「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

【相手のフレームの利用】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道に用いるNLP心理学の考えとしてフレームについて最近は話しを進めていますが、今日はもう少し深いところまで話していきたいと思います。


フレームは情報収集の窓口

人は五感を通じて情報を脳に伝えているわけですが、この情報というのは実は非常に種種雑多な膨大な要素を含んでいます。

例えば、何もない真っ白な部屋の中であなたと他人が二人いるとします。すると、あなたの目の前に立っている人を見たとき、その人に含まれる情報だけでも非常に多くの情報があることがわかるでしょう。

その人は、あなたの知り合いかそうでないか?
性別は? 
いくつぐらいの年齢か?
身長は?
太っているか? 痩せているか?
髪の毛の長さは?

:
:

服装は?

と外観だけを上げてもきりがありません。このように、たった一人の人が目の前に立つだけでも、非常に多くの情報があるわけです。

ですから、単に観察するだけであるなら、どんどんと観察していけばいいのですが、人と人が会っているという状況には必ず意味付けがあります。

例えば、そこはカウンセリングルームであなたはカウンセリングに来たクライアントなら、目の前の人はカウンセラーです。ですから何もない白い部屋にいるという意味がでてきます。

それであなたは、何か相談をするという意図があってそこにいるわけです。

このように、状況を判断するというのことで、あなたはカウンセラーを見ていて、いつも相談している人なら、その人に関して、どのような人で、以前どんな方法で相談に乗ってもらったかとどんどんと状況を絞っていくと、自分の状況がわかってきますね。

このとき、その場では意味のない情報、例えば顔にあるホクロの数が何個でどこにあるかなんて全く意識もしないのです。それどころか、実は認識すらしていないのです。

このようにフレームとは物事を判断するための情報を取捨選択する情報収集の窓口ともいえるわけです。


期待というパターンの利用

状況判断によってフレームが決まると、次にパターンが選択されます。目の前の相手に対してあなたの取るべき行動が決まってくるわけです。

しかもその行動は、あなたの中にあるパターンで行われます。如何にそのときに自分の頭で考えて、行動をとっているつもりでも、実はあなたの中にあるパターンを使っているのです。ですからあなたの中にないパターンでは行動ができません。

それはともかくとして、フレームができ、パターンが選択されると、そのパターンで人は行動するということです。

これが合気道で利用できる点になってきます。

例えば、自分が相手に近づこうとモーションを起こします。すると相手は、相手の中にあるパターンを思い起こします。

ところが、例えば殴ろうとして、モーションを起こして相手に近づいたところで、あなたが動画を一時停止するように急に止まったとしたら相手はどう反応するでしょうか?

実は、相手は一瞬何もできず、こちらが一時停止を解除するか、『あれ、おかしい』と理解するまで、こちらと同じように止まってしまいます。

さらに、何事もなく、そのまま相手に攻撃を加えると、相手は途中で止まったことさえ記憶から消えてしまっています。

これは、相手の中に、攻撃はこう来るというパターンがあり、相手の頭の中にある攻撃されるときのフレームは、「途中で意味もなく止まる」というものがないのです。

そのため、脳ではフレームにより無意味な動作を排除して、認知することすらしないのです。

このような仕組みを使って、合気道では入り身など行い、目の前から消えたというような感覚を起こさせたりします。


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【フレームはもろ刃の剣】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、ブログの方を書こうと色々と考えているのですが、最近はネタ切れとNLPのフレームの考え方で自分の捉え方が間違っているという指摘を他の人からもらい、確認をとっていたため、本日書く予定の内容がかけたくなりました。結局、フレームの考えは自分の捉え方でOKでした。

このフレームは、合気道では非常に大切な概念ともなりますので、フレームということを今回は話していきたいと思います。


フレームとは捉え方

何度かこのブログでもフレームということについてお話ししましたが、今回は少し突っ込んでお話ししたいと思います。

フレームというのは、ぶっちゃけると、「ある物事に対してその人はどういう風に捉えるか」という捉え方です。

こういうと、若干誤解を招きますので、もう少しコンピュータサイエンスを使って説明したいと思います。

例えば、僕たちは、ホンモノの車をみても、省略したイラストを見ても、それが車だと認識できます。

ところが、これをコンピュータに認識させようとすると非常に大変なのです。

ですから、そのイラストを見ると、「あっ、これがタイヤだな」とすぐに判断が付きますが、コンピュータに判断させるには非常に大変なプログラミングが必要になります。

これがコンピュータサイエンスにおける「フレーム問題」といわれるもので、フレームの概念がなければ、AIで将棋をコンピュータにさせることすらできません。

その場で、最適解を求めるのはフレーミングという条件を枠を切って絞り、意味付けすることで、そこにある意図にあった最適解を見つけることができるのです。

このフレームを人間は自然と作り出して、物事を判断しているのです。


フレームはもろ刃の剣

ですから、人が目的をもって動くときは必ずフレームが存在します。

ところが、フレームとは、状況から条件を絞るということですから、フレームの中にある条件以外のものは全て見えなくなるという欠点があります。

以前、話題にしたルピンの壺ですが、見方によって、二人の人が向かい合っているようにも見え、真ん中に壺があるようにも見える絵があります。所謂だまし絵というやつです。

人が向かい合っていると脳が判断した途端、壺と見えなくなり、壺だと判断したと途端、向かい合った人が見えなくなります。

このように一つの範疇で物事をとらえたとき、別のものが見えなくなるという現象があります。

ですから、フレームはものごとを判断する基準であり、一方物事を見えなくするものでもあるというもろ刃の剣のようなものでもあるのです。

このフレームというのは、生きている上で常に僕たちの中に存在します。

ということは、武道でも技を行う際には、必ずフレームがあるわけです。ですから、当然、盲点となる部分が現れてきます。

合気道では、相手のこういったフレームに当たるものを巧みに利用することで、力のいらない技術を実現しています。

少し前の記事が理解できないという人がいたので別角度から説明をしてみました。


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【受動的待ちと能動的待ち】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道は受け身の武道と呼ばれることがよくあります。合気道では投げられたときに受け身をとるから、そう呼ばれるのではありません。

見た目が相手の攻撃を受け手から行うから、受動的な武道ということで「受け身の武道」といわれるようです。

ところが、実際は、 見た目は受動的でも、 合気道は非常に能動的な武道です。


受動的と能動的態度では大違い

やる気がある人とない人では、どんなことでも大きな違いがあり、やる気のある人の方がはるかにパフォーマンスを発揮するというのは、経験から誰も異存はないと思います。

これは、脳の活動と非常に関係しているのです。脳の研究で有名な東大の 池谷 裕二 (いけがやゆうじ)教授のネズミのヒゲの話があります。

ネズミのヒゲは、とても敏感で、 人間の人差し指の先くらいの感度があるようです。

それで、ヒゲでちょっと触れただけで、それがザラザラしたものか、ツルツルしたものか、 判断できるようになっています。

それがなぜ分かるかというと、それぞれ触れた場合の脳の反応が違うからです。

具体的には、 ヒゲに対応した脳部位のニューロン(脳神経細胞)の反応の記録をとると、 ザラザラしたものにヒゲが触ったとき、 ツルツルしたものに触れたときでは、 ニューロンの反応パターンが違っている事実が記録されてることからそれが分かっています。

さらに、面白いことがあって、ヒゲに触ろうと、ものを近づけるてヒゲに触れさせる反応より、ネズミが自分からヒゲを動かして触りにくるときの反応の方が10倍ぐらい強いんです。

要するに、能動的か受動的かによって、ニューロンの反応が違うということです。

これは、人差し指で感じながらモノに触れるのと、何気なく触れるのでは感度に差があるというのは誰もが日ごろ経験していますから、当然のことといえば当然なのですが、科学的に記録されたという点がすばらしいと思います。

若い人たちは、精神論に対して、ときどき反抗的になって「証拠でもあるのか?」と言ってきますが、こういったデータがあるということで、客観性があることを示せるのは本当にすばらしい。


私は立っておればよいの真意

合気道開祖・植芝盛平翁先生は次のように言われました。

 *  *  *

相手の目を見てはいけない、
目に心を吸収されてしまう。

相手の剣を見てはいけない、
剣に気が把われてしまう。

相手を見てはいけない、
相手の気を吸収してしまうからだ。

真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。

だから私はこのまま立っとればいいんじゃ。

 *  *  *

この言葉も合気道が受動的な武道と誤解を受けるものです。

これは、ただボーっと立っていると誤解されがちですが、そうではありません。

この引力の錬磨というのは、感覚を鋭敏にして、自分を取り囲む空間全体に神経を研ぎ澄ませ、空間の変化が肌で感じられるような状況を観ることで、目で単に相手だけを見るものではないということを示唆した言葉です。

合気道の待ちは能動的な待ちということです。


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【パフォーマンスを上げる】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回に引き続いて、脳と合気道の関係を考えていきたいと思います。


ポジティブな感情で上がるパフォーマンス

さて、前回は怒りを持つと身体のパフォーマンスが上がるという話をしましたが、知能が下がって、知的な戦略、戦術が使えないということにつながるということでした。

しかし、人間は、怒り以外でも身体のパフォーマンスがあげることができます。

それはポジティブな感情を持つことです。オーリングテストというものがあります。

これは、親指と人差し指か中指をくっつけて、丸を作り、別の人にその作ったリングを両手で切り離してもらうものです。

先ず、ネガティブな言葉を言って、このテストをやってみましょう。すると、パートナーはそんなに力を入れずに簡単にリングを切り離すことができます。

例えば、「私はとても運が悪い。何でこんなについていないんだ。何をやっても上手く行かない。本当に私はダメな人間だ」と3回繰り返してテストをやってみましょう。

パートナーにこのときリングを切り離した力をオボテ貰い、つぎにポジティブな感情を表す言葉を言います。

例えば「私はとても運がいい。何をやってもうまくいく。何をやっても楽しいし、周りの人にすごく愛されている。本当に幸せだ」というのを3回言って、テストをやってみます。

すると、パートナーは先ほどあまり力を込めずに簡単に切り離せた指が中々切り離せず非常に苦労します。

このように、人間はネガティブな感情の言葉を発しているときと、ポジティブな感情の言葉を発しているときでは、筋力も大きく異なります。


元気な身体活動もパフォーマンスを上げる

人はポジティブな感情の言葉を出しているときは、非常に良い身体のパフォーマンスになるということが分かると、言葉の使い方が非常に大切だということが分かると思います。

さらに、言葉だけではなく、「しょぼん」と三回唱えながら、力なくうつむくというのと「万歳」を三唱しながら、手を万歳して、オーリングの実験をしても同じことになります。

このように元気な身体活動も身体のパフォーマンスを上げます。

そのため、日本の武道では、気合いと言って声を出しながら元気に稽古をするわけです。

合気道でも、天の鳥船という船漕ぎ運動がありますが、このときも元気いっぱいにすることで、身体のパフォーマンスを上げているわけです。

それをやって、振り魂という一種の瞑想法を行うことで、集中力を増し、次に行う稽古の準備になるわけです。

合気道には、一見胡散臭そうな、古い時代の稽古方法が入っていますが、実はかなり科学的なのです。


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【怒り? 愛?】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は脳と合気道の愛についてお話ししましたが、今回はさらに踏み込んだ話をしたいと思います。


古い脳ほど無意識に強い作用

合気道で愛を説く理由ですが、これは脳の構造上で非常に合理的だからです。

前にもお話ししましたが、人の脳は、進化の段階で、 生命を維持する脳(脳幹、間脳)の上に感情脳(大脳基底核・大脳辺縁系)が加わり、最後に思考脳(大脳新皮質) が追加されるという形で獲得されてきました。

そのため、新しい脳より、古い脳の方が行動では優先されます。しかも、潜在意識や潜在能力についても、古い脳ほど強烈に作用します。

感情脳は思考脳より強烈に潜在意識や潜在能力に作用するということは、感情が体の状態に影響を及ぼすのは当然のことです。

ところで、脳の構造から考えると、「怒り」の方が闘うというのに優れた感情のように見えます。

何故なら、動物が激しい怒りを感じるときというのは「攻撃」するときです。そのとき、体は相手を攻撃するための準備に入ります。これにより非常に素早い動きが可能になります。

具体的には脳内では、闘うホルモンであるノルアドレナリンが分泌されます。ノルアドレナリンの働きにより、神経が興奮させられ、血圧や心拍数を上げ、筋肉に効率よく血液を運び、体を活性化ることで、攻撃する準備に入ります。

このように「怒り」というのは、闘争のための準備なのです。


何故、合気道では愛を説く?

相手と闘うときは、身体が闘う準備ができる、「怒り」を爆発させた方がいいように思いますが、実は、これには欠点があります。

その欠点とは、怒りを持つと、大脳との接続が気薄になり、思考力が働かなくなる点です。要するに、判断力やIQが下がることで、単純な筋肉の力による闘い方になってしまうのです。

一方、合気道は「相手の土俵で闘わない」という発想で、力と力では闘わず、頭を使って闘うという選択肢をとります。これは、人間独自のスタイルであるわけです。

そのため、合気道ではネガティブな感情を持たず、最もポジティブな感情である愛を持つように言われるのです。

それにより、感情脳の中のやる気脳である側坐核が反応し、A10神経系を通じて、ドーパミンという快楽物質を放出することで、大脳の働きを高め、判断力をより高める手段をとるわけです。

さらに、ノルアドレナリンで身体を活性化するかわりに、骨格構造を活かした素早く反応できる姿勢や、強い骨格のポジションを使うことで対処します。

要は、相手が本能できたら、合気道は頭で闘うという選択肢をとるわけです。

ただし、頭を使うといっても、単に考えて行うというものではなく、状況を判断して的確に技を選んでたたかうということです。


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【脳から見た合気道】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日は脳に関して話を書きたいと思います。


合気道はどうして愛をとなえるのか?

合気道開祖・植芝盛平翁先生は、「合気道とは愛である」と言われています。

これを脳で考えたとき、非常に合理的であるというのが分かります。

というのはまず「愛」とは感情であるということです。ですから、合気道の愛というのは頭で考えた愛ではなく、感じた愛である必要があります。

何故、感情である必要があるのかというと、人間の脳の構造上、思考より、感情が優先されるからです。

人間の脳の進化の段階を考えると分かるのですが、脳を機能的に分けると、まず最初にできたのが生命を維持する脳(脳幹、間脳)、次に感情脳(大脳基底核・大脳辺縁系)、そして思考脳(大脳新皮質)と発達してきているのです。

そのため、思考脳より、感情脳の方が優先される仕組みになっていて、人がコントロールされるのは感情が動いたときなのです。

この原理を知っていると、武道をするにも感情が大切だということがわかります。


明鏡止水の境地はポジティブな感情

ところが、格闘技の試合とかでは、「もっと冷静になれ!」とよく指導されることがあります。

そこで、感情=悪という考えがでてきますが、実はこれは間違いなのです。

というのは、冷静の境地になったとき「明鏡止水の境地」というゾーン体験があられるといわれていますが、この状態は実はポジティブな感情に満たされたときにラわれる状態です。

人間の感情脳には、好き嫌いを判断する偏桃体とやる気をコントロールし、大脳を活性化する側坐核というものがありますが、偏桃体でポジティブな感情が発生するとやる気脳である側坐核がすぐに働き、大脳を活性化し、判断力をあげます。

側坐核が活性化すると、快楽物質というドーパミンが放出されると言われています。ドーパミンが放出されると、快感を脳が感じるようになります。「楽しい、ワクワクする」という状態です。

その快感を感じ極度に判断力が上がった状態が「明鏡止水の境地」なのです。

ですから、好ましい感情を作り出して、自分のやっていることに快感がでてくることが大切なわけです。

それが合気道では好ましい感情を「愛」とよんでいるのです。


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【形稽古とフレーム】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は形稽古の取り組み方について話したいと思います。


ぶつかるときはフレームに嵌っている

NLPは心理療法に一番多く使われますが、そこで大切なのがフレームという考え方があります。

このフレームという考えは、合気道においても非常に大切だと僕は考えています。

どんな物事でも、見方にはいろいろな面があり、ある人は右から見て、ある人は上から見てというように、色々な捉え方ができるのは、読者の方々にも異存がないと思います。

フレームというのは、ある物事に対して、人がそれを理解するのにどんな角度で理解するかということです。

そして、人間はその角度で理解したなら、他の角度に関しては理解できなくなるというものです。

例えば、「水筒にお茶が半分しか入っていない」と思うと足らなくなるか急に心配になります。でも「水筒にお茶が半分も入っている」と思うと余裕がでてきます。

このように同じ現象でも捉え方が違うだけで、全く正反対のことに心が支配されるのです。このように一つのフレームに支配されると、別のフレームでの見方が見えてこないということが良く起こります。

形稽古をしていると、相手はこちらの癖やすることが分かるようになると、ワザと相手が逆らってくることがときどきあります。そのとき相手と力がぶつかり、技が効かない状態になります。

これは、自分はこうするというのが相手に伝わってしまっているのです。実はこのとき、自分のフレームが相手に読まれてそれを利用されているということが考えられます。

言い方を変えると、こちらがこうすると認知した相手のフレーム内で戦ているということでもあります。

合気道の前提は「相手の土俵で戦わない」という考え方をしますが、これは言い方を変えると「相手のフレーム内で決して戦わない」と言えると思います。


リフレーミングと一期一会

僕の師匠である井口師範は「合気道の技は一期一会、同じように見えても毎回違う。精密機械のようにに毎回毎回同じように動いていたら、相手はバカじゃなのだから技にかからなくなる」とおっしゃいました。

合気道開祖である翁先生も、合気道の技は千差万別、無限に技があるというようなことを言われています。

ですから、形稽古というのは、同じ動きに見えて、形にこだわらない自由な発想・自由な動きを得るための稽古ともいえるわけです。

私たちは、ついどれが正しいのかと一つのものに答えを求めようとしてしまいますが、答えはその都度ちがうというのが井口師範の回答でした。

要は、一つのフレームで戦わないというのが形稽古の意義というのとになります。そうでなければ、相手にワザと技にかかってもらうのが当たり前という発想は間違いであるということがわかります。

演武では、技の受けを取る人が、綺麗に見えるように大袈裟にわざわざ技を行う人のために飛んであげたりしますが、これを稽古に用いると合気道が武道ではなくなります。

ですから、相手のためには時には逆らって、あなたの動きは読めますよということを教えてあげないといけません。

そうでないと、自分は強いと勘違いする女性がときどきいますが、そんな女性がもし暴漢に襲われたら、冗談ではすまないことになっちゃいます。

そういうことで、自分のフレームが読まれ、相手のフレーム内で戦っているということがなのだから、自分のフレームを変える必要があるということを知らせてあげるのも形稽古だからできるのです。

NLPではそれをリフレーミングといいます。このように形稽古では、常に自分のフレームを観察し、パターンに陥っていたら、新しい視点でリフレーミングしなおすということが必要になります。


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【形稽古の世界】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、空間感覚の話からその感覚をつかむのに当て身が大切という話をしてきましたが、ちょっとここで記事をまとめてみたいと思います。


虚虚実々とは違う世界

合気道の特徴は、競技武道でなく、形を繰り返し稽古することで技を確かのものにしていく形武道であるという点です。

中国武術では、形を繰り返し稽古する表演派と実戦稽古する実戦派に分かれていますが、試合をしない合気道は表演派と同じかというと、事情が異なります。

というのは、中国武術の場合、表演は一人で行いますが、一般的には合気道の形稽古は相手と二人で行うのが普通です。

ということで、合気道では、技を受ける相手は自分の行う技の手順を知っているという条件で、相手に如何に逆らわれなく技を行うかということが前提になっています。

これはある意味、競技武道よりも難しいのです。

競技武道では、やると見せかけてやらない、左と見せかけて、右を打つなど、虚々実々のやり取りが可能ですが、合気道の形稽古においてはそれができません。

それをやると、結局試合のような形になってしまいます。


相手の土俵で戦わない

武道で、虚々実々以外の方法というのはどういうことでしょうか?

その答えが、合気道では相手との和合を説いたのです。言い方をかえるならば、「相手の土俵で戦わない」ということです。

感覚的には、物理的なぶつかり感を作らないというものですが、実は意識レベルでも相手とのぶつかりを作らないのです。

例えば相手が右手首をしっかり持ちに来たら、通常は相手の力に逆らってしまいます。これは武道をしていない通常の人の反応です。

人間は、無意識的にまず安定を保とうとします。そのため、相手の力に逆らって相手とぶつかることで、一番安定した状態をつくろうとします。

ところが、相手の力が自分より上回っていると、相手の力に引き込まれます。力対力の限界ということです。

合気道の合わせでは、相手との接点を相手に与えてしまうことで、接点の意識さえないような状態にしてしまいます。

そうすると、抵抗がないので「相手は暖簾に腕押し」の状態となりどう力を入れていいかわからなくなります。

そして、手の指先、或いは肘を動かすというように、相手が予期せぬところに自分の意識をもっていくことで、相手はコチラの意図が全く読めなくなります。

その結果相手は、動き始めてそこで、相手の動きが分かるということになるのです。人間には反応速度というのがあって、見た目で判断する場合、それに反応するには0.3~0.7秒かかるのですが、動きが螺旋状の動きをすると、毎回動きが変わるので、相手はその動きに合わせることができなくなります。

ですから、合気道ではぶつかりができると何か間違いがあるとされるのです。


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【空間感覚と当て身】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道では遠当てや合気投げと言われる技術が存在しますが、これらは「気」が充実したときにできる技であると言われています。

「気」が充実するとは、精神が非常に落ち着いていて、 非常に高い集中力を得た状態をさすようです。それはスポーツ界ではゾーン体験といわれる状況に近いと思われます。

では、遠当てや合気投げなど気を使った特殊な技術では、やはりそういった特殊な精神状態に入る必要があるのでしょうか?

今日はそういった面について話したいと思います。


気を使った技術はゾーンと無関係

世の中に、ゾーン状態を作れる人が確かに存在します。特に武道家には多いようです。

ゾーン状態になれば、そういった原理がわからなくても、気を使った技ができるのは事実です。

でも、いつでもそのような特殊な精神状態になれればいいのですが、凡人は10年に一度ゾーン体験ができたら、それで素晴らしい方だといえます。

そのようにゾーンにいつでも入ることができないと、遠当てや合気投げのような気を使った特別な技術ができないのでしたら、多くの修行者にとっては本当に残念なことでしかありません。

しかし、遠当てや合気投げのような気を使った技は、実は原理があり、その原理が分かれば、誰でも高い再現性でそれを再現することができます。

それは、空間感覚を磨き上げて、自分で空間を作り上げ、支配することができればよいだけです。


空間の支配は当て身が基本

例えば、認知科学を応用した空間の支配法というのがあります。それは、手と向かい合っているときに、目の前にお茶が出されていたら、相手が行動する前にまず湯飲みを数センチ移動するだけで、次の瞬間にはその場を支配した状態になるそうです。

合気道でも、空間を支配するための技術が沢山あります。その稽古をするのが遠当てで、その基本が当て身の稽古になります。

日ごろの当て身の感覚を身に付け、相手の反応を誘導する当て身はどういったタイミングで、どういった当て身の出し方をし、どういった感覚をもっているとできるかを思考錯誤で身に付けていきます。

これにより、相手のこの瞬間に、こちらが動くと遠当てができるというのが分かるようになります。

ですから、わざわざ遠当ての稽古をしなくても、日ごろから当て身を技の中に使う稽古を繰り返していると、分かるようになるものなのです。

そのため、形稽古では必ず当て身を寸止めで入れるという習慣が大切です。

ただし、ただ動作として入れるのでなく、空間を意識した状態で当て身を入れる必要があるので注意が必要です。


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【攻守同時の打撃】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は、攻守同時の打撃についてお話ししたいと思います。


受けと同時に打撃を行うことの重要性

井口師範は、合気道の技を行う際、特に打撃に対する受けを行う場合は、かならず受けと同時に打撃技である当て身を入れるように指導されました。

飽くまでも受けと打撃が同時になるように指導されたのです。

これは、合気道では技を行う際に必ず陰陽を理解している必要があり、一つの手に気をまわしているだけではいけないと「右手を使ったならば、左てが遊んでいるようではいかん」と言われました。

これは、中丹田を意識することと、さらには、上丹田を意識する意味があります。

合気道では、臍下丹田である下丹田、中丹田、上丹田の3つを使えるようにしないといけないということです。

下丹田は物理的な力を伝えるのに関係があり、中丹田は左右の手のバランスや骨格上の最も有効な使い方などが関係しており、上丹田は自分を取り巻く空間の認識に関係があります。

このように、受けと当て身、攻守同時の使い方を行うことで、3つの丹田を使うと同時に、空間を意識するという訓練をするようになっているわけです。

ですから、「世界平和を目指す合気道において、人を痛めつけるような技はふさわしくない」とばっさりと当て身を切り捨てることによって、大切な空間感覚を養う訓練も切り捨てることになってしまいます。

概念主義や精神主義に傾かず、本質が何かを探求するのが大切です。


空間を意識する

僕が学んだ井口師範の合気道では正面打ちに対する形では、正面打ちを受けるとともに相手の脇腹に当て身を寸止めで入れます。

これは、無意識で当て身を入れるものではありません。正面打ちを受ける意識と当て身を入れる意識が同時に存在することで、意識は広い空間を感じることができます。

ですから、右手と左手だけを意識するものであってはいけないのです。

例えば、右手で相手の手刀をうけたなら、そこに意識の中心をおいて、さらに意識を左手まで広げます。この意識が大切です。

このように空間を意識する稽古をすることで、空間感覚を養い、自分が空間を支配する側に入ることができます。

空間を支配できたなら、相手の動きが作る空間と自分の空間で陰陽を作って、円転の理によって相手と調和した動きを作るわけです。


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