性もありますから、「相手に手を取られるのではなく、相手に手を取らせる」という考えも必要になります。

さらに、自分が動きやすい位置取りをする必要があり、手をだす位置が大切です。例えば、体を変える場合を想定すると、内回りの時は手を出来るだけ外に、外回りの時は出来るだけ内に手を出す必要があるなど、それぞれの状況に応じた手の出し方が大切です。

それぞれの状況に応じるため、「気の流れ」を知るということが大切です。相手の動き、要するに相手の「気の流れ」を読み、その上で自分の「気の流れ」と調和させる必要があります。これが合わせというものです。

以上の点を注意するだけで、相手のコントロールがかなりやりやすくなります。特に「合わせ」として、「気の流れの合わせ」では、相手が自然と流れるよう相手の手を取らせる位置に注意しながら行うと殆ど力を感じず相手を導くことが可能となります。この当たりは気の研究会(現・心身統一合気道)の藤平光一師範の動きが非常に参考になるでしょう。

最後にデメリットをお話ししておきます。こういう稽古をしていると一つ問題が起こってくることがあります。それは、相手もこちらの動きに慣れてくるということです。「気の流れ」を見る相手なら、コチラがどの位置でどう動くかというのが分かります。そのため逆らおうと思えば逆らえます。「人間は慣れる」ということです。これがこの稽古のデメリットです。

手首取りの技の意義について5

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義につい今回で5回目となりました。
前回、「気」の話に触れました。このブログでは以前に、人体の気の構造について説明したことがありますが、初めての読者もいるでしょうから、もう一度、人体の気の構造についてお話ししたいと思います。

ただし、この構造のお話しについては、他の合気道関係者の人に聞いても多分わからないと思います。だから、人に聞くと合気道でそんな話は一度も聞いていないといわれると思います。何故なら、私が師匠から伺った話を自分なりに解釈して、図にしたものです。

では図を示しますと次のようになります。

何故、一般的でないこのような図を皆さんにお見せするかというと、井口師範から教わった合気道では、それぞれの気を利用して技を行うからです。

そこで、詳細は秘伝ですが、少し説明を加えておきます。人体の気の構造を示すと、上図のようになり、人体を境に、外の気と内の気に分かれます。外の気は、外殻の気と最外殻の気に分類できる。また内の気は内殻の気と核の気に分かれます。

核の気は、生命のエネルギーともいえる気で、これが体外に漏れると、心身が弱り、内臓などが傷つきます。強烈な当て身などを受けると、内殻が傷つき、核の気が漏れる場合があり、特に臓器の近くの気を漏らすと、その臓器自体がダメになる恐れがあるので大変危険とされています。

次に内殻というのは、体表を中心に気が流れている部分を言います。東洋医学でいう経絡という気が流れるルートがある部分です。そして、東洋医学では、経絡は各臓器に関連づいているので、経穴、いわゆるツボを鍼・灸・按摩などで刺激して、その経絡の流れをコントロールすることをします。
 一方、合気道では、気の流れを一時的に止める技法を使って、相手を無力化するのに使います。実は、合気道で用いられる特別な力である呼吸力という力は、相手の内殻の気のコントロールすることとと非常に関係がありますが、今回のテーマではないので、その説明は割愛します。どちらにしても、合気道の技では、この内殻の気のコントロールが非常に大きな課題です。

ちなみに、経絡という言葉を使えばいいのに、何故わざわざ別の名前を付けるかというと、合気道の技では、経絡秘孔(いわゆるツボ)を突くとかいうようなことで、相手の筋肉や内臓を破壊するのが目的でなく、一時的に相手の気の流れを遮断し、力を封じるため、詳しい12経絡やそれに関わるツボの位置や秘孔など一々覚える必要がないからです。

次は外殻の気ですが、皮膚の上の部分に存在する空間ということです。合気道の技には軽く触れるだけで相手をコントロールする技術もありますが、実はこの外殻の気を使います。

さらに、最外殻の気です。実は、この性質を知っていて、利用すると非常に相手をコントロールしやすくなります。というのは最外殻の気は、本人の意識に一番影響されやすからです。本人の注意の向くところに集まる性質があり、この気を使うことで相手の隙を誘因しやすくなります。

以上で説明を終わりますが、前回お話しした「気の流れ」というのは、内殻の気、外殻の気、最外殻の気の総合的な流れということになりますが、概ねは最外殻の気の流れですので、最外殻の気についての理解の基本が、初歩の段階の手首取りであるということです。

手首取りの技の意義について4

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義について今回で4回目となりました。今回は「気の流れ」を説明していきます。

実は前回の片手取りの技で、手を持たせる位置が技の種類によって違うという話ですが、これは「気の流れ」を理解するための稽古でもあるのです。

翁先生は、高橋英雄著『武産合気』で次のように言われていたと書かれています。
「真空の気と、空の気を性(さが)と技に結び合いて練磨し、技の上に科学しながら神変万化の技を生み出す。そして練磨するのが武産(たけむす)の合気であります。」

非常に難しい言葉ですのでよくわからないと思いますが、「気の流れ」という点で考えてみましょう。
「気の流れ」というのは、自分の意図がどうあり、自分の意思がどの方向を向いていて、自分の体がどう動くかということです。これらの要素に合わせて「気」が動くものとされていて、気が動くと、それが「気の流れ」となると解釈されます。要するに、自分の動きも、相手の動きも「気の流れ」によって行われるということになります。

だから、「気の流れ」には2種類あり、一つは自分の気の流れともう一つは相手の気の流れです。そして、合気道では気を合わせるということで、自分の気の流れと相手の気の流れを合わせる道であるのです。

だから、「“気の流れ”を考えにいれずに適当に手首をつかませるというのは合気道にあってはならない」と師匠はおっしゃいました。事前に相手の気の流れを感じ、そして相手の気が自分の意図の通り流れるように、相手の気を導く必要があるのです。

「気の流れ」を理解するために、接触時間の長い手首取りの技が合気道では必要なのです。そういった深い意味を考えながら日々の稽古が必要じゃないでしょうか。

「気を流す」稽古は、合気道の片手取りの技が操作しやすいことで初心者には最も適切だといえます。初心者の方だけでなく、「気の流れ」が理解できていない上級者の人も次のことを考えながら稽古してみましょう。
①相手につかまれるのではなく、相手につかませる
②そうすると相手はどう動くか?
③相手をどう導くか?(技まで導くためにはどう崩すか?)