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不思議な夢

最近、前のブログでも書きましたが、当会の上級者に「気」のトレーニングを行い始めています。
といいましても、「気」の全てを私は理解しているわけではありませんので、生理学的に捉えられる側面と心理学的に捉えられる側面に関してのみ指導をしています。摩訶不思議な「気」に関してはもっと専門家の門を叩くことをお薦めしています。

そこで、そのトレーニングの心理学的な面で重要となるのが、井口師範から受けた「天の鳥舟の行」です。これは、元々は盛平翁先生が行っていた古神道の修行法だそうで、所謂「舟漕ぎ運動」と「振魂の行」を交互に行います。

と言いましても、宗教やオカルト的な方向性に行うわけではありません。例えば、両掌を上にして、両手を前に伸ばして、目をつぶり、手に鉄アレーが載っていると想像すると、たいていの人は、手の位置が元の位置より下になります。

このように、イメージの仕方で、人間というのは、自然とコントロールされてしまうわけです。当会では、この心理学的な効果を利用しています。

前置きはここまでにして、不思議な夢ということですが、先日突然、井口先生が夢枕に立って、「いわく、振魂のときの手の組み方がおかしい! ちゃんとせなあかん!」と言うのです。

実は「天の鳥舟の行」を行う際に、「振魂(ふりたま・ふるたま)」という神道の行も行うのが通常ですが、この振魂を行う際に、玉の印という特殊な手の合わせ方を行います。その玉の印がおかしいと言われているのです。

そこで、神道の関係の本をしらべてみるました。すると、やはり間違っていました。そこで、正しい玉の印を組んで行ってみると、掌に心地の良い振動が発生します。今まででも気の感覚化ができていたので、今後かなり期待できそうです。

私は、井口師範に仕えてからずっと、間違った玉の印の組み方をしていたので、正しいと思い込んでいました。ですから、資料をみても何も思わなかったのですが、改めてみて初めて分かったというわけですが、夢は自分の無意識が現われるものと心理学では考えられていますが、自分の思い込みがあると、それは無意識でも同じはずなのですが、それと反対の夢をみたのが、これが霊夢というものかどうかは分かりませんがとても不思議に思いました。

次回、お弟子さんたちに正しい玉の印の結び方を指導しなければと思いました。

気を感じる

当会では、「理」を重視し、あまり「気」ということを生徒さんたちには説明しません。あまりオカルト的な方面に進むと道を誤ってしまう恐れがあるからです。

ところで、私は、井口師範の皮膚感覚の技術と空間感覚の技術を併用して稽古をしていると、手から何かエネルギーが出ているのを感じることがよくあります。この感じは、私独自のものだと思っていましたら、そうではないようです。

先日、合気道修行者の方の個人稽古を行いました。この方は「気」なんてまやかしかインチキと思っておられましたが、突然、「気」を感じ、非常に驚かれました。

この方に、皮膚感覚の稽古を行った後、空間感覚の稽古を行い、その後、皮膚の感覚を敏感にするための稽古を行いました。それはつぎのようなやり方でした。

この方に、右手と左手を離して向かい合わせて、掌に意識を集めさせました。
「私の掌の温度が感じますか?」
と、手と手の間の空間に掌を突っ込んだところ、
「暖かさもかんじますが、何かフワフワしたものを感じます」
と、合気道修行者は言いいました。
私が掌を抜いて、
「今度は、自分の熱を感じてください」
と、言うと
「何ですか? この感覚。手から何かが出てきます。こんな感覚、今までに感じたことがありません。一体何なのですか? この感覚は?」
と、言いました。
「それが『気』です」
と、私は答えました。そして、ついでに「気」を使った治療法の初伝を伝えておきました。尚、「気」を使った治療は、効果が出る人と出ない人がいるので、万人向けではないのですが、「気」を感じる人には非常に有効ですので、この方も役に立つときがあるかもしれません。

井口師範の伝えた方法を忠実にやっていると、このように、「気」を信じない方でも、「気」が出てしまいます。

井口師範は、私の「気とはどんなものですか?」と言う質問に
「感じようと思って感じるのは不自然、自然に感じてしまう。それがいい。それまでは僕の言うことをしっかりやっておればいい」
と、言っておりました。
私は、どこかで、「気」というのは「自己暗示の一種で、無いものを脳が作り出して感じているのではないか」という思いがどこかにありました。というのは、私は、気功法をやっており、気功法では、意識して「気」を感じるものでしたので、このように、「『気』を自然に感じる」という事実に今回大変驚き、やっぱり井口師範は凄いと思いました。

合気道修行者の多くがもつ問題

このブログを書いていて、時々メールでお問い合せを頂くことがあるのですが、合気道関係の人が、一つコメントを残して下さったことをのぞけば、全てが他の武道の方です。

私は、合気道が専門なので、できれば合気道関係の人に、今は消えつつある秘伝を参考になればと思って書いたりしておりますが、興味を持っていただけるのは、どうやら他の武道の人ばかりのようです。

そこで、どうして合気道の人があまり興味を示さないのだろうと思っていたのですが、今日、合気道修行者の方の週に一度の個人稽古があり、そのとき話をしたことで納得しました。

結果を先にいいますと、合気道修行者の多くが、「勘違いをしている」ということだそうです。

具体的には以下の①~⑥のどれかに入るそうです。、
①実際に戦った経験がないので、形さえ完璧にできれば、どんな相手でも制することができると信じている。
②他の武道経験がないので、段位が下なら、他の武道の人でも簡単に制することができると思っている人がいる。
③多人数取りや短刀取りなど稽古しているから、どんな相手でも何人きても大丈夫と思っている人がいる。
④女性修行者の多くは、本気で押さえ付けられたことが無いので、簡単に男に勝てると思っている。
⑤気の稽古をしているから、いつかは達人のようになれると思っている人がいる。
⑥自分の実力がわかっているが、長年続けたので、スポーツの一環としてやっている。

このような状況なのだそうですが、これらは、全て指導者が問題だと言っておられました。

そういえば、以前、和歌山のイオンモールに出かけたとき、女子大生と思える人が、友達に、「合気道をやっているから暴漢2人でも大丈夫」というようなことを言っていたのを思い出しました。

また、20年以上も稽古して役に立たないことに気づいて辞めていった高段者の女性の話しもあります。

でも、実際に、井口師範の秘伝のように、視点をかえると、女性でも使える技術が実際存在するのです。こういう技術を指導者が独り占めするのでなく、生徒にどんどんと指導していただきたいと思いますし、女性に勘違いをさせるのも良くないと思います。

当会では、真摯に学ぶ人には、やっている武道に関係なく秘伝を惜しみなくお伝えしています。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

東京からの来客

11月12日(火曜日)と13日(水曜日)2日に渡り、東京より空手の師範の方が来られ、合気道の達人の井口師範の秘伝を学んでいかれました。

個人指導の依頼を受けた際、合気道の私が、当身の専門家、しかも空手の師範の方に、とても当身を指導するのはおこがましいと思っておりました。

そこで、当身は大まかな説明をやって、皮膚の技術を習得していただこうと考えておりました。しかし、当日、当身の原理を説明しましたところ、空手の師範の方が日ごろ疑問に思っていた部分と一致し、それが解消できたととても喜んでいただけました。

ちなみに、合気道の当身では、腕力を使って拳を運ぶのではなく、気の流れ(体幹の運動で運動エネルギー)を作って、気の流れにしたがって、肘で拳(拳からから前腕を一つのかたまりとします)を運ぶと発想をします。

要するに、合気道の当身は、運動エネルギー主体で、その運動エネルギーによって、手が運ばれる動きになります。このようにすると、脱力感があり、力感がありませんので、ある意味頼りなく感じます。そのため、腕力で拳を運んだ方が、スピード感、充実感があり、多くの方は、腕力に傾くのも無理はないかと思います。

このように説明をすると、打ち出し方が若干違うだけで、大した違いが無いように聞こえると思いますが、実際に、40kgの砂を満たした砂袋を打つと、この違いが極端にでます。

40kgの砂が満たされていると、砂袋はコンクリートのように、固くなっていますので、腕の力だけで、拳を加速して拳を打ち込むと、日ごろ鍛えておられても、衝撃が即座に手首に帰って来、手首が折れそうになります。それだけでなく、手で加速したパンチは、手だけが動くため、砂袋を動かせるエネルギーが無いので、砂袋は1センチほどゆれるだけです。

一方、体幹に運動エネルギーを作ってから、拳を加速した場合は、砂袋に手が触れた瞬間、運動エネルギーが先に、砂袋に伝わるため、思ったほど衝撃が手首に帰って来ず、砂袋が大きく揺れます。

空手の師範の方もこれを体験され、
「空手の奥儀に、肘と膝が大切とありましたが、これのことだったのですね」
と、おっしゃられ、長い間、疑問だったことがようやく分かったと言っておられました。

空手でも古来の稽古では、巻きわらを打ち、その時に一体感を感じたといわれていますが、このような奥儀が残っているところから、抵抗のあるものを無数に打っている中で、自然と運動エネルギーを生み出してから、拳を肘に乗せて運ぶというような突き方を、昔の人は、身に着けておられたのでしょう。

こう書くと、合気道の当身式のやり方がいいことばかりのように思われるでしょうが、実際に、それを指導すると、
『先ず体が動いてからパンチがでるのなら、簡単に予測されてしまうではないか』
と多くの人は考えてしまいます。その結果、腕力に頼るパンチになってしまうのです。

それが落とし穴です。実は、運動エネルギーを作った時点では、パンチの飛ぶ方向がまだ決まっていないのです。肘で拳を運ぶつもりでいると、パンチを出している際でも、パンチの軌道が変えられます。極端にいうと、パンチ当たる寸前までコントロールできるということです。ですから、相手に当たる少し前に当てる場所をきめてやると、相手はどこを突かれるかわかりませんので受けるのが非常に困難になります。

ですから、当然ですが、パンチの軌道を相手に悟られない技術も必要になり、その技術も当会には存在します。当会では、「指導者の言うことが絶対だから」という発想はありません。「稽古していたらその内わかる」式な指導は出来る限り避けるようにしており、修行者に実際に確かめて、納得していただいて稽古を行っていただきます。

正直いいまして、私は空手のまったくの素人ではありません。在籍期間は3年ほどですが、合気道の修行の合間に、週1のペースで極真会館に通った経験があります。それでも、空手の師範の方に比べますと、空手に触れた程度ですので、今回の個人指導で、合気道と空手の共通する原理を再確認でき、とてもいい勉強になりました。

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「真の合気道の実現に向けて」という記事を読んで

先日ネットを検索していると、合気ニュースの論説で、スタンレー・プラニン氏の記事がでてきました。そこには武道性を失った合気道について書かれていました。

私は、この記事を読んで、プラニン氏の考えに共感を覚えました。というのは私の師匠の井口師範の合気道のあり方がプラニン氏の提案する合気道にあったからです。プラニン氏に共感される方はたくさんいらっしゃると思います。合気道を愛するみなさんも、是非読んでいただきたいと思います。

http://www.dou-shuppan.com/aikido_w/134_stan/

合気道上達の秘訣

私の合気道の師匠である井口師範は、よく「相手と一つになれ」と指導されていました。

しかし、私はその感覚がよく理解できす随分と悩みました。「相手と一つになる」という感覚は、技の全ての状況で、非常に適切な表現です。ですから、ある程度わかるようになると「なるほど、その通りだ」と思いますが、出来ない段階の人にとっては、あまりにも抽象的過ぎる表現でまったく理解できないのが当然だと思います。

もう既にお亡くなりになっているのですが、合気道の達人で、たくさん本を出版され、多くの一流のスポーツ選手を育てた氣の研究会の藤平光一師範も、特別才能の無い普通の人の指導には随分と難儀されておられたと聞いています。

このように分かっている人から見ると、当たり前のことでも、普通の人にとっては難解きわまりないのです。

この理由は、「実際」と「感覚」にズレがあるため、指導者が話すことが、実際の動きと違いが生じるからです。

例えば、ある技で入り身で入る場合、感覚的に45度だと思っても、実際はまったく違う場合もあります。しかし、実際できるようになると45度に感じのです。これは円転の理についてもいえます。正確に円に動くと力がぶつかって上手くいきませんが、完全な円を描いているような感覚で動くと上手く行きます。この場合、物理的に見て、実際は円になってはいません。

ですから、ただ指導者の話を聞いて、すぐにそれが出来る人は、その感覚の通り動ける人で、その感覚を理解できる人です。要するに才能が有る人というわけです。一方、普通の人は、言われた通りしていると、全然出来ません。

そこで、自分にできないと思ったら、指導者の言うことを、自分なりに分析・整理することが大切です。そのために、さまざまなヒントになることを、本やネットで情報を集めたり、さまざまな武術の人と交流したりし、徹底的に考え抜き、整理するといいと思います。案外ヒントはその辺に落ちているものです。

「勝手なことをあれこれ考えず、ただ師範のいうことを素直に聞いて、コツコツ稽古していればいつか必ずできるようになる」ということをよく耳にしますが、そういうことをいう人が本当に師範と同じように出来ているかというと、よく観察すれば分かりますが、そうではないことが多いのではないでしょうか。

そして、できるようになった時点で、指導者に技に間違い無いかチェックしていただくことが最もいいのではないでしょうか。

とにかく、合気道で行き詰ったら、情報を集め、取捨選択して、整理し、分析することだと思います。そのためには、合気道にこだわらず、役に立つと思われる情報を集めることだと思います。

体験者へのアドバイス(目の使い方)

火曜日の稽古に、中年女性の体験がありました。
この女性は、福祉関係の仕事をされていて、自制のきかない人からの暴力を受けた経験から、護身術が応用できるるのではということでこられました。

こういう場合の護身術は非常に難しいと思います。応用ができるかできないかというのは、その人の資質に関係があるので、一概に対処できるということが言えませんでした。そこで、素手の状態で暴れる人の対処方法ということだけに限定して、目の使い方、足の運び方を中心に指導させてもらいました。

合気道では、「相手の目を見るな」と指導されます。それをこの女性に指導したところ、「そんな怖いことはできません。相手がどのように攻撃してくるか、目を見て判断する必要があるからです」とおっしゃいました。それを聞いて、「相手の目を見ない」というより余計「相手を見ない」ことが大切だと思いました。

「相手は、フェイントもなしで見たところを殴ってくる」わけで、相手は目で情報を垂れ流しにしているのだから「相手の目を見るのが一番」と素人考えではなるのですが、実際に本能的に動いている相手と目をあわすのは危険極まりない行為なのです。何故なら目をあわすとことで必ずこちらの方についてくるのです。だからこそ、「絶対に相手を見ない」ことが対策となるのです。

これでは意味がわからないでしょう。「相手を見なければよけることもできない」とこれを読まれている人は考えているのではないでしょうか?

実は、「相手を見ない技術」の話のことなのです。正確な表現としては、「相手を見ながら見ない」ということです。「敵を心の中から消し、相手と和合する」と合気道では教えますが、これは教えであるだけでなく技術でもあるということを知っている方は合気道暦20年の人でも案外少ないようです。

合気道の教えは、実は技術と直結していることが多いのですが、教訓とか教えとかにしてしまう人が多いのです。ですから、「敵を心の中から消し、相手と和合する」というのには、純然たる技術も存在するのです。

そこで科学的な説明からいたしますと、「相手を見ない技術」というのは相手を視野にいれないということではありません。人間の視覚は、中心野と周辺野の2つがあることがしられています。中心野は物の認識につかわれ、周辺野は動く物体の認識に使われます。「相手を見ない」というのは、中心野で相手を認識しようとしないということです。

そして合気道の技術に、「中心野を捨てる」技法があるのです。この技術を使うと周辺野が活かされます。その結果、動体が非常に感知しやすくなり、相手の動きがミリ単位でわかるようになります。ということは相手の目の動きさえわかるようになります。

ちなみに、中心野で見た場合は、認識するという脳の活動が入っているため、判断が遅れます。一方、周辺野で見た場合、動きを感じるとすぐに反応が起こります。相手の攻撃をいち早く察知し、対処できるというわけです。これを体験を交えて、説明させていただきました。

また、この見方は、それだけではありません。次のような効果があります。
●「こちらの情報を遮断する」。
  要するに相手は「こちらが何を考えているか」がわからなくなり、「どちらに移動するか」さえ判断ができません。

●「恐怖感情が抑えられる」
  「脳に認識されない」ということは、恐怖の感情が起りにくいということになります。

面白いことに、初めは目をどうしても見ていたのですが、寸止めですが、本気で殴るつもりで攻撃すると、この方法を知ったこの女性は、恐怖心から自然とこの方法をとってしまうようになったのです。そして間合いの取り方を指導しましたところ、子供がするような、右左のでたらめなパンチをするような動作で攻めた場合、ほぼ確実に捌けるようになりました。

実際、この女性が現場で、即、適用できるかどうかは分かりませんが、何度か、そういう場面になると、恐怖から自然と対処するようになると思います。どうかこのやり方を習得して、職場でがんばって欲しいものです。

5月20日技の研究会

今回の技の研究会では、土曜日休んでいたSさんが来ましたので、6月の昇級審査の技を、技の研究を含め稽古しました。今回の稽古では、片手取りの相半身・逆半身での一教~三教と入り身投げ、小手返し投げ、回転投げ、四方投げを、固定された状態から「合わせ・導き・崩し・投げ」の手順で行うわざと空間感覚の技術を使って行う技の稽古をしました。概ね技ができるようになっているので、それぞれ飛び級で合格しそうです。

5月17日土曜 定例稽古

6月昇級試験受講のSさんがお休みで、合気道修行者のビジターのYさんがこられたので、今回は審査種目の稽古はお休みにして、火曜日の技の研究会での続きの「強く固定された状況から技を掛ける」というのをメインに稽古しました。『合わせ』→「導き』→『崩し』→『投げ技』という流れの大切さを体で感じていただきました。

5/11 少年の部

今日の訓練は、空間感覚を身に付けるため、やわらかい幼児用野球バットを使って、正面打ちをよける訓練を時間をかけて行った。子供たちはしばらくしないと忘れてしまうので、身につくまで繰り返しやってやらないといけないといけないようだ。それと、合気道の一教から三教を確実にできるようにステップを追って稽古した。