皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、最近、苫米地英人博士の「残り97%の脳の使い方」という本を読みました。
合気道をしていると、同じ技でも先生や先輩はそれぞれ違うことをいうという経験をした人が多いと思います。
本を読んでその理由が納得できたので、それについて今回は書いていきます。
脳にないことは認識できないことが問題
学ぶことの大前提が「人は脳にないことは認識できない」ということです。
何故なら、全ての認識は過去に持っている知識との結びつきで行われるからです。
ということは、何かを学ぶということも、全て過去に持っている知識と結びつけられる必要があるわけです
ですから、人は同じものを見ても、全く違ったものを見ている可能性が大いにあります。
それは特に合気道の場合は顕著に表れます。
何故なら、合気道では、形稽古を行いますが、模擬試合的なことは行われませんので、自分の技がどう効くかというのが中々客観的に理解できないシステムになっているからです。
ですから、武道の経験が全く無い人が、単に形稽古だけ学んでも、合気道の技の核心を見極めるのは、かなり難しいということが言えると思います。
少なくとも、本気で殴られるという経験をしていない人が、本気のパンチを捌くというのは、師範の技を見ただけでできるようになるとは思えません。
元々ある知識に結び付ける
『武道経験のない人は合気道の稽古で実際に使える技を習得するのは無理じゃないか!』と思った人もいるかもしれません。
しかし、秘伝を教わるようになり、秘伝がある程度わかると考えは変わってきました。
井口師範の秘伝のご指導は、体ができるまで、その秘伝を体に叩き込むという方向性で行っていましたので、同じ秘伝を何度も何度も繰り返して分かるまで行う必要があり、非常に時間がかかるものでした。
現在秘伝を教え、すぐに理解してもらえるようになったのは、やはり、様々な文献やジークンドーの稽古などの知識によるところが大きいと思います。
それでも、わかりやすい言葉に置き換える作業にかなりの年月がかかりましたが、特に、ジークンドーの稽古は非常に役に立ちました。
ジークンドーのコンセプトが、ジーとは止める、クンとは拳、ドーは道なので、拳を止める道ということでしたので、合気道の考え方に近かい部分があった上、様々な武道を尊ぶ土壌があり、しかも優れたジークンドー指導者に巡り合ったからです。
そういった出会いのお陰で、不十分だった秘伝の理解が、非常にはっきりとした理論とすることができました。
当会の会員には元プロの総合格闘技選手もいますが、そういった目の肥えた人も納得させられるわけです。
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