井口師範が何故無名か?に答える2

皆さんお元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、前回のブログで、井口師範が無名である理由について触れましたが、それを読んで「井口師範が達人であるなら、何故技を継承する高段者の弟子がいないか?」という疑問をいただきました。確かに他の開祖の直弟子の人たちには技を受け継ぐ多くの弟子がいます。この問いは至極もっともであり、非常に重要であると考えられ、私もその答えをお伝えしたいと思います。これまでこの件については、特定の個人を批判することになるため、口を閉ざしていましたが、今はもうその方も亡くなられたことから、匿名のK氏としてお話しします。

クーデターの勃発

まず、私が井口師範を選んだ理由をお話しします。単に本部直轄の井口道場という名前だけではなく、子供の頃に父から聞いた合気道の達人の話が影響しています。ある日、和歌山場所で和歌山に来ていた力士が飲み屋で暴れ出し、警察官たちが手をこまねいている中、井口師範が現れ、力士を一瞬で制圧したという逸話です。ちなみに警察柔道の高段者が数人かかってもプロの十両力士には歯が立たなかったそうです。父が「いぐっちゃん」と呼んでいたその名をうろ覚えで思い出し、本部直轄井口道場にたどり着いたのが、私と井口師範の運命的な出会いの始まりでした。

1987年、私が井口師範の門を叩いた時、師が直接指導していた道場は和歌山県那賀郡貴志川町(現紀の川市)にある博文館だけで、会員は私を含めてわずか十数人でした。その道場は設立から2、3年しか経っておらず、さらにはそれから3年後ぐらいには大人はもはや館長と私を含め3人になってしまいました。私自身も達人の井口師範がこのような小さな道場で初心者を教えていることに疑問を抱いていました。実は、井口師範は過去に一番弟子のK氏によるクーデターを経験していたのです。

K氏は、ある日、別の場所に移ることになったと称し、井口師範が指導していた弟子たちを連れて行ってしまったとのこと。残ったのは高弟のM氏とO氏の二人だけでしたが、M氏は早くに夭折し、O氏は仕事の関係で合気道を続けられなくなりました。

このように書くと、K氏が狡猾で計算高い卑怯な人物に見えるかもしれませんが、実際には井口師範の指導に対して何か不満を抱いていたのではないかと思います。具体的には、K氏は井口師範が本当のことを隠し、適当な指導をしていると感じていたのかもしれません。

私も井口師範から秘伝の指導を受けたことがありますが、師の教えは感覚的な表現や「こうする」という指示が多く、非常に分かりにくいことがありました。また、前回の指導と真逆のことを言われることもありました。私の場合、達人が言うことだから何かあるに違いない、どちらも正しいのだろうと考え、考え抜いた結果、物理学と結びつけて「陽の技法」と「陰の技法」という理論を発見しましたが、そのとき矛盾に不満を感じていたら、今の自分はなかったように思います。

しかし、K氏は井口師範の教えに対して不満を感じ他の仲間を誘ったところ、同様に多くの弟子がK氏について行ったので結果的にクーデターとなったのではないかと推測されます。井口師範と親密になる折角のチャンスだったのに去っていた弟子たちは本当にもったいないことをしたと思いますが、とくに最も井口師範に近かったK氏は井口師範の後継者となりえたはずで、本部直轄井口道場を発展させられたはずなのに本当にもったいないと思います。

息子が後継者でない理由

私が井口師範の門を叩いた時、師の門下生はほとんどいない状況でした。さらに気になったのは、井口師範のご子息たちのことです。奥様から伺った話では、息子たちに合気道を教える際、一切の手加減せずに教えた結果、心臓に大きな疾患を抱えることになり、運動ができない体になってしまったとのことです。

このような事情から、井口師範の後継者が育たなかったのです。しかし、逆に言えば、私にとっては幸運でした。井口師範の晩年の弟子も少ない中で、過去の失敗から厳しいだけではいけないと改め、師は自分の体得した技術を少しでも伝えようとしてくださったからです。通常なら、私のような者が達人の門下に入っても目にもかけてもらえないのが普通ですが、運命的なタイミングで出会えたことに感謝しています。

前回も説明したように井口師範は何度も表舞台に出る機会を逸してきましたが、それが私にとっては本当にラッキーでした。運命的なタイミングで師匠と巡り合えたことに深い感謝の念を抱いています。今後も、井口師範から教わった技術を後世に伝えられるよう、努力していく所存です。

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「井口師範が何故無名か?に答える2」への4件のフィードバック

  1. 実力と弟子を増やす能力は別ですね。
    橋本先生の話を聞く限りでは、井口先生の道場には足が向かないと思います。
    ただ、出身大学の合気道部初代顧問ということで親近感がわきました。(僕は合気道部ではありませんが)

    1. そうですね。K氏についていったT氏は井口師範の秘伝は全く継承していないですが、マスコミをうまく使い、武道の達人として有名で、一時は県下で500名の会員を有していました。

      一番弟子のK氏が、井口先生の秘伝を十分理解して、師の口となって弟子たちに伝えておれば、あのようなことは無かったと思います。井口師範は体で覚えるタイプであるため、十分納得いくような説明ができなかったのが非常に残念でした。

      また、以前の井口師範の指導であれば、多分私も体がついて行かなかったと思いますが、晩年は、厳しいだけではいかんと、非常に丁寧に全力でご指導いただけました。井口師範には感謝以外の言葉がありません。

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