皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、最近は「気」について色々と意見を述べているわけですが、最近の記事から、余計に「気」について分からなくなったという人もいるでしょう。
そこで、僕たち一般人が「気」を使うためにはどうすればよいかというのを達人たちの足跡から考えていきたいと思います。
気の達人たちの現状
多くの達人たちの共通は、生まれたときから「気」を自在に使っていたわけではないし、あらゆることを「気」を使ってできるわけでもないということです。
例えば、病気治癒を専門にする気功家は格闘家と闘っても勝てません。
「レイキ」という気による治療の免状を持っている人でも、武道で使う「気」は読めないようで、簡単に技にかかってしまいます。
また、武道だけにしか興味のない武道家は他の人の病気治癒はできません。
当然、武道と治癒のどちらにも長けた達人もいて、その人によれば、同じだと言われます。
同じ「気」を使って、一方では人を助ける力を身に付け、一方では人を破壊する力を身に付けているというのは非常に矛盾しているように思います。
しかし、そういった技術と「気」は別だと言ったらどうでしょうか?
言い方を変えると、そういった技術を「気」で行っているのだと考えられないかということです。
技術に気を通す
彼ら達人たちは、それぞれの道で「気」を使いこなしていますが、それぞれ得手不得手があります。
彼らが「気」を扱えるようになるのにステップがあったということを示します。
話を簡単にするため武道でのステップを示しますと
- 武道の技の鍛錬
- 武技を確実に使えるようになる
- 武技を気で行う
以上のステップで気による操作ができるようになっています。これは前に自転車の習得の段階とまるで同じです。
- 自転車の稽古
- 身体で覚え、ハンドル操作を意識しながら乗る
- ハンドル操作の意識がなくなり、曲がりたい方を見るだけになる
僕はこういった点を考え、才能のない人間が効率的に「気」の操作を行うには、
- 技を理解できるレベルまで抽象度を引き下げ個別に分解する。
- 個別に分解した個別の動作の意図を理解する
- その意図に従い個別の動作をそれぞれ徹底的に稽古して確実にする
- 「気」と結びつけて、全ての動作を統一して一つの技する
以上が大切なのではないかと考えています。
そのため、気の合わせを様々な種類に分類し、それぞれの合わせを個別に稽古し、それぞれの合わせで技ができるようになり、そこで初めて「気」を導入することで、才能のない僕たちが、開祖や井口師範のような達人に一歩でも近づけるのではないかと僕は考えています。
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