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健康護身術を指導している橋本実です。

【キャリブレーション】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回から、このブログではNLPの語と合気道の語で比較して記事を書き始めているのですが、心理療法で使うNLPと案外合気道の考えが一致していることに気づきます。

今日は、キャリブレーションです。


キャリブレーション

NLPでは、人の行動はインプット、プロセス、アウトプットでなりたっているといっています。要するにまるでコンピュータのように何かが入ってなにか起こって出ていくということです。

自動販売機もそうですね。飲み物の自動販売機だと、お金をいれると、お金に見合ったボタンが点灯しますが、要は中で色々な事が起こっていて、希望のボタンを押すと結局、飲み物出てきます。

だから僕たちは、この記憶や体験に入ってくるもの、要するに入力が、視覚、聴覚、体感覚などの五感です。

僕たちの体や意識の中には、五感で見たり聞いたり感じたことが初めて頭の中に入ってきて、それが頭の中や心の中でいろいろプロセスされて外に出ていくわけです。それが行動だったり表情だったりするわけです。

NLPでは、キャリブレーションといって、コミュニケーションの中で相手の中でどうプロセスされているかを相手が五感を通してインプットしているものとアウトプットされているものによって どのように プロセスが成り立っているかを判断します。


キャリブレーションとは合わせ

これは実は、合気道でもやっています。ただし、合気道の場合は、視覚情報と感覚情報が中心です。

特に合気道では感覚情報が非常に大切になっていて、そのために、片手取り、両手取り、諸手取りなどの手首をつかみに行く技に対してかなり稽古の時間を割くわけです。

だから「持たれたら?」という考えではなく、持たれる感覚を感じ、その感覚をインプットとして、自分の中で相手の力を感じることで、相手がどうプロセスしようとしているのかを感じ取り、それに対応するというものです。

そこを理解していないと、ただ見た目の形を真似しているだけになります。

要するに、合わせというのは、キャリブレーションということです。

相手の動きに同調し、相手と一体になるために、相手のプロセスを理解して、相手のプロセスを妨げず相手の中に入ることで、相手をコントロールする切っ掛けとなることです。


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【ミラーリング】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、NLPでは、ミラーリングというテクニックがあります。NLPでは、相手との信頼関係を築くのが ミラーリングの目的 です。

ところがこ原理を使うと相手を簡単に導くことができるのです。合気道では「合わせ」というカテゴリーにすべて入ってしまうので、非常に分かりにくいのですが、チャンクダウンする(抽象度をさげる)と、NLPのミラーリングということになります。


ミラーリング

心理学の実験で、人は自分と同じような動きや言葉や雰囲気がある人に好感を持つことが分かっています。

そこで、NLPでは、視覚や聴覚や体感覚などを駆使して、相手のまねをすることミラーリングと呼びます。

そして、相手の動きを追随することをトラッキングといい、このトラッキングを少しずつ早め、タイミングを合わしシンクロします。

さらに、タイミングを早くしてこちらがリードするように動くと、相手はこちらの動きに自然と追随するようになります。

心理学では相手とのラポールといって信頼関係を築くのに使われる手法ですが、これは合気道の合わせの一手法に共通しています。

しかし、合気道では、一くくりに「合わせ」という言葉で技を説明してしまうところが、合気道を非常に難解にしている点だと僕は思います。

「合わせ」とは何かというと「気に合わせること」なのですが、「気」というものも非常に曖昧でわかりにくいものですから、その「気」に合わせるとなると、分かるようで分からないのが普通じゃないでしょうか。

でも日本人であると、「気」といわれると何か分かった気になっちゃうのがサガなんでしょうね。


空間感覚の合わせ

そこで、当会ではNLPのミラーリングやトラッキングに相当する動きを空間感覚の合わせという名前をつけて、抽象度を下げて稽古します。

空間感覚の合わせというのは、相手との心理的距離を変えず、まるで自分が相手の鏡のようにふるまい、相手との間に透明な壁があるような動きをします。

すると、自分と相手との間に一種の特殊な空間ができ、こちらが動くと相手も自然tとこちらに追随するようになります。

僕はこの感覚を通じて、相手の目を回すような動作をします。

これはスパーリングなどでも、実際に使いましたが、相手が僕とスパーリングをしていると目が回りだすと言い始めました。

あまりこれをやりすぎると相手が嫌がるのでたまにそういう技術を使っていたのですが、そんなことをしていると、「妖術使い」という変なニックネームで呼ばれるようになりましたが、実際に使える技術ですから、研究してみてください。

合気道でのミラーリングのポイントは目玉を動かさないという点です。


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【距離ゼロのパンチのQA】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、先日の1月28日の記事に関してコメントを頂いたのですが、体の健康にもかかわる問題も含んでいるので、ブログとして回答することとしました。


衝撃力を出すにはどうするか?

Q:
距離ゼロでパンチを打つと、どうしても押したような感じになるんですが、キレのあるものにするコツはありますか?

A:

コツは、離れた釘を金属棒を介してハンマーでたたくということです。
この場合、離れた釘が相手、金属棒が自分の腕、ハンマーが体となります。

別の例で言い変えると、ミッション型の車でエンジンのパワーを伝えるためにクラッチがあります。クラッチが肩になっていて、エンジンのパワーが体の加速で得られた運動エネルギー、そして、タイヤへのギアが相手となります。
運転の下手な人が、いきなりドカッとクラッチをつなぐと、車がガクンガクンと大きく揺れますね。そんな感じで伝えると、衝撃が相手を襲います。


健康を害することへの対策!

コメント
「基本は体当たり」という言葉を改めて意識すると、ちょっと発勁*動作の大きなヒントになったような気がします。
ゼロ距離だと難易度が高いですが、多少距離があっても力みを極限までなくして腕や肩を脱力して身体の中からの力を伝えるには、最初からいきなり強烈な打撃を練習しないで、ゆっくり重さを伝えることができるようになってからスピードを上げる練習が効果的かなと思いました。


*発勁:中国武術独自の打撃法のことです。発勁には距離により尺勁と寸勁、暗勁など種類があるようです。
なお、発勁というのは質問者の表現で、当ブログのでの解説は発勁ではなく、合気道の打撃法である当て身の行い方を説明したものです。

 

A:

確かに、そのやり方が安全ですね。衝撃を伝える稽古をすると肩甲骨の周りの筋肉が半端なく張り、かなりの肩こりに悩まされます。

それでも無理してつづけていると、僕の場合は、脾臓が腫れて半月ほど入院してしまいました。

しかし、そのような安全な稽古だと中々衝撃力が付きません。そこで、衝撃を後ろに逃がすよう、自分が後方に吹っ飛ぶようにします。言い方を変えると壁に弾かれるような感じです


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【攻撃に対する合気道の受け】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回は相手の期待を裏切るという話でした。この期待を裏切るという一つとして、受けが攻撃という考え方をご紹介します。


打撃の受け

合気道では、打撃の攻撃に対して、それを受け手から投げ技に転じるという形稽古を多く行います。

ところが、打撃はその場で止めないですぐに引く上、連打と言って次の手や足で攻撃するというのが普通である 打撃系の人達から見ると、 ウソのように見えるのが事実です。

では、「合気道では、ボクシングや空手の連打を簡単に防いで投げ技に転じる技術があるのだろうか?」というと、ちゃんと技術として存在するというのがその回答です。

しかし、そのためには打撃とは何かという研究と体験をしておく必要があると思います。

現在、多くの道場では、合気道の打撃法である当て身の訓練というのは殆どしないと聞いていますが、理屈だけ聞いて、打撃の受けができるようになれるかどうかは分かりません。

僕の場合は、僕は運動神経が鈍いから、打撃の対策の稽古のために、極真カラテを少しの間だけ学びました。

というのは、合気道の道場だけだと、パンチが甘いからです。ですから、渾身の力で繰り返される打撃を捌く稽古をしないと難しいと思ったのです。


合気道の受け

僕が井口師範から学んだ合気道の受けは、受けというより攻めといったほうがいいかもしれません。

攻撃が来たら受けるというのではなく、相手の攻撃の意図が出た瞬間に、相手の攻撃に当たりに行くようなタイミングで受けを放ちます。

このタイミングで受けると、相手はある理由で体が動けなくなります。所謂、金縛りになるのです。

このタイミングと受けの特別な技術があるのですが、それを併用するのです。

じっとしている相手だと、技を掛けるのは非常に簡単ですよね。

ですから、合気道では上級者は、早いパンチでも投げ技に移ることができるのです。

このように、合気道では他の武道とは発想が異なるため、相手が混乱します。そしてそういった発想を秘伝として表に出さないのは、相手がその技術を知っていると対策されてしまうからです。


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【要は認識の問題】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、今日は認識ということについて話したいと思います。


一つのことに囚われると他が見えない

人は物を見る際に、必ず認識というフィルターを通してものを見てしまいます。

例えば、次のような話があります。

ある家で、兄と弟の二人兄弟がいました。あるとき、弟が自分の部屋の電球を交換しようと透明の電球をもっていました。

すると、母親が「それは後にして、先に昼食をとりなさい」といわれました。

そこで、弟は食卓にその透明の電球を置いて昼食を済ませました。

さらに、弟が食べた後、兄がやってきて弟が座った席で昼食を取り、食事を終えてから自室に戻ろうとした階段で、弟とばったり出会いました。

弟は電球を置き忘れ、どこに置いたかわからなく、あっちこっち探していたところだったのでした。

ところが、目の前に電球があったにもかかわらず、兄は全くそれに気づいていなかったので、弟と一緒に、あっちこっち探しまわり、ついに見つけることができませんでした。

そして夕食時期まで探して、見つけることができなかったので、明日、電球を買うしかないといって、兄弟が夕食のために食卓に着いたとき、鬼が目の前に電球があるのを発見しました。

確か、さっきは電球何てなかったのに、突然現れたかのように電球が目の前にあり、鬼は非常に不思議に思いました。

これとよく似た経験をすることってよくありますよね。このように、目の前にあっても見ていないということが実際に日常の生活ではかなり多いのです。

では何故、兄はあるのに、見ることができなかったのでしょうか?

それは、食卓にあるはずのない電球があり、その時は兄は電球に興味がなかったから、電球は彼の思考の外にあったからです。

このように思考の内をフレームとNLPでは呼びますが、フレーム外の事は人間は認識できないようになっているのです。


期待を裏切ると技にかかる

前の話を前提に合気道の話にもどりますと、合気道の技は多くの人が非常に不思議に思います。

それを気の力だという人もいますが、実は、相手の認識をコントロールしているだけなのです。

例えば、相手と闘う場合、相手は自分を力づくで倒そうとするという考えが必ずあります。

その期待を裏切ってやると、彼の中のフレームの外の行為になってしまいます。

そのため、倒すのではなく、相手のフレーム外の行為である「相手と一体になる」という意識を持つと、相手はこちらがどう攻めてくるのか全く見当がつかなくなります。

そして、相手と一緒に落ちていくという気持ちになる。すると、相手は何故か引きずられて、相手が先に倒れます。

これが相手と一体になると相手が勝手に倒れるという原理です。

早い話が、相手がこちらの力が認識できなくなるので、軽い力で倒れてしまうのです。


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【人はまるでパソコン】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、僕は今NLPという心理学の分野を勉強していますが、これが非常に武道に役立つと考えています。

そこで、今回は、NLP的にみて、人の行動について述べてみたいと思います。


人の行動は一種のプログラム

コンピュータというのは、もともと人の思考パターンを模倣して作られたものだと聞いたことがあります。

それで、コンピュータは、ある一つの入力に対して、一つの決まった出力が得られる関数を実行する機械ということもできます。

これは、コンピュータだけでなく、人についてもいえることで、一つの入力に対して、一つの決まった出力パターンを持っています。

例えば、モノをつかむという単純な動作でも、まず、目でみて距離感を測り、最短コースでそのものの上に手を進ませ、そしてつかむという行為を順序良くこなさしています。

このようにパターン化された動きだと、見た目も非常に自然で、力の入れ具合も、適切な時に適切な筋力を用いて、最小限度のエネルギーで動きます。

そのパターンを利用すると人をコントロールすることができます。


パターンを見ると対処法はいくらでもある

では、武道でのパターンを見ていくことにしましょう。

武道のパターンを大まかに分けると、打撃系と組技系に分かれます。

目標をロックオンして、攻撃を発射し、当てるというのが 打撃系の典型的なパターンではないでしょうか。

一方、組技系は、相手を捕えてから、技にかけるというのが基本スタンスですから、まずは、どこを捕らえるを決め、目標をロックオンして、目標に手を伸ばし、目標をつかまえ、技への推移となります。

共に共通しているのは、ロックオンする点と目標に向けて攻撃(打撃か捕縛)を実行するところまでです。

ここまでの動作なら、共通した対処ができそうですが、それ以降になる違った対処になるのが分かると思います。

そういった点を考えると、合気道は非常に合理的に稽古できるようになっていると言えでしょう。そのため、打撃攻撃と組技攻撃に対する形があるのです。

このことから、合気道のそれぞれの形でも、どのタイミングにフォーカスするかで、技の掛け方も違ってくるというのが分かると思います。

ですから、合気道の技は一期一会と、井口師範がいったのです。要するに、一つの形でもやり方は何通りもあるということです。


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【距離ゼロからの打撃】

皆さんお元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

今回は本日の一般稽古でのお話しです。


接触打撃法

本日、当会の一般稽古を行いましたが、個人的な都合で30分早めに始めさせてもらったのです。

YさんとIさんは、私が道場に到着するともうすでに来ていました。

そして道場のカギを開けると、Iさんがいきなりパンチの稽古をし始めたのですが、Iさんは打撃系の武道が好きで、キックボクシングや空手をやっていて、それから空手で足を痛めてから、当会にこられました。

彼が打撃の稽古をしているのがいつも楽しそうなのです。今回も打撃の稽古をしているとやっぱり楽しそうにしているので、つい「距離ゼロからの打撃に興味ない?」と聞いてしまったのです。

基本的には僕は、フルコンタクト空手も経験しているのですが、あまり人を殴るという発想が性に合わない部分もあるので、必要な技術以外はあまり出さなかったのですが、つい言ってしまいました。

それで結局、始めの挨拶もそっちのけで、接触した状態からの当て身(パンチ)の出し方を説明することになりました。


基本は体当たり

一般的な常識では、接触している状態だと、衝撃を伝えるのは無理と考えられます。

少なくとも、わずかな隙間があれば、その隙間でパンチを加速し衝撃を相手に与えられますが、接触した状態で、衝撃が相手に及ぶはずがないと思うでしょう。

ところが、この方法はその常識を覆したやり方です。

ではいきなりどうしてそんな衝撃が生まれるのかというと、自分の体の中で衝撃を作り出しているからです。

合気道は基本的に、「相手との接点は相手に与えよ」という考え方があります。

ですから、相手との接触点に衝撃を与えるという発想ではななく、腕すら相手のものとして相手に与えてしまうわけです。

そして、肩関節からが自分として、肩関節の移動量を利用して自分の腕に体当たりをするようします。

例えるなら、狭いところに釘を打つのに、釘のあるところに金属棒を立てて、その金属棒の端を金づちで叩くと、衝撃が釘に伝わり、釘が沈みます。

これと原理は同じなのです。理屈はそうなのですが、この打撃法はポジションの取り方などをかなり厳密に行わないといけないので、実地で指導する必要があります。

この指導を行ってから、Iさんにミット打ちを3度やってもらったら、その内の一つがミットを突き抜けて、僕の肘に入り、かなりダメージを受けてました。決してミットを通さず受けたくないと思ったパンチでした。


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【相対速度と結び】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回では相手との関係させ相対速度をゼロにすると理屈上は止まっているのと同じということでしたが、実際面において後退すると、確実に相手に押し切られてしまうということでした。

今回その点をもう少し詳しく話し、そのためにどうするかを話していきたいと思います。


理論的にはゼロなのに何故負けるか?

相手が前に出てくれば、こちらが後退すると、理論的には相手との関係性はゼロ、要するに相対速度がゼロになるはずであるが、実際に戦ってみると、後退すると相手にやられてしまいます。

これは井口師範は気が後方に向かうからと説明されていました。気の感覚で説明すればそれだけなのですが、そこにはちゃんと科学的根拠もあります。

この理由の科学的根拠は、相手と相対速度がゼロになっても、地面との相対速度は後方に増しているため、足の運動が後方に向かって動いているという事実があるからです。

足が後方に向かうと、運動エネルギーを持っているため、静止状態に比べ、急きょ方向転換をすることが困難になるために、結局自分の足の不自由に動かしているのと同じなのです。

ですから動いている電車の中での相手との静止状態から闘い始めるのとはわけがちがうのです。

人間は後方に動くというのは、日ごろの動作で非常に少ないということの経験不足と後ろに目がないという点から、前に方向に動くのにくらべて、かなり動きが制限されるわけです。


心理的な相対速度

それでは、合気道ではどうするかという問題になりますが、合気道では、心理的な相手との距離感を利用することになります。

要するに、後方に下がるのではなく、相手が相対速度ゼロに感じる動きをするわけです。

具体的には、円運動を想定して、自分が円の中心で相手が円の外側を移動するような動きを取ることで、相手との相対速度がゼロに感じるように動きます。

そのため、相手の前進運動に対して、こちらが後退運動をするという最悪の事態を防ぎます。

ですから、合気道では「引かば、押せ。押せば、回れ」と教えるのがその理由です。

しかし、これは初心の考えで、上級者になると相手の動作に対してどうするかではなく、気に対してどうするかを考えます。そのため、相手の気をコントロールするにはどう動くかという発想をもって動くことになります。


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【結びと合わせ】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回は結びということについてお話ししました。

武道の目的は、元々は襲ってくる敵を撃退することにありました。一方、合気道の前提は相手を受け入れることにあり、合気道は、武道であるため、ここに大きな矛盾があり、全国の合気道の道場ではその矛盾に対してさまざまな考えがあるという話が前回の話でした。

今回は、僕の師匠の井口師範のこの矛盾点の解決をどう解消したかという点についてお話しします。


合気道は自然でなければならない

井口師範は「曰く、合気道は自然でなければならない」と言われました。

井口師範の言われる自然とは調和のとれたことです。そのため、「ああしよう、こうしようと思ってはいけない」とおっしゃいました。

それは、対立だからです。誰にとっても、世界は自分(小宇宙)と自分以外の外の世界(大宇宙)という2つで成り立っています。

そうした視点で見たとき、極論を言うと、人がとるべき行動は3つあります。一つは支配、もう一つは服従、さらにもう一つは調和です。

支配というのは、外の世界を自分の意思で何が何でも動かそうとすることで、服従は外の世界から起こってくることを自分の意思を持たずただ受け入れること、調和は自分の意思をしっかりともちつつも外の世界の変化の流れに乗って柔軟に対応しながら世界とともに変化することです。

そして、井口師範は、調和に武道のあり方を見出し、そこから、相手を受け入れ、自分を中心として相手と共に動くことを合気道の極意としました。

そこで、相手と繋がり受け入れる「結び」という意識を重視しています。


結びを技術にしたのが合わせ

では、具体的に「結び」を行うにはどうしたらいいかという問題があります。

「結び」というのは、いわば意識です。相手と結びを作ろうと思っても、実際にどうやったらいいのか分からないのではないでしょうか?

その方法というのが、合気道では「合わせ」と呼んでいるものです。

先ず、合わせを行うポイントは次の通りです

  • 対立しない
  • 服従しない
  • 調和する

まず、一つ目の対立しないというのは、心に対立が出来た時点で、概ね相手はこちらの意思が読めるようになります。ですから、相手を無理やり右に倒そうとすると、すぐさま相手は自分の意図を読んで右に倒れまいとします。

ですから、心に相手との対立を起こすことは合気道では最もやってはいけないことです。

次に、服従しないというのは、相手になすがままにされるということです。このような状態だと技を出すことなどできません。

よく「赤子のように、力をダランダランに抜きなさい」という人がいますが、このような腑抜けた状態であれば技は掛けることはできません。

元合気会の師範部長であった気の研究会の故・藤平光一師範の「力を抜きなさい」という意味を間違えて捉えた礼です。

最後に調和すると一言でいっても、どう調和していいのか分からないといわれそうですが、相手が静止状態だと静止した状態でまず相手と一体になることを考え、相手が動いている状態だと相手の動きに合わせて一体になることを考えます。

物理の世界では相対速度という言葉がありますが、相対速度とは、相手との関係性で、相手と自分の間の速度ということで、相手が動いていても、自分が同じように動いていると静止と変わらないということです。

例えば、電車の中を考えると、走っている電車は、外から見ると自分も相手も同じように走っているわけですが、自分達からすると電車の中は止まっています。

ところが、武道の場合、後退すると気が退くので、相手に追い込まれて、結局は相手にやられてしまいますので、実際は理屈通りいかない問題点があります。

そこで、次回はこの問題点を武道ではどう解決するかを話したと思います。


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【結び】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は合気道で「結び」という言葉がよく出てくると思いますが、これについて話したいと思います。


合気道の前提と目的の矛盾

以前にも、お話ししましたが、合気道は相手との対立ではなく、相手の受け入れが前提になっている武道です。

ところが、武道というのは、相手を退けることを目的としているため、合気道のこの前提と目的が矛盾するのです。

そこで、全国の合気道の道場では、形稽古に対する様々な捉え方が存在しています。

例えば、「合気道は和合の精神を体現した武道であるから、形稽古においては、取り(技の掛け手)と受け(技の受け手)がお互いに協力し合って、美しい形を演武するのが大切」という前提だけを重視した考えです。

逆に、「合気道は武道であるから、攻撃してくる相手を退け、攻撃不能にしないといけない」という目的だけを重視した考えもあります。

このように、合気道では、前提のみを重視するか、目的のみを重視するかというように、極端に2つに分かれる矛盾を持っています。

この矛盾の解決が結び!

そもそも、存在という点から、人は自分と他人という点で、既に対立した状態です。

他人は自分が頭の中で考えた通りに動くわけではありませんので、自分の脳で相手をコントロールすることはできません。

ところが、相手の特性を知っていて、それを利用するなら、割合簡単に人はコントロールできます。

そして、自分と他人を隔てる壁を破る技術が、合気道では「結び」と呼ばれる技術なのです。

ですから、相手に協力してもらうのではなく、相手が協力してくれるように持っていくのが、井口師範が教えた合気道でした。

結びの技術というのは、まず自分の感覚を開いて、相手を受け入れ、そして相手との接点を相手に譲って、相手が動く方に導くというものです。

読者の方の中には、言葉でいうのは簡単だが、実際にできるのか?という疑問を持った方がいるかもしれませんが、それができるのです。

次回はその原理について、お話しします。


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