「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

【片手取りは相手に掴ませる】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道では片手取りという相手に片方の手首をつかみにきた場合に対する技を稽古します。

そして、片手取りが合気道の基本の根幹を示す技だと説明されます。今回は片手取りの際の心構えについて話したいと思います。


片手取りは本当に実戦的?

2チャンねんるや5チャンネルで時々、「実戦でただ単に手首を持ちにくる奴はいない」という人たちがいます。

その人たちの意見は、「例え手首を持ったとしても、それは次の動作につなげるためのものだ。女・子供をに無理やり拘束するために手首をつかむ際でも、やはり次の動作として引っ張る行為が入る」ということです。

非常に真っ当な意見だと思います。この意見に合気道修行者が問題にすべき点が入っています。

片手取りの際、技の掛け手はどうしても受け身になる傾向があると思います。

ところが、武道として考えたとき、大切なのは先手を取るということです。

武道では先手には、先の先、後の先、先々の先と3種類あります。後の先や先々の先は見た目タイミング的に受け身に見えます。

しかし、飽くまでもそう見えるだけで、相手を捕えているという点では、先手をとっているのです。

そこが、武道としての合気道の大切なポイントとなります。


片手取りは合気道の根源

片手取りであっても「先」を考える必要があるということが理解されたと思います。

井口師範は、「相手に掴まれたら、終わっている」と言われました。

要するに、相手に掴まれるというのは、相手が武器を持っていたら相手に刺されるということです。

相手に刀で腹を刺されてから技が始まるという人がいたら頭がおかしいと誰でもが思いますが、片手取りになった場合、まったく不思議に思いません。

これは私たちが安全な日本に住んでいるため、掴まれてからでも何とかなると思う思いがあるからです。

相手にちょっとでも隙を見せたらやられるという状況で相手に掴まれるようなことは非常に危険です。

そういった考えで片手取りを行う必要があります。そうすると井口師範のおっしゃる「相手に掴ませる」という表現の意味がわかるのではないでしょうか。


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【合気道で愛を説くのは?】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、武道をしていると、出来る限り感情を押さえ、冷静な判断をすることを要求されます。

とくに武道では明鏡止水の境地といって、感情が静まって、非常に集中した状態を目指すわけです。

ところが合気道では、まず最初に愛をもてと説明され、感情を否定しません。今回は、感情について述べたいと思います。


そもそも何のために武道をするか

武道をしている人はそれぞれ目的に違いはあると思いますが、少なくとも自分のやっている武道が最も好きであることは間違いがありません。

この好きということも感情の一つです。

そこから導き出せるのは、自分が大好きなその武道でこうありたいという姿があり、それを目指してやっているということが言えます。

こう考えていると、武道を続けること自体、ある種の感情があるから続けられるわけです。

しかし、一般的には明鏡止水の境地を得るため、無欲で一切の感情を捨て去らないといけないと教えられることが多いと思います。

明鏡止水の境地はスポーツで言えば、ゾーンに入るということですが、ゾーンに入った多くの人からは、深い集中、最高のパフォーマンス、そして至福感が報告されています。

というと、特別な状態に入ると特別な幸福感という感情が得られるということを示しています。

合気道では、ですから、この特別な状態に入るためには、感情を殺さず、ポジティブな感情を持つ必要があると説くわけです。

それで、合気道開祖は「合気道は愛」といったのです。


ポジティブな感情を持つと?

NLPの研究では、ポジティブな感情を持つと人間のパフォーマンスが非常にあがる言っています。

そのため、時として、クライアントに感情の結果をしめすため、様々な試みをさせます。

例えば、クライアントにオーリングというものを行うことがあります。オーリングというのは親指と人差し指を輪上にして、いわゆるOKの仕草です。

さらに、 ネガティブな言葉を言ったときとポジティブな言葉を言ったとき、それぞれの場合で このオーリングを作った親指と人差し指をパートナーに切り離してもらうように指示します。

するとポジティブな言葉を言った後とネガティブな言葉を言った後では、パートナーの切り離すのに必要な力が数倍以上変わります。

さらに、肉体だけでなく、知性を示すIQも極端に変わることが実験で報告されています。

このように感情は私たちの体や頭と密接につながっているのです。

ですから、「合気道は愛」といって、ポジティブに感情を使って身体のパフォーマンスを上げることを指導するわけです。


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【フレームを知る】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回はNLPのリフレーミングを武道に応用することについてお話ししたいと思います。


フレーム

武道では、技の稽古として、同じ動作を繰り返して、技の練度を上げていくことをします。

要するに、技のパターンかを行い、無意識レベルでそのパターンを呼び出せる状況にするわけです。

日常のことを例にとると、例えば自転車というのがあるが、小さいころ自転車に乗れるようななるのにかなり練習をしたと思います。

しかし、自転車に乗るのに慣れてしまえば、考え事をしながら街を自転車で運転しているようになります。これがパターン化です。

このように動きの練度を上げ、パターン化してしまえばいつでも好きな時にその技術が使えるようになるのは誰でもわかっていることだと思います。

ところが、パターンとなったものには限界があります。

例えば、同じ二輪車でも、エンジンのついたバイクに乗る場合、自転車と違ったパターンが必要です。

いくら自転車に乗れるからと言って、初めてのエンジンのつたいバイクにのるのは誰でも難しいものです。

当たり前のことと思われるかもしれないが、パターン化されたものには限界があり、それをNLPではフレームと呼びます。

何度も本ブログで例に出しているルピンの壺がありますが、あれも一つのパターンに嵌ると、もう一つのものが見えなくなる例なのでよくよく覚えておいていただきたいと思います。

要するに人と壺を同時に認知できないというのがフレームだということです。


リフレーミング

武道では、様々な技術を何度も繰り返してパターン化しますが、そのパターン化されたものに問題があれば、それを修正することはよく行います。

しかし、そのパターン化されたものの自体は効率的に変更しても、フレームにフォーカスして修正するということはあまり行われないように思います。

それは、武道の技術を動作として見ていて、心理的な要素を考えないからです。

ところが、合気道では、「相手の土俵で戦わない」を旨として、かなり大きな部分で心理的要素を含んでいるので、フレームに対してかなり注意が必要です。

そのため、相手の攻撃パターンのフレームがどうなっているのかを考え、そのフレーム外のことを相手に仕掛けることで、「相手の土俵で戦わない」ことを実現できるのです。

その点をよくよく考えて、技の受け手が行う攻撃パターンを分析しておくことがとても大切です。

合気道には、「当て身のような人を痛めつけるような技は世界平和を目指す合気道にはふさわしくないので、稽古する必要が無い」と、正面打ちや横面打ち、正面突きのやり方すら一度も稽古したことのない人がよくいますが、その点についてよくよく考えておく必要があると僕は思います。

そういった稽古方法では、相手の攻撃パターンにフォーカスがないので、打撃系の武道をかじった人の攻撃は避けられないという現実にぶち当たるからです。

ですから、自分の技の中のフレームにそういったものがないと、リフレーミングして、攻撃パターンに対処できるようにする必要があるのです。


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【できる人は分かっていない】

皆さん、お元気ですか。僕はメチャクチャ元気です。

実はさっきまでオンラインのコーチングの講座を受けていたのです。

その中でNLPの話がでてきてました。今回はそのことで話を進めたいと思います。

NLPの研究は成功者の思考の研究

NLPでは、実は カリフォルニア大学の心理学部の生徒であり数学者だったリチャード・バンドラーと言語学の助教授だったジョン・グリンダーの二人が成功者3人の思考の研究から始まったというこということです。

ところが、成功者というのは実は何故自分が成功したのか実は分かっていないという話でした。

それを研究し、共通項を見つけることで、NLPが完成したということなんです。

ですから、NLPは達人の研究には持ってこいなんだと自分では納得してしまいました。

まさに井口師範の言動を思い起こすと、全く何をいっているのか、僕は当初まったくわかりませんでした。

そして井口師範も、何故自分ができるか分かっていないところがあり、突然「時間を止めよ」とか「気が来るのがわかるやろ」とかよくいわれましたが、どうしたら気が来るのが分かるのか、時間をどう止めるのかについては、「そう思えばそうなる」「気が分かればできる」というだけでした。


達人の技にも原理は必ずある

井口師範は、「すべて気や」とおっしゃられた上で「時間を止める」とか「気をキャッチして、気を導くだけだ」とかご指導いただいたのです。

気で「時間を止める」というと、ジョジョの奇妙な冒険のザ・ワールドという超能力を思い出した読者もいるでしょう。

「気でそんなことができるのか」と驚かれたと思いますが、物理的にそんなことできるハズはありません。

ただ、相手の時間がとまったように感じる。というか、相手の動きが一瞬止まるというもので、井口師範ほどの達人になると相手が動作が一瞬止まったのが本人も気づかないというものでした。

現在、僕がやると、相手の体が一瞬止まってはしまうのですが、止まったのを悟らせないというのは少し難しいです。

しかし、技術的には、心理学というかNLPの技法の応用のようなことを行うだけで、そのようになるのです。

ですから少し稽古すれば誰でも可能な技術であり、ちゃんと原理があるのです。

ところが、そういったことを簡単にやってしまう達人は、何故それができるかわからないのでだけで、ちゃんと原理があるということです。


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【健康を考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

僕は若いころ非常に体が弱かったということを、このブログで何度か述べていると思いますが、過去を振り返りながら今日は健康に関して書いて行きたいと思います。


幼少からの身体の不調から解放

僕は子供のころから体が非常に弱く、ちょっと運動しただけで、貧血を起こし、目の前が真っ白になってくるぐらいでした。

健康な今だからいえることですが、幼児期から青年期にかけての当時の自分の状況を端的に表現すれば、重力が今の5倍ぐらいあるような感じだったと思います。

僕はそれまで、病院を始め、漢方薬を始め、ヨガをはじめとする健康法など様々なことに挑戦しましたが、どれも身体が軽くなることはありませんでした。

特にヨガは、何冊も本を読んでこれ以外ないと、すがる思いでヨガ教室に通い始めたものでした。

それで体が楽になれるのならと、必死の思いでヨガの稽古を続けました。

そして、1年以上つづけたところ、身体は以前にも増して固くなり、インストラクターに自分ではどうすることもできないので、本部の合宿に参加してはどうかと言われました。

これが本当に最後だと思って、僕は両親に我がままをあまり言えなかったが、これだけはとお願いして、高い費用を払って参加しました。

ところが、そこは地獄のような訓練が朝から晩までつづくようなところで、体の弱い僕にはとてもついていけるところではありませんでした。

結局、身体を健康にすることなく、僕はヨガを離れました。

そんな僕は、日々体の重さを感じながら早死にしてしまうのであろうなと考えながら生きていました。

ところが、ある日、僕は電車の中で理不尽な暴力に遭い井口師範のもとを訪れました。

僕は、井口師範から背骨の矯正法を学び、これを実践することで2年もしないうちにその苦しみから解放されました。


体の緊張が病気を作る

ストレス学説というものがあります。飽くまでも学説ですが、病気の99%はストレスが原因というものです。

僕もかなりそれが正しいのではないかと最近思うようになりました。

先日、実は胃が重く痛みがあり、ふと自分の胃当たりを軽く触れてみると、筋肉の一部が緊張していることに気づきました。

僕は、ユックリその筋肉を揺らすことで気を送り、筋肉を緩み手みると、ビックリ! 胃の痛みが一瞬で無くなりました。

以前読んだ医学関係の本で確か、内臓には痛覚神経がないので、胃など切り取っても、指の切断のような痛みは感じられないと言われています。

また、以前 に肋間神経に ヘルペスを患いましたが、このとき心臓がやたら痛いと感じたものでしたが、実際は体表の神経が痛んだだけで、心臓が痛いと感じただけのようです。

このように、内臓の異常は体表に現れ、体表に異常があると内臓が悪くなるというフィードバックがかかるのではないかと思われます。

すると、体表にある筋肉を緩めることで内臓の異常もある程度は抑えることができるということがわかります。

そういった観点から見ると、針で病気を治すというのも、筋肉を緩めるということで異常を無くしている例だというのも理解できます。

さらにもう一点大切な点は心理状態もあげられると思います。

今、学んでいるNLPでは、「不幸を意識するから不幸になる」ということを教えていますが、健康になろうとすることで、僕はいつも『自分は体の調子が悪い』と意識していたから、ヨガで失敗したのだと思います。

合気道は、技を習得したいという言う意識でやっていたことも健康につながったのだと考えています。

以上から、僕が健康になったのは、そういった点から考えると

  • 背骨をコントロールする意識で、体の筋肉が緩んだこと
  • 合気道の稽古と思ってすることで、不調を感じる意識を体の苦しさから切り離したこと

以上が原因と思われます。


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【目標を定める】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、以前、合気道をしているとよく諸先輩から聞いた言葉に「コツコツと無欲で頑張っていると必ず分かるときがきて、達人のような技ができるようになる」ということです。

しかし、僕は「目標を定める」ことをしないと、技の上達はしないと考えます。

山を登るにしても、どの山に登るかを決めないと、ただひたすら、高い山を目指して登っていても、山で迷うだけで、富士山の頂上にはつけないと思うからです。

ですから「目標を定める」ことは非常に大切だと思うのです。

技は精密機械を組む如し

実は僕はかなり以前機械設計という仕事をしていたことがあります。当然ですが、設計する機械の用途と目的が決まっています。

それに応じて、より精度よく、より低価格に、より速く動くことが要求されるわけです。趣味の世界ではないので、販売する機械は、コストパフォーマンスを上げていく必要があります。

ここに武道の稽古のあり方があると思うのです。機械の設計は、目的を明確にすること、そして、目的に沿った部品の図を描き、それぞれの部品で機械を構成する。

そのためにどんな部品が必要なのか、その部品でどのようなパフォーマンスが出せるのか、など検討し、全体像を作り上げていく。これが機械設計です。

そういった点を考えると、合気道の技一つとっても、プロセスがあり、導入から、合わせ、導き、投げるというように、それぞれのプロセスに必要な要素に分解し、それぞれの要素が調和して機能して初めて技になるのです。

しかし、僕たちはつい投げ技とか、最後の目的に意識がいってしまい、各プロセスにおける要素のことをなおざりにしてしまいます。

ところが本当に大切なのは調和であり、主役が何かではないのです。


才能や体格や年齢を超えるために

形稽古は個々の部品の組み合わせではなく、全体的に練度を上げていく中で、無駄を切り落として、体で覚えていくものだという発想があります。

というようり、むしろ、「理屈はどうでもいい。まず体を動かせ」という人が大多数を占めているかもしれません。

そして、そういうことをおっしゃる人に限って、技の習得が誰よりも早いものです。

でも実はそういう人は、いわゆる、素質がある人です。

しかし、そういった素質は、ルールがある試合などで、非常に有利で、特に、体が大きく、反射神経が発達していて、パワーがある選手の方に有利に働きます。

ところが、そういう発想では、当然、年齢、性別、体格などの限界がでてきます。

僕のような子供のころから青年期にかけて体が弱かったものは武道をする資格がないということになります。

しかし、合気道では、そういった壁を打ち破る考え方があります。

それが「相手の土俵で戦わない」戦い方、相手と調和する技術です。

これを実現するには、やはり精密機械の組み立てのように、設計図に合わせて、個々の部品を吟味し、個々の部品のパフォーマンスをあげ、その上で全体のバランスを整え、技全体のパフォーマンスを上げていく必要があります。

ですから、設計図といえる目標をきっちり定め、全体を調和させることが大切だと思います。


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【井口師範の秘伝は大木】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、井口師範が達人であるのに、どうして世間にあまり知られていないのかとよく聞かれますがそのことについて話したいと思います。


井口師範の秘伝は奥が深い

井口師範は常に秘伝を「氣」で教えて下さいました。ところが、井口師範の秘伝には前後が無いように思われました。

というのは、前回言った内容と、今回言った内容が全く関連性がないように感じるのです。

ですから、氣とはとお話しされた前回のことと、気とはとお話しされた今回のことが、全く相反する矛盾だらけに感じることが多々ありました。

僕は達人・井口師範から教わった秘伝をいつも研究しています。そして、苦労して解析が終わったと思っても、今なお気づくことがあります。

このように井口師範の秘伝の理解には終わりがありません。


大きすぎて見えない木

井口師範の秘伝は、入り口は非常に矛盾だらけで、何を言いたいのかと思えるぐらい訳がわかりませんから、過去に多くの弟子の裏切りに何度かお会いになったのもわかりますが、裏切った人達は、その入り口ですら見えなかった人達ではないかと思います。

僕は、最初に教わった背骨を正す方法のお陰で健康になれたので、井口師範を信頼しきっていたので、自分なりの探求を行うことで、矛盾だらけと思っていた井口師範の指導が実は、氣という柱を中心に、構成されていた一歩の木であるということがわかりました。

あるときは右の枝について話しておられ、ある時は左の枝について話しておられたということに気づくことができたからです。

ただ、枝も木、幹も木、葉も木ということで説明がなされ、しかも非常に感覚的な表現で言われたから理解できなかっただけです。

今、言えることは、井口師範の秘伝は大きな大きな木であったいうことです。

あまり大きな木ゆえに、誤解され、世間から埋もれてしまったのだと思います。


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【気の流れと螺旋形】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、師匠は合気道の極意は呼吸力・気の流れ・螺旋形とおっしゃいましたが、今回は気の流れと螺旋形について話したいと思います。


螺旋形でぶつかりを無くし先をとる

相手と対立する場合、普通人は最も力が入るところで対立をします。

そうすると当然筋力が優勢な方が勝つことになります。

合気道では相手との調和を重んじるということですが、合気道が武道である以上、それと同時に「先」を取ることが大切です。

先とは、先手を取るということですが、相手よりも先に優位に立つということです。

しかし、体力が劣勢なものが、体力の優位なものから先を取るとなると、非常に難しいものです。

そこで、合気道は相手と調和しながら、先を取る技術である「螺旋形」を使います。

螺旋形というのは、移動しながら円運動を描く軌道を取りますから、円運動で相手の方向を変えながら、前に進むことができるわけです。


気の流れとは集中空間の持続

螺旋形の指導を行ったとき、多くの人がやるミスがあります。それは、対立が起こっている点を螺旋で逸らすと、そこで満足してしまうことです。

そうすると、またさらなる対立ができます。そしてまたそこで螺旋で逸らす。という繰り返しを行ってしまいます。

しかし、螺旋の流れができると途切れず、そのまま流れるように進んでいくと、相手に付け入る隙を与えず、技を進めていくことができます。

それが気の流れというものです。要するに、気の流れを起こっているときは、ゼンマイの時計のように、針が動き続けていることで、クウォーツの時計のように針が一秒ずつ止まったり動いたりしないことです。

そのため、常に左右の手のバランスを考え、左右の手に常に意識をもっていくことです。これが観という考えかたです。右手をつかったら左手、今度は右手というのように、意識を切り替えません。

言い方を変えると、観によってつくった自分の空間を持続することと言えます。そしてこの空間が宇宙の中心と感じることで相手は不思議と逆らえなくなります。

気の流れ、合気道では非常に大切な考えです。


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【暴力と非暴力】

皆さん、お元気ですか? 僕はかなり元気です。

今回は、暴力と非暴力の違いの問題について述べたいと思います。


相手の理解とは?

さて、僕が今学んでいるNLPでは、「相手の世界に理解と敬意」という言葉がありますが、このことで僕はちょっと疑問をもっていました。

というのは、理由もなく暴力を振るいに来る相手に理解と敬意をもってNLPで、どう対処するというのかということです。

そんな相手も理解してただ殴られておればよいといいのかという問題でしたが、NLPの使用は、相手と相互理解が必要な場合に、出来る限り相手を理解し敬意を払うというもので、闇雲に理不尽な相手のなすがままにされるということではないということでした。

ところで、現在の合気道では、合気道精神という精神論が先行するため、武道として取り違えというのがあるような気がしています。

というのは、近年、合気道では打撃技である当て身の稽古をあまりしないと聞いているのです。

それは、調和や愛を謳い、世界平和を目指す合気道で、相手を痛めつけるような技である当て身はふさわしくないと考える師範がたくさん現れているからと聞きます。

ところが、合気道の開祖は合気道での愛をときながらも、攻撃技である当て身技を技の中で使うように指導したといわれています。

また、 実戦での合気道の使用には「当て身7分に投げ3分」とまで言われたといいます。

しかし、愛を説く合気道で、開祖の言われた当て身は矛盾していて、合気道にふさわしくないということなのです。


合気道の武道としての意味

僕の師匠である井口師範は当て身は大切と、かなり当身の稽古をするように言われました。

僕が学んだ技術では、距離ゼロの位置から打ち出すパンチから、距離が離れた相手の動きを止める当て身まであります。

このように、合気道の当て身には合気道独自の特別な技術があり、この技術は合気道の独自の世界観を作るのに非常に大切な技術でもあります。

当て身は、前回までにご紹介した、仏教の止と観とよく似た考えにより、相手と自分を結ぶ空間を作り出し、それを媒体として自分・空間・相手を一つにする技術を行うのに必要な感覚を生み出す技術です。

これだけ大切な技術であっても、思想が合わないからと捨ててしまうのは、非常に勿体なし、残念でなりません。

確かに、当て身という技術の目的からすると、確かに相手を痛めつける技術ではありますが、形稽古では、通常は寸止めと言って、当たる手前で止め、実際は当てることがありません。

相手を痛めつける暴力的なものというのは、それは使用する人によるものです。

例えば、当て身を禁じたとしても、四方投げでも、入り身投げでも、相手を頭から落とせば、殺人技になります。

このように考えると、もはや合気道の投げ技すら暴力と言わざるを得なくなります。そうすると、皆仲良くと説くだけが合気道ということになってしまいます。

極端なことを言えば、鉛筆でさえ殺人の武器になります。長い鉛筆をしっかりと握り、相手の目玉を突き刺し、そのまま脳に到達させれば、人は死ぬと言われています。

すると、同じ精神論でいくと、世の中から、ボールペン、ペン、鉛筆などすべて消してしまわないといけないという発想になるのではないでしょうか?

思想として頭で考えるのではなく、何が必要かという点から技を吟味するのが大切と僕は考えます。


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【宇宙と開祖】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回のブログは、止観から始まって、宇宙と一体となる合気道の宇宙観は如何でしたか?

達人・井口師範の世界観少しは分かっていただいたのではないでしょうか?


宇宙と一体になるとは宇宙創成

前回までの内容でわかったと思いますが、宇宙の気と一体になるというのは、自ら宇宙を作って、それと自分と相手が一体となることをさしました。

そして、自ら作った宇宙空間が宇宙の中心とすることで、我と相手と宇宙が一体となり、すべて気が一つとなる気結びができます。

しかも、この感覚は、井口師範の技を受けた人でないと分からないものですが、この思想は単なる思想ではなく、技術として成り立っているところが井口師範の合気道なのです。

そしてこの創成した宇宙空間の用い方が井口師範独自のものがありわけです。

その空間の使い方で、相手との距離がゼロの状況から、相手と空間的な隔たりのある状況まで、相手に打撃や気を当てる方法があります。

すべて、技術的に誰でもできるものです。


開祖の話を技術的に解釈する必要もある

このブログで何度かご紹介した開祖の話で、

「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

というのがありますが、これは井口師範から教わった、空間感覚(宇宙創成)の技術を言ったものと解釈できます。

先ず、自分があり、そして宇宙空間を創成し、一体となることで、相手を吸収する引力を起こす場ができます。

大切な点は、自分という中心を失わず、宇宙と一体となって、さらに相手をその中に吸収する動きを作ることです。

さらに、秘伝の話をすると、前半のくだりは、合気道独自の目の使い方で、後半はその目の使い方を前提とした宇宙の創成の原理を言っていると考えられます。

このように、開祖の話はかなり抽象的で分かり難いが、井口師範の秘伝が分かっているものには非常にしっくりくるものです。

開祖の話は、宇宙や神が突然でてきますが、それは同時に技のノウハウをいうこともあると思います。

ですから、開祖の話が分かり難いということで、大本教を研究する人もいるようですが、もしかすると技から解釈を考えた方がよいのかもしれません。


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