「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

【目標を定める】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、以前、合気道をしているとよく諸先輩から聞いた言葉に「コツコツと無欲で頑張っていると必ず分かるときがきて、達人のような技ができるようになる」ということです。

しかし、僕は「目標を定める」ことをしないと、技の上達はしないと考えます。

山を登るにしても、どの山に登るかを決めないと、ただひたすら、高い山を目指して登っていても、山で迷うだけで、富士山の頂上にはつけないと思うからです。

ですから「目標を定める」ことは非常に大切だと思うのです。

技は精密機械を組む如し

実は僕はかなり以前機械設計という仕事をしていたことがあります。当然ですが、設計する機械の用途と目的が決まっています。

それに応じて、より精度よく、より低価格に、より速く動くことが要求されるわけです。趣味の世界ではないので、販売する機械は、コストパフォーマンスを上げていく必要があります。

ここに武道の稽古のあり方があると思うのです。機械の設計は、目的を明確にすること、そして、目的に沿った部品の図を描き、それぞれの部品で機械を構成する。

そのためにどんな部品が必要なのか、その部品でどのようなパフォーマンスが出せるのか、など検討し、全体像を作り上げていく。これが機械設計です。

そういった点を考えると、合気道の技一つとっても、プロセスがあり、導入から、合わせ、導き、投げるというように、それぞれのプロセスに必要な要素に分解し、それぞれの要素が調和して機能して初めて技になるのです。

しかし、僕たちはつい投げ技とか、最後の目的に意識がいってしまい、各プロセスにおける要素のことをなおざりにしてしまいます。

ところが本当に大切なのは調和であり、主役が何かではないのです。


才能や体格や年齢を超えるために

形稽古は個々の部品の組み合わせではなく、全体的に練度を上げていく中で、無駄を切り落として、体で覚えていくものだという発想があります。

というようり、むしろ、「理屈はどうでもいい。まず体を動かせ」という人が大多数を占めているかもしれません。

そして、そういうことをおっしゃる人に限って、技の習得が誰よりも早いものです。

でも実はそういう人は、いわゆる、素質がある人です。

しかし、そういった素質は、ルールがある試合などで、非常に有利で、特に、体が大きく、反射神経が発達していて、パワーがある選手の方に有利に働きます。

ところが、そういう発想では、当然、年齢、性別、体格などの限界がでてきます。

僕のような子供のころから青年期にかけて体が弱かったものは武道をする資格がないということになります。

しかし、合気道では、そういった壁を打ち破る考え方があります。

それが「相手の土俵で戦わない」戦い方、相手と調和する技術です。

これを実現するには、やはり精密機械の組み立てのように、設計図に合わせて、個々の部品を吟味し、個々の部品のパフォーマンスをあげ、その上で全体のバランスを整え、技全体のパフォーマンスを上げていく必要があります。

ですから、設計図といえる目標をきっちり定め、全体を調和させることが大切だと思います。


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【井口師範の秘伝は大木】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、井口師範が達人であるのに、どうして世間にあまり知られていないのかとよく聞かれますがそのことについて話したいと思います。


井口師範の秘伝は奥が深い

井口師範は常に秘伝を「氣」で教えて下さいました。ところが、井口師範の秘伝には前後が無いように思われました。

というのは、前回言った内容と、今回言った内容が全く関連性がないように感じるのです。

ですから、氣とはとお話しされた前回のことと、気とはとお話しされた今回のことが、全く相反する矛盾だらけに感じることが多々ありました。

僕は達人・井口師範から教わった秘伝をいつも研究しています。そして、苦労して解析が終わったと思っても、今なお気づくことがあります。

このように井口師範の秘伝の理解には終わりがありません。


大きすぎて見えない木

井口師範の秘伝は、入り口は非常に矛盾だらけで、何を言いたいのかと思えるぐらい訳がわかりませんから、過去に多くの弟子の裏切りに何度かお会いになったのもわかりますが、裏切った人達は、その入り口ですら見えなかった人達ではないかと思います。

僕は、最初に教わった背骨を正す方法のお陰で健康になれたので、井口師範を信頼しきっていたので、自分なりの探求を行うことで、矛盾だらけと思っていた井口師範の指導が実は、氣という柱を中心に、構成されていた一歩の木であるということがわかりました。

あるときは右の枝について話しておられ、ある時は左の枝について話しておられたということに気づくことができたからです。

ただ、枝も木、幹も木、葉も木ということで説明がなされ、しかも非常に感覚的な表現で言われたから理解できなかっただけです。

今、言えることは、井口師範の秘伝は大きな大きな木であったいうことです。

あまり大きな木ゆえに、誤解され、世間から埋もれてしまったのだと思います。


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【気の流れと螺旋形】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、師匠は合気道の極意は呼吸力・気の流れ・螺旋形とおっしゃいましたが、今回は気の流れと螺旋形について話したいと思います。


螺旋形でぶつかりを無くし先をとる

相手と対立する場合、普通人は最も力が入るところで対立をします。

そうすると当然筋力が優勢な方が勝つことになります。

合気道では相手との調和を重んじるということですが、合気道が武道である以上、それと同時に「先」を取ることが大切です。

先とは、先手を取るということですが、相手よりも先に優位に立つということです。

しかし、体力が劣勢なものが、体力の優位なものから先を取るとなると、非常に難しいものです。

そこで、合気道は相手と調和しながら、先を取る技術である「螺旋形」を使います。

螺旋形というのは、移動しながら円運動を描く軌道を取りますから、円運動で相手の方向を変えながら、前に進むことができるわけです。


気の流れとは集中空間の持続

螺旋形の指導を行ったとき、多くの人がやるミスがあります。それは、対立が起こっている点を螺旋で逸らすと、そこで満足してしまうことです。

そうすると、またさらなる対立ができます。そしてまたそこで螺旋で逸らす。という繰り返しを行ってしまいます。

しかし、螺旋の流れができると途切れず、そのまま流れるように進んでいくと、相手に付け入る隙を与えず、技を進めていくことができます。

それが気の流れというものです。要するに、気の流れを起こっているときは、ゼンマイの時計のように、針が動き続けていることで、クウォーツの時計のように針が一秒ずつ止まったり動いたりしないことです。

そのため、常に左右の手のバランスを考え、左右の手に常に意識をもっていくことです。これが観という考えかたです。右手をつかったら左手、今度は右手というのように、意識を切り替えません。

言い方を変えると、観によってつくった自分の空間を持続することと言えます。そしてこの空間が宇宙の中心と感じることで相手は不思議と逆らえなくなります。

気の流れ、合気道では非常に大切な考えです。


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【暴力と非暴力】

皆さん、お元気ですか? 僕はかなり元気です。

今回は、暴力と非暴力の違いの問題について述べたいと思います。


相手の理解とは?

さて、僕が今学んでいるNLPでは、「相手の世界に理解と敬意」という言葉がありますが、このことで僕はちょっと疑問をもっていました。

というのは、理由もなく暴力を振るいに来る相手に理解と敬意をもってNLPで、どう対処するというのかということです。

そんな相手も理解してただ殴られておればよいといいのかという問題でしたが、NLPの使用は、相手と相互理解が必要な場合に、出来る限り相手を理解し敬意を払うというもので、闇雲に理不尽な相手のなすがままにされるということではないということでした。

ところで、現在の合気道では、合気道精神という精神論が先行するため、武道として取り違えというのがあるような気がしています。

というのは、近年、合気道では打撃技である当て身の稽古をあまりしないと聞いているのです。

それは、調和や愛を謳い、世界平和を目指す合気道で、相手を痛めつけるような技である当て身はふさわしくないと考える師範がたくさん現れているからと聞きます。

ところが、合気道の開祖は合気道での愛をときながらも、攻撃技である当て身技を技の中で使うように指導したといわれています。

また、 実戦での合気道の使用には「当て身7分に投げ3分」とまで言われたといいます。

しかし、愛を説く合気道で、開祖の言われた当て身は矛盾していて、合気道にふさわしくないということなのです。


合気道の武道としての意味

僕の師匠である井口師範は当て身は大切と、かなり当身の稽古をするように言われました。

僕が学んだ技術では、距離ゼロの位置から打ち出すパンチから、距離が離れた相手の動きを止める当て身まであります。

このように、合気道の当て身には合気道独自の特別な技術があり、この技術は合気道の独自の世界観を作るのに非常に大切な技術でもあります。

当て身は、前回までにご紹介した、仏教の止と観とよく似た考えにより、相手と自分を結ぶ空間を作り出し、それを媒体として自分・空間・相手を一つにする技術を行うのに必要な感覚を生み出す技術です。

これだけ大切な技術であっても、思想が合わないからと捨ててしまうのは、非常に勿体なし、残念でなりません。

確かに、当て身という技術の目的からすると、確かに相手を痛めつける技術ではありますが、形稽古では、通常は寸止めと言って、当たる手前で止め、実際は当てることがありません。

相手を痛めつける暴力的なものというのは、それは使用する人によるものです。

例えば、当て身を禁じたとしても、四方投げでも、入り身投げでも、相手を頭から落とせば、殺人技になります。

このように考えると、もはや合気道の投げ技すら暴力と言わざるを得なくなります。そうすると、皆仲良くと説くだけが合気道ということになってしまいます。

極端なことを言えば、鉛筆でさえ殺人の武器になります。長い鉛筆をしっかりと握り、相手の目玉を突き刺し、そのまま脳に到達させれば、人は死ぬと言われています。

すると、同じ精神論でいくと、世の中から、ボールペン、ペン、鉛筆などすべて消してしまわないといけないという発想になるのではないでしょうか?

思想として頭で考えるのではなく、何が必要かという点から技を吟味するのが大切と僕は考えます。


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【宇宙と開祖】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回のブログは、止観から始まって、宇宙と一体となる合気道の宇宙観は如何でしたか?

達人・井口師範の世界観少しは分かっていただいたのではないでしょうか?


宇宙と一体になるとは宇宙創成

前回までの内容でわかったと思いますが、宇宙の気と一体になるというのは、自ら宇宙を作って、それと自分と相手が一体となることをさしました。

そして、自ら作った宇宙空間が宇宙の中心とすることで、我と相手と宇宙が一体となり、すべて気が一つとなる気結びができます。

しかも、この感覚は、井口師範の技を受けた人でないと分からないものですが、この思想は単なる思想ではなく、技術として成り立っているところが井口師範の合気道なのです。

そしてこの創成した宇宙空間の用い方が井口師範独自のものがありわけです。

その空間の使い方で、相手との距離がゼロの状況から、相手と空間的な隔たりのある状況まで、相手に打撃や気を当てる方法があります。

すべて、技術的に誰でもできるものです。


開祖の話を技術的に解釈する必要もある

このブログで何度かご紹介した開祖の話で、

「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

というのがありますが、これは井口師範から教わった、空間感覚(宇宙創成)の技術を言ったものと解釈できます。

先ず、自分があり、そして宇宙空間を創成し、一体となることで、相手を吸収する引力を起こす場ができます。

大切な点は、自分という中心を失わず、宇宙と一体となって、さらに相手をその中に吸収する動きを作ることです。

さらに、秘伝の話をすると、前半のくだりは、合気道独自の目の使い方で、後半はその目の使い方を前提とした宇宙の創成の原理を言っていると考えられます。

このように、開祖の話はかなり抽象的で分かり難いが、井口師範の秘伝が分かっているものには非常にしっくりくるものです。

開祖の話は、宇宙や神が突然でてきますが、それは同時に技のノウハウをいうこともあると思います。

ですから、開祖の話が分かり難いということで、大本教を研究する人もいるようですが、もしかすると技から解釈を考えた方がよいのかもしれません。


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【宇宙と一体となる稽古法】

皆さん、お元気ですか? 僕はかなり元気です。

さて、前回は宇宙と一体になる技術ということで、大まかな説明をしましたが、かなり理解が難しかったのではないでしょうか。

今回は、もう少し具体的な稽古法を紹介したいと思います。


先ずは簡単な動作から始める

合気道では形稽古を行いますが、決められた形稽古から、宇宙と一体になる意識を入れていくのは、かなり高度で、多分僕たちのような凡人では、決して入れていくことができないのではないかと思います。

そこで、技をもっと単純化して、宇宙と一体になるための稽古が必要になります。

そのため、井口師範のご指導では、まず相手と接すると、当て身を入れるというところから始まります。

その基本動作として、まず向かい合って、受け攻め同時動作というものを稽古します。

これは右手手刀で相手の右手手刀を上段で受け、左手で当て身(パンチ)を入れ、次に左右の手を入れ替えることを繰り返す稽古です。

この稽古では、相手も自分も全く同じ動作を行いますが、意識は相手と接した手刀受けの接点に意識を集中するとすぐに、意識を広げて当て身を当ての脇腹に寸止めで入れるという稽古になります

これにより、止と観を意識する訓練とするわけです。

そして相手と自分の接点が宇宙の中心、それを別の手に広げて当て身を入れつつ、相手全体に意識を広げるというものです。


技に応用していく

先ず、中国拳法でいう推手という稽古法に似た形から始めます。

合気道では、一教といわれる腕押さえから、この意識の稽古を行い、慣れるにしたがって二教、三教、四教、四方投げ、回転投げ、小手返し、入り身投げとドンドンと技を変えていきます。

そこで一教で説明していきます。

相手の右手と自分の右手を交差させます。取り(技を行う人)は、交差して接した点を強く意識します。これが止です。

次に、左手で相手の脇腹に当て身(パンチ)をいれます。と言っても稽古ですので、寸止め、要するに相手に当たる前に留めます。

この際、最初の接点から意識を外さず、意識を広げるようにして、左右の手を同時に意識します。ここより観が始まります。

さらに、相手の脇腹にいれた当て身の手から意識を外さず、すぐさま、その手を上方に移動して、相手の二の腕を掴みます。

このとき、最初の接点の意識が薄れ、相手への圧力が一瞬緩む人がいますが、これは注意しないといけません。

井口師範のご説明では、「宇宙の中心は不動である必要があり、宇宙全体からみると、宇宙の中心の突然の変化というのは不自然である」からといわれました。

早い話が、意識の中心が抜けると、隙ができ、相手の乗じられるのです。

そして、相手の強弱に応じ、右手と左手の両方を適切に使うことで、相手の腕を押さえていきます。

相手が腑抜け状態なら、肘にある手が重要で、相手のが逆らう場合は右手が重要になります。要するに何事も、バランスが大事ということです。

ただ、演武だけの合気道の人の場合、肘の手だけが大事と教えますが、演武は相手が協力してくれるからで、見た目綺麗に見えるためです。やはり左右のバランスを考えた動きが大切です。

以上の動作で止観を入れて、左右の手のバランスをとりつつ宇宙を意識していきます。


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【宇宙と一体になる技術】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は、止・観という話をしましたが、この止・観は合気道の中でも生きているという話でした。

今回は、その止・観を使って、宇宙とどう一体になるのかということを書いていきたいと思います。


止と宇宙の中心

この話は、実際は合気道の高段者向き内容になるので、もしかするとほとんどの人は意味が分からないかもしれません。

しかし、宇宙と一体になるというのは、単なる概念論や精神論ではなく、純然として技の中に存在する技術であるということが分かっていただければと思い書いて行きます。

先ず、合気道で技を行う際、合わせというのが非常に大切になりますが、これは気に合わせるということです。

気に合わせることを合気道では気結びと呼びます。それで合わせる気というのは何かというと、自分の気、宇宙の気、相手の気の3つが一つになるということです。

宇宙の気といわれると、かなり抽象的だと思うかもしれませんが、分かりやすく言えば、相手と自分の間の空間、これを宇宙と捉え、この空間に気が満ちていると考えるわけです。

ですから、合気道の合わせというのは、己、相手、その間の空間の3つの要素を考え、調和を取るというものです。

こういうと、宇宙というものがかなり身近に感じられるのではないでしょうか。


技にどう活かすか?

合気道の合わせは3つの気の調和ということが分かったと思いますが、これは言葉の遊びでも、概念論でも実はなくって、実際にこの考えを技に適応していきます。

具体的には、次の手順で3つの気を合せます。

  1. 自分と相手とその空間を意識する
  2. 相手の攻撃の兆しを感じる
  3. 相手の気に合わせながら、入り身を行い、相手と接する
  4. 相手との接点を宇宙の中心と考える
  5. 接点を意識しつつ、意識を広げる。
  6. 意識を、自分、相手、空間と3つに広げ技を行う。

先ず、自分と相手とその空間を意識します。そして相手の気の変化に応じて、空間の変化を感じます。

これが、兆です。相手の変化が出た瞬間、兆がで、相手が微妙に変化することで、空間の変化がわかります。

すぐさま、自分はその変化に乗って、入り身して、相手との接点を作ります。

その接点が宇宙の中心となりますが、この宇宙の中心を意識するのが止です。

止は一瞬で、すぐに観して、意識を次の動作に広げていきます。そして、意識はどんどんと拡大して相手全体を包み込むまで意識を広げながらも、自分の動きを止めず、技を行います。

以上が、合気道の宇宙の気に合わすということです。かなり高度な意識操作が必要で、この操作は指導を受けないと、ピンとこないと思いますが、やってみると成る程とおもうものです。


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【相手と一体となる止・観】

皆さん、お元気ですか。僕はかなり元気です。

さて、今日は、仏教の瞑想法に止観というのがありますが、この考えは、合気道で相手との関係を成り立たせるのに非常に共通するものだと思っているので、今日はそのことをシェアしたいと思います。


止観

仏教の瞑想法で止観というのは、2つ瞑想法を指したものです。仏教では瞑想を止と観の2つに分類します。

止とはサンスクリット語ではシャマタといい、心の動揺をとどめて本源の真理に住することしています。

また、観とはサンスクリット語ではビパシャナといい、 不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察すること であると言われています。

このように説明すると非常に難しいので、もう少し簡単に説明すると、止とは心を一点に集中させて、全く散乱させないことで、観とは現前の境界を離れて、様々な想いを巡らすことです。

言い方を変えると、止は一点集中、観は広い集中ということができると思います。

ちなみに、止というのは、禅宗の禅のことです。天台仏教では魔訶止観といって2種類の瞑想を行っていましたが、止だけを行う仏教の一派が禅宗となったようです。


合気道での止と観

合気道では、相手と一体になるようにとよく言われます。

単に、相手と一体になるというだけでは、色々な誤解が生じます。

例えば相手と一体になるといっても2種類考えられます。

  1. 相手中心の場合の一体
  2. 自分中心の場合の一体

そしてよく誤解されるのが、合気道は相手に合わすのだから、相手中心の一体で、相手があって自分があるという立場をとることです。

この場合、自主性をすべて放棄し、相手に任せることになります。要するになすがままになるということです。これでは自分を守ることはできません。

合気道は、自分が中心です。こういうと自己中と思われるかもしれませんが、全くその通りで、自分が中心になって相手を思うようにするのが合気道の一体です。

そこで、開祖は、合気道は引力の錬磨であるといわれています。

これは、自分が宇宙の中心になり、自分の引力で相手が自分に吸収され、ついには一体となるということになります。

それで、まず自分の中心を決めることが大切です。これが止といえます。宇宙の中心である自分の中心は不動とするわけです。

そして、引力により相手が自分と一体となり、相手もまた宇宙の一部とするわけです。

これが合気道の一体です。このとき、自分の中心から、意識を広げ自分を取り巻く空間、さらには相手へと広げていいくわけです。

この発想が我即宇宙という合気道の考えであり、宇宙の気と一体となるという考えです。

そして、面白いのは、単なる思想だけに終わらず、この考えが合気道の形の中に活かされています。


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【護身は安全確保】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

本日、女性の体験者が来ました。女性の視点は非常に護身術を考えるのに役に立ちます。

今回はそういった女性視点の護身術ではどう考えるべきかという点を述べてみたいと思います。


護身の基本は安全確保

護身で大切なのは、如何に相手を制するかではありません。安全確保をどうするかを考えるべきです。

護身術はまずは予防で、次に最悪の場合に対する非難訓練というつもりで学ぶ必要があります。

サイフの中の5000円が惜しくて、ナイフで刺されたら意味がありません。

また、女性の場合、夜間、見知らぬ男性と一緒にエレベータなどに乘らないというように、危険に近づかない予防の意識が最も大切です。

知らない旅行先などでは、例えば、サイフを2つもつというのも予防につながります。

さらに、一人で歩くなら、持ちもので武器になりそうなものを考えておくのも大切です、

その上で最も大切なのは暴漢は突然暴漢になるのではないということです。

暴漢は相手を物色し、行けそうと思った相手を狙います。要するに狩りです。

当然、そういった相手は、狙った獲物にターゲットを絞ってやってくるため、離れている時点から周りの人とは違ったリズムをとって近づいてきます。

そんな際、いち早く気づき、相手を自分の近くに寄せ付けないという注意力は必要となります。

出来る限り、相手と争わず、安全確保をすることが最善の護身です。


護身術は火災訓練と同じ

どんなに注意して、予防対策をしていても、火事に巻き込まれるケースがあるということで、火災訓練を学校や会社ではおこないます。

それと同様に、護身術では被災訓練として、技の稽古をするわけです。

そこで護身術の訓練を行うときは、暴漢に遭うという想定のもと訓練を行う必要があります。

そこで、まず大切なのが、相手との距離を知ることです。

基本的に安全距離というのは、12メートル以上離れている場合です。いくら、子どもであっても12メートル離れていると、十分に逃げる余地があります。

微妙なのがその半分の6メートルです。足に自信がある相手だと追いかけてくる距離です。

しかも、相手と反対方向に逃げる場合、ターンするだけで1秒近くかかりますから、気が付けば相手は4メートルぐらいまで近づいている恐れが十分にあります。

ですから、距離をできるだけ保てるように意識しながら、6メートル以内に近づけないという意識が大切です。

そして、最も危険な距離は2メートル以内です。真面目な人は、相手が暴漢であっても、話をするために、馬鹿正直に相手のコミュニケーション距離まで近づく人がいますが、これは非常に危険です。

最低限2メートルは確保しないといけません。そして2メートル以内になりそうな場合は、何を武器にするかを考え、用意しておく必要があります。

もし武器がないのなら、相手と刺し違えるつもりで、相手の目を思い切り指先で付くことにフォーカスして、近づけば目をつぶすというぐらいの気持ちが必要です。

人間は、相手が目を狙っていると、不思議と無意識にそれを察知し、近づくことをためらってしまうものです。

そのため、とにかく、腕力を必要としない効果的な攻撃法を覚えておくことが大切です。


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【打撃パターンを分析する】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回はNLPのプログラム、パターンについてお話ししましたが、今日は一般的な打撃について一般的パターンを解析したいと思います。


打撃の典型的パターンと対処

先ずは打撃技をしようとした人の内部でどのようなことが起こっているか、その典型的パターンを考えていきたいと思います。

先ずは、人の顔を殴るという行為に関して考えていきましょう。

  1. 最初に、相手の顔面を殴ろうという思いが出ます。
  2. その次の瞬間、殴ろうとする相手の顔面に狙いを定め、ロックオン
  3. さらに、タメを作って振りかぶります。
  4. そして、相手の顔面に向けてパンチを放ちます。

この4つの動作を気で見ていくと

  1. 意が出ます(意図を持ちます)
  2. 意によって気が差します。(兆しがでます)
  3. 気を肉体に溜めます
  4. 気をパンチと共に打ち出します。

通常、素人と武道家の違いは3の時間にありますが、通常のパンチでは必ずタメるということが必要になります。

人は目で見て反応するには0.3秒~0.7秒かかると言われていますから、いくら動体視力が良くても4の段階で避ける動作をしていては間に合いません。そこで、通常は2でターゲットを読み、3のタメの時間を利用して相手のパンチを避けるように動きます。


合気道での対処

合気道ではどうするかというと、基本は、相手の兆しが出た瞬間に動きます。

そして、その動き方に3種類あります。

  1. 気に当たる
  2. 気に当てる
  3. 気を導く

気に当たるというのは、兆で気が差した瞬間にその気の方向にターゲットを差し出すように入って行きます。

実は、パンチが当たるというのは、この兆しの気の差した気に対して、当てる方は『当たった』と確信し、当てられた方は『殴られた』と知覚してしまう関係がタメの段階で生じています。

ですから、ボクシングなどでは、殴ろうとする側が意図せずに出したパンチに殴られた側が当たってダウンする場合、ラッキーパンチと呼びます。

要するに「当てた」「当てられた」という同時に成り立つ関係が起こらないのをラッキーパンチというわけです。

そこで、合気道は、意識的に当たりに行くことで無理やり「当てた」「当てられた」という関係性を気が差した段階で構築し、その後はパンチには当たらないようにするわけです。

さらに、気に当てる場合は、まさに相手の兆しの気が差す瞬間に、自分の気を相手に当てる動作をします。

すると、相手は気の差すのを一瞬止めてしまいます。そこに隙ができパンチが来る前に相手を制することができるわけです。

さらに、気を導くというのは、相手が出した兆の気を掌で受け止めて、ターゲットをロックオンした位置を無理やり前にずらせます。

するとフック系のパンチが襲ってきても、そのパンチはターゲットよりもかなり前で空振りをしてしまいます。

合気道の場合は手刀ですので、掌で手刀を受けるわけですが、そのまま導いて、投げ技などにつなげるわけです。

以上のように、相手のパターンを分析して、自分の武道にどのように活かすかを考えると、防御もかなり変わってきます。


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