皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今このブログでは「気と合わせ」ということから始まり、「気」について様々な角度から述べています。
前回の話では、「気」は物理的な万能のエネルギーと考える多くの方が異を唱えたい気分になったかもしれませんね。
そういう人には僕の主張はかなり歪に聞こえると思いますが、これからその点について徐々に述べてみたいと思います。
達人は「気」を宇宙のエネルギーと捉える
様々な武術や医術や技術を扱う達人は各分野で「気」を使って驚異的な実績を上げています。
武術を極めた達人は、「武術は最後は気」と言われます。
また、病気治癒を得意とするチベット僧やシャーマンも「気」だといいます。
さまざまな分野の達人がすべては「気」をコントロールすることだと説明するわけです。
そういったところに到達した彼らは、口をそろえて「気」を宇宙の根源的なエネルギーと言って利用しています。
さらに高度に技が発達した彼らは「宇宙」との一体を唱えます。
宇宙の根源の気と一体になることで、様々な不可能と思われることが彼らには可能になります。
「気」の限界
ところが、そういったところに到達した彼らは、「気」を使う際に極めて厳格に姿勢について言及します。
特に、身体を極限に強化する硬気功法などでは、心身統一に時間をかけ、姿勢、呼吸などを整え、気を高めてその時点から演武などを行います。
また、「気」を用いて病気平癒を行う治療家家たちも、姿勢、呼吸をととのえ、特別な精神状態に持っていってから施術にあたります。
マンガやアニメでは身体に「気」を集めると、数百メートルの高さから落ちても平気ですが、さすがに硬気功であっても数百メートルどころか数十メートルから地面に向かって落ちるような演武はしません。
これは、経験的に、いくら「気」を巡らせても、「気」の達人ですら身体の限界が決まっているからと考えられます。
もっと具体的な例でいいますと、「気」の達人であっても、物理法則を超えるはずの「気」が扱えても不老不死は実現し難いという事実があるのです。
要するに、荒唐無稽な妄想を「気」に期待しても、物理世界における実現はかなり厳しいということです。
ですから、僕たち普通人が合気道で「気」を扱うとき、あまり荒唐無稽な「気」の思想に囚われていると、全く間違った方向に進んでいる恐れがあるということを肝に銘じる必要があります。
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