「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

手首取りの技の意義について3

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首取りの技の意義は今回で3回目です。前回は運動エネルギーを使うというお話しをしました。

今回は、手首取りの技で本当に大切なポイントをまずお話ししますね。
それはマインドの問題です。要は「手首取りの技は、持たれたら遅い!」ということなのです。あれっと思った人もいるでしょう。「ウチの師範はいつも、手首を持たれたら…」といつも説明するのにどういうこと?と思われた人もいるかもしれませんね。

ところが、井口師範は「手首を持たれたら遅い! 横面打ちで頸動脈を打たれたのと同じ。取らせなあかん」とおっしゃいました。要は『相手に手首を持たせないといけない。持たれたら遅い』ということです。そのためには「先に手をだして、手首を持ちたいようにして導いてやる」というのが原理原則ということでした。

では、ただ単に手首を持たせばいいのかというと、そうではありません。自分がどう動くかという方向性により相手への手首の出し方が変わるのです。

以下では、範囲を限定して、片手取りの技のみについて述べていきます。

相手を自分の体の外側に誘導したいのであれば、手首は自分のかなり内側に差し出します。そうすると、相手の側面に移動がしやすくなります。ところが、自分の外側に手を突き出すと、自分の外側に相手を移動させようと自分が移動を始める際、まず自分の肩にぶつかって移動できなくなります。

また逆に相手を自分の内側に誘導するのであれば、手は外側に出すことになります。そうすることで、自分の内側に自分はまわりやすくなります。

このように力の方向性を予め判断して、内に回るか、外に回るかも決まるということです。形稽古では初めから内回りか、外回りか決まっているので、このとき、どの辺に手を出すと技が効きやすいかということを研究するのがいいと思います。もっと言えば、技によっても手の出し方がかなり変わるので、その工夫も非常に大切です。

例えば、一教と四方投げでは手の返す方向が違います。また、相手を流すのかその場で技を掛けるのか、さらには、逆半身か合半身か、などで全て持たせ方が違います。

その場で技を掛けるのを想定した場合、逆半身片手取り一教では、小指側を若干相手に向けた方が技はかけやすいですし、逆半身片手取り四方投げでは、人差し指側を相手に向けた方が技がかけやすいです。

皆さんも、いろいろな技で、いろいろな状況について研究してみてはどうでしょうか? そして、それぞれの技のそれぞれの状況で一瞬で判断できるようになっていただければと思います。

手首持ちの技の意義について2

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首餅の技の意義の第2回目です。

前回は、手首取りの技が何故合気道では必要としているかをお話ししました。それは「相手の土俵で争わない」ということでした。言い方を変えると「相手とぶつからない」ということです。

合気道は世界平和を目指す武道ですから、「相手とぶつからない」というのが非常に大切な事です。結局戦争は「相手と直接ぶつかる」ことが拡大して国家レベルでの争いになっています。だから合気道の「相手とぶつからない」という考えがどれだけ重要なことか分かると思います。この稽古にも合気道の精神が活かされているのです。

話はいきなり脱線しましたが、「相手とぶつからない」ために井口師範の教えでは具体的な方法があるとお話ししました。その方法は、物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法の3つがあるともご説明しましたね。

では今回は物理的な方法のお話しをしたいと思います。当会の分類でいうと“地の技術”あるいは骨の技術に属するものですが、要は物理学でいう運動エネルギーを利用する方法です。
物理学では、力とは別に運動エネルギーと呼ばれるものが存在します。物理学では運動しているモノにはそれだけでエネルギーを持っていると考えるのです。

それは経験的に、止まっている車に当たっても大したことはないが、速い車に当たると死んでしまうという常識からも分かると思います。
だから動いている物体はそれだけでエネルギーがあるわけですから、このエネルギーを相手につたえてやれば相手は当然影響を受けるというわけです。

ところが止まっているモノを動かすには、それだけでエネルギーが要ります。だから、自分の体でさえ止まっているところから動き出すのにエネルギーが必要なわけです。

だから、自分がとまっていて、いきなり相手を動かそうとすると、かなりの運動エネルギーを相手に与える必要があります。物理学では運動エネルギーは力と移動距離の掛け算でしたので、相手の体重を動かすにはかなりの力が必要になります。

ところが自分が動いていれば、既に運動エネルギーが自分にあるので、相手が自分と同じ体重なら、自分の運動エネルギーを相手に与えてやれば相手は必然的に動くのが理です。
だから、大切なのは自分が運動エネルギーを持っていることが大切です。これは井口師範の言葉を借りれば「気の流れ」があるということです。

そして、ここで普通の人が感じる盲点に触れておきます。それは「自分が動くのにそんなに力を使った感じがない」ので、運動エネルギーを甘く見てしまうということです。ところが、ちょっと大きめの重さ30キロのタイヤが転がってきたら大概の人はそれを避けようとします。経験的にケガをするというのが分かっているからです。ところが相手が人間になると突然その感覚がなくなってしまいます。でも自分の体重と同じものが転がってきたときを想像すると、運動エネルギーもバカにできないと分かるのではないでしょうか。

また、逆に考えると、相手は人間の運動エネルギーを甘く見ているという点も技には非常に有効です。この点も見逃せないものです。

手首持ちの技の意義について1

皆さん
メリークリスマス!
お元気ですか? 私はメチャ元気です。

さて、今回は前回の続きです。片手持ちの意義について話していきます。

合気道では、手首を取りに行く技が多い。しかし、実際の場面では、男が女の子やを捕まえるときや、子どもを捕らえるときぐらいしか手首をつかむ場面というのはないのではないでしょうか。

格闘の際、警戒している相手の手首を捕まえに行くというのは実は非常に難しい。手の先にある手首は手を早く動かすと捉えにくいからです。

それなのに、合気道ではかなりこの稽古を行います。これについて不思議に思った人も多いのではないでしょうか。私も、井口師範の道場に入る前の以前の道場で、この質問をしたら先輩に、「合気道は護身術だから」と教えられました。その時は納得したが、開祖の翁先生は合気道は武道であるといわれているので、護身術だからというのもおかしい話ですが、そのときは納得してしまいました。

しかし、井口師範に師事して、その意味が分かりました。それは自然な動きをするのに、相手に固定された状態でも「気にしない」という意識作りが大切だということでした。

持たれたことを意識しないで動けるようになることで自分の本来の動きができるからです。人は、相手に手を持たれるとどうしてもその箇所が気になります。その結果、相手の最も力が入りやすい場所で抵抗するということをしてしまうものです。

要するに相手の土俵で戦うということです。これは正々堂々を好む日本人にピッタリの考え方なので、多くの日本人がそう反応します。これでは、力の強い人にかなうわけがありません。そこで、合気道では、相手の土俵に入らず、対処することを学ぶ必要があるのです。それが手首取りの技の稽古であるわけです。

そうは言っても具体的にどうするかということが分からなければ、何年たっても稽古にはならないでしょう。というのは、人は相手と力をぶつけることで力加減を測るという生まれながらの特性があるらです。だから、それをやらない具体的な方法が必要なのです。

ところが、多くの道場では具体的にはその方法を教えてはないようです。単に「力を抜け」とか「気を出せ」と教える程度が関の山ではないでしょうか。そういった点では、一番親切なところが藤平光一先生の気の研究会、現在の心身統一合気道だろうと思います。それでもかなり感覚的で才能のある人が非常に有利なように思われます。

このように基本的には合気道は才能のある人が習得できるシステムになっていると、才能の無かった私には思われます。幸いなことに、私は井口師範に師事でき、井口師範はより具体的な技術を教えていただけました。

とは、言っても、井口師範自身は武道の達人でしたので、かなり感覚的な説明でした。ですので、その説明の本当の意味が理解できるのに非常に年数を要しました。でも、分かってみると、非常に明確な秘伝でした。ただ、説明が感覚的すぎたので、理解ができなかっただけです。でも、本当に井口師範が教えたかった本質がわかると、井口師範の偉大さが分かりました。

その方法には3つあります。物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法です。
そのどの方法も、相手が持っている手首である「接点を動かさない」というのが共通した基本です。井口師範は「手首を持たれたら、手首は相手に与る。そして動けるところを動かせる」「相手を動かしたかったら、まず自分が動け」などとおっしゃいました。そこに実は秘伝があったのです。

次回は、もう少し踏み込んで手首取りの話をしようと思います。お楽しみに!

合気道の形稽古の意義

翁先生が開かれた合気道には試合がなく、形稽古だけをするのが本来の形です。
ところが、現在、試合を提唱する人がいて別団体を作っています。では、翁先生は何故、試合を固く禁じたのでしょうか?

私の師・井口師範はおっしゃいました。
「形稽古が試合にもなっているから必要が無い。わざわざルールを決めて試合する必要がどこにあるのか。そんなことを言う人は合気道を全然分かっていない」

井口師範は、形稽古の方が試合より難しいともおっしゃいました。何故なら、合気道の形稽古は必ず二人で行い、一人でするものはないからで、形稽古では相手が自分が何をしたいのか知っているので対処しやすい状況にあり、それに抵抗されずに技を掛ける必要があるからです。

しかも、こういう状況下で、合気道の形にはそれぞれ意義、目的があり、そのような形を作っています。それは当然ですよね。意味もなく適当に形があるのではないということですね。

本ブログではその形の中で、特に「片手持ち」「正面打ち」「書面突き」「横面打ち」など合気道の各技の名称の上についているそれぞれの意義について述べていきたいと思います。

自然な動きを実現するための目の使い方

皆さん
元気ですか? 私はメチャ元気です!

さて、合気道で自然な動きというのは、「相手にとってあまりにも自然で気が付くと間合いに入られていた」という状態を作れる動きだと説明しました。

その自然な動きを実現するために、目付と歩法という話しをしました。

するともっと詳しい話をしてほしいとメールでいただきました。でも、秘伝なのでそう簡単には教える訳にはいかないのですが、今回は目の使い方だけ説明したいと思います。

達人は、常にゾーンに入っているというお話をしましたが、その時の目は、まるで筆で目を書いた人形のように、目玉が動かないのです。

何故目玉が動かないかというと、ゾーンに入っている達人は一切のこだわりが無いからです。具体的にいうと、相手の手とか、相手の目とか、相手の武器とか、どこか一か所に意識が行っていない訳です。

こうなると、相手は達人の動きを目から読み取るということができませんが、一般の武道では相手の目を見ることを教えますから、非常に混乱するわけです。

これでわかったと思いますが、特別な目付とは「目玉を動かさない」ということです。当会ではこれを人形の目と呼んでいます。

ときどき、テレビでマネキン同士で会話をさせているような映像が放送されますが、何か別の事を考えながら話をしているように見えますよね。

やっぱりマネキンはマネキンという感じが面白く作っていますが、これは目玉がうごかないからですね。

【合気道でいう自然の動きとは?!】2

前回は合気道の自然観についてお話ししました。
しかし、合気道で自然に動くというのは、スポーツでいうゾーン体験に相当し、そう易々とできるものではないということでした。

ところが、合気道では、それに近い状況を作り出す方法が用意されているともお話ししました。それを今回、説明していきたいと思います。

まず、ゾーンに自由に入れる師匠たちは、「ああしよう、こうしようと考えてはいけない」といいます。そうすることで明鏡止水の境地に入れると教えます。

さらに、明鏡止水の境地など、ゾーンに入った場合の動きについて見ていきましょう。

師匠たちのゾーンに入った動きは、動きの速さに関係なく対戦者はゾーンに入った人の動きの予測がつかなくなります。それで周りから見ているとユックリ動いているように見えるにもかかわらず、対戦している者は何故か「突然消えて、後ろに入られた」と感じます。これが自然な動きを実現した自在にソーンに入れる師匠たちの動きです。

ですから、この自然に入る部分を真似するだけで、ゾーン体験をしていなくても、同様の効果が得られるのです。秘伝を教える合気道ではこの点を教えます。

では、この点とはどの点でしょうか? 実は合気道でもかなり秘伝になっていて、高段者の人ですら知らないと思います。しかも、数少ないできる人でもそう易々とは教えてはくれないでしょう。

でも、折角ここまで付き合ってくれている読者の人に申し訳ないので、その点についてお話ししておきましょう。

自在にゾーンに入れる師匠たちと同じ効果を得るため、何を真似ればいいのかというと、答えは一つで、情報遮断という点です。要するに「相手に自分の動きを悟らせない」という点です。

 

さらに、もう少し詳しくいうと、情報遮断をするために、最も大切なポイントは2つ、目付(めつけ)と歩法(ほほう)です。

目付とは目の使い方、歩法とは移動方法、すなわちフットワークです。要するに目から情報が洩れるからそれを漏らさないようにすること、そして、出来る限り変化のしない移動方法をすることです。

この二点さえ気を付ければ、誰でもゾーンに入った人のような動きになります。

しかし非常に残念なのが、直にその動きを体験する必要があり、この体験は文章で表現するのは不可能な点です。

そこで、疑似体験のため、特に翁先生の映像などで、動きを観察していただくといいかもしれません。

【合気道でいう自然とは?!】

皆さん、こんにちは!
お元気ですか? 私はすこぶる元気です。

さて、今回は合気道における自然観について述べたいと思います。

合気道では自然が一番大切とよく言われます。さて、その自然とは一体どういうことなのでしょうか?

私が学んだ井口師範は合気道の技を「ああしよう、こうしようと考えてはだめだ。それは不自然! 自然を重視する合気道では、相手の中に自然に入っていかなければならない」とおっしゃいました。

具体的には、形稽古を行う合気道では、受け(技を掛けられる側)が取り(技を掛ける側)に攻撃を仕掛けようと行動した時点で、受けがいつ取りに入られ投げられたのかが気付かず、気が付けば既に投げられていたという状況を作れる必要があるということです。それぐらい、己の存在が相手にとって自然である必要があるということでした。

ところで、タオイズム(道教、老荘思想、神仙道)では、自我をなくし自然と心が一体になったときに行う動作のことを、無為自然いいます。心が澄み切っていて、我が無くなった状態ということです。

いわゆる禅でいう無我の境地というものです。それゆえ井口師範は合気道を動く禅であるとおっしゃいました。言い方を変えると、合気道とは無我の境地で技を行えるようになることを目的に自己鍛錬を行う武道ということが言えます。

そのため合気道では形稽古だけを繰り返して行われます。形稽古では技の受け手である受けは技の掛け手である取りがどのように技を掛けてくるか初めから分かっています。だから、受けは取りの技に簡単に逆らうことができます。

ところが、無我の境地に達した取りの技には受けが逆らうことができないのです。合気道ではこのような境地を目指すため、試合などは行わず、ひたすら形稽古を行うのです。

この無我の境地というのは、具体的にいうと、異常に集中力が高まった特殊な状態を示す言葉です。スポーツではいわゆる「ゾーン体験」と言われている状態をさします。

日ごろからかなり鍛錬をするオリンピック選手ですら、ゾーンに入るのはごく稀で偶然に近いといわれるぐらいですから、一流のアスリートすら自在にゾーンに入ることはできません。だから無我の境地とはそれほど難しいものです。

ですから、形稽古のやり方を間違えると、合気道の本来の目的すら曖昧になってきます。よくある間違いは、受けの人が取りを無視して、闇雲に投げられたり、勝手に倒れたりすることです。

それが何故間違いかというと、受けが自然を完全に無視して勝手にやっていることですから、当然取りも無視している訳で、合気道は和合の武道といわれる本来の稽古からかけ離れたものになっているからです。

受けが勝手気ままに行う形稽古では結局取りが受けに合わすようになります。要するに受け取りが入れ替わるということです。飽くまでも取りは主であり、受けは従うものでないといけません。確かに、取りが受けに合わすと、見た目は凄い技を行っているように見えます。

だが、実際の場面を考えたら、それは異常であることが分かります。武道である以上最低限護身ができるということは大切です。そう考えたとき、現実の場面で暴漢が自ら意味もなく吹っ飛ぶようなことは決してありません。

また、このような形稽古ならなら、リーダーとパートナーという関係で行われるソーシャルダンスをしている方が目的がはっきりとしている分まだ自然に到達する可能性高いといえます。

さらに恐ろしい事は、こういう稽古を行っていると、いつしかそれが当たり前になり、大きな誤解をしてしまうことです。例えば、私の経験上、女性に非常に多いパターンですが「もう合気道を十年以上しているから私は達人」「私はもう黒帯だから、男性2人までは大丈夫!」「短刀取りの形を学んだからナイフはもう大丈夫!」なんて言うようになったりすぐのをよく経験しました。

このときが本当に危険です。以前にも述べましたが、合気道の本質をとらえていない女性では、男性の本気の力はとうてい対処しきれません。

しかしながら、合気道で護身術を考えた場合、即効性も必要なのは事実です。何十年もかけて、自然の境地に達するまで、ひたすら努力を続けるというのでは、通り魔やおやじ狩りに代表されるような近年増えている暴力事件への対処はかなり難しいということになります。

禅を専門に何十年も修行してもそのような無我の境地に達する人はごくわずかと聞いています。そして、「いつ投げられたかわからないぐらい自然に相手を投げれる」ようにならないと、合気道は使えないのであれば、やっている意味もないとも思います。

私も、当初は形稽古を行っていて、「こんな形稽古で本当に護身に使えるようになるのだろうか?」という疑問を持っていましたし、実際に使えるようにもなりませんでした。

というのは、自分の技術が如何に役に立たないかが、他の武道をしている人と関わるとよくわかったからです。そのため私はカラテを学んだり、中国拳法の本を読んで研究したりしていました。

ところが、あるときより井口師範より秘伝を授かるようになり、単に闇雲に努力をするのではなく、ある種の規則に沿った合気道には合気道の自然観へ到達する独特の方法があることを知りました。

とは言え、自在に無我の境地に入るのは私では難しいのは確かですが、この方法のいいところは、誰でも無我の境地で行っている状況に近い効果が生み出せるという点です。

次回では、秘伝を完全に公開するわけにはいきませんが、合気道ではこの自然観に到達する方法がどうなっているかをお話ししたいと思います。

護身術:武器としての靴の使い方

靴を武器にするといいますと、靴を手に持って何かするのではないかと予想される人が多いですが、靴の側面のエッジで脛など蹴るだけでかなり武器になります。普通の運動靴でもエッジで脛を蹴られると非常に痛いです。

素早く相手の脛にエッジをぶつけるよう蹴るだけで暴漢の動きを数秒間止められますので、かなり有効な武器となります。

本日のブログでは、シークンドーという武術で使われる蹴り方を紹介します。右足で相手の脛に靴のエッジをぶつけるのを想定して説明しますが、左右どちらでも構わないので、自分の蹴りやすい方で練習して下さい。

①まず相手に対して自分の右側面を向け、完全に横になって構えます。

②体を振り子のように振らせながら、左足を右足に素早く寄せ、右足は曲げて宙に浮かせます。

③左足を寄せた反動がある間に、右足を飛び出しナイフのごとく素早く蹴り、靴のエッジを敵の脛にぶつけます。

このときの注意事項をあげると、体が振り子のように振れることが大切です。ちなみにジークンドーでは、このフットワークを振り子即ちペンジュラムのようなので、ペンジュラム・シャッフルと呼んでいます。このフットワークのメリットは、移動して蹴るよりも短い時間で蹴りを相手に到達させる点にあります。

また、稽古する際の注意点は、くれぐれもパートナーの脛を直接靴で蹴らないということです。できれば座布団でも足に当てて稽古して頂きたい。というのは、軽く当たっても唸るぐらい痛いからです。

ちなみにジークンドーの訓練では、脛に丈夫なプロテクターを付けますが、それでも蹴られると腹が立つぐらいかなり痛いです。

 

護身にはジャケットを使え!

皆さん、お元気ですか?
私はメチャ元気です。

さて、先日、護身術の電子出版をおこなったという報告をしました。
力の弱い人でもできる唯一の護身術という本です。(https://www.amazon.co.jp/dp/B07FHYGQKR/0

現在改訂版を出すべく、色々と修正・追加を行っております。
第3章の中の「身の回りの物を武器にしよう」の項で、どうしても書いておきたかったのですが、イラストが中々追いつけず、とりあえず出版をしたので今追加をしている最中です。

なお、現在価格は250円となっていますが、1100円に改訂版から料金を上げる予定です。料金引き上げが9月から予定しています。3つの秘伝とはいえ、殆ど表に出ない秘伝技術を公開しているので、あまりにも安すぎると会員から不満の声があがったためです。

本を買っていただいた方も追加内容には関心があると思うので、このブログで発表していきますので安心してください。

今日発表するものは、「服を武器にする」とうことです。

ただ、このノウハウを公表すると、わりと「そんなの当たり前じゃん」と反応する人が案外多いです。

しかし、セミナーで、こうしてくださいと言ってみると誰もできません。今日のブログで発表するやり方も多分「そんなの当たり前じゃん」というものですが、「服を武器にするにはどうしますか?」という質問に正しく答えられる人が殆どいません。ちょっとした知識は、当たり前に思うのですが、知らないといざというときには使えません

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ジャケットを使った護身術

①図のように小指側に襟が来るように服を握りしめ、フリスビーを投げるときのように体の内側に構える

②相手の動きを感じたら、上着がまっすぐに相手にぶつかるように相手の顔面を目掛けて素早く投げつける

③相手にぶつけたら、すぐに手元に引き、服を引き寄せ、また元の構えの位置にもってくる

注意:
やたら服を振り回さないこと。威力がない上、隙だらけになるので、相手はあなたを害しようと手を使って簡単に服を避けてあなたのところに入ってくることができる。

 

 

 

呼吸力2

皆さんお元気ですか? 私はすこぶる元気です。

さて、前回の【呼吸力1】では、呼吸力は気とその気に導かれた間接要素で成り立った力であるといいました。さらに、呼吸力を理解する上で重要なのが、
①気に導かれた間接要素
②その間接要素をどう気で導くか
であり、その間接要素とは、体幹の力と運動エネルギーだというところまでお話しましたね。

かなり今回の記事を出すまで時間がかかりました。それは、説明が非常に難解を極めたためです。というのは、説明しようとなると本一冊分ぐらいは必要だからです。

ところで、今日は、②の間接要素を気でどう導いているかということについてかなり気になっておられる人が多いと思います。

そこで、今回は②について述べていきましょう。

まず結論から言いますと、「気で導くためには、相手との接点で気が伝わる特別な状況を必要」ということです。

ただ、この特別な状況を一概に言葉で説明できません。何故なら、シチュエーションによって、「接点の特別な状況」というのが違ってくるからです。

そこで、座り技呼吸法という2人二組になって、互いに向かい合ってすわり、一方が他方の手首を握り、握られた人が握った人を倒すという技について述べたいと思います。

この際のポイントは、肩の力を抜いて、手首を握られた際、すぐに指先を開き手をパー状態にすることです。

こう言えば、「そんなこと知っている」と合気道をしている人なら誰でもいうでしょう?

ところがそれを知っているにも関わらず、何故相手を巧く倒せない人がこれほどまで多いのでしょうか?

それには理由が2つあります。まず、指先に力を込めて開く動作の意味が分かっていないという点です。

ではどういうことか?というと、手を開くのは、相手を引っかけるという状態に持っていきやすいということです。呼吸力は相手の力に逆らって押し返す力ではなく、相手を引っかけて相手を運ぶ力を言います。

引っかけるという表現を使っていますが、どう引っかけるかというと皮膚に引っかけるのです。多くの人がやっているように骨を相手にぶつけて押すのではありません。

もう一つの答えは、肩の筋肉の動きがあるからです。もっと具体的にいうと、三角筋の動きがあるからです。

三角筋が動くと、三角筋で気が分散してしまい、もはや呼吸力ではなくなり、単なる腕力になります。

だから、「肩の力を抜け」といいます。でも、その表現は非常に微妙です。「肩の筋肉をブラブラにしろ」と誤解を与えるからです。
肩の筋肉を一切使わないで腕を動かすというのは、科学的にありえません。肩の力を抜けというのは、無駄な力を出すなということです。

例えば、歩くのに無駄な力をいれて歩いている人があると、異様な感じがし、つい「足に力を入れずにあるけないのか?」と言いたくなると思います。

じゃあ、普通の人は足の筋肉を一切使わず歩いているのでしょうか?

答えは“否”でしょう。その証拠として、何か月も寝たきりになった足が細くなり筋肉が無くなった人はすぐに歩けません。足のが腕よりごついのは筋肉がついているからです。このように歩くためには足には筋肉がかなり必要なのです。

そういう事実から考えても、達人が肩の筋肉を一切つかわないなど言っても、筋電図で筋肉測定をしたわけじゃないので本当に科学的に正しいわけではありません。

実はこの肩の力を抜けという表現は、古い時代に気の研究会の藤平光一師範が合気会で指導していたときの表現が残ったものと考えられます。井口師範は、「肩の筋肉を使うな」などとは言わず「肩の筋肉に気を通して、張りを作れ」とおっしゃいました。

このように達人一人一人表現が違うので、飽くまでも感覚的表現であり、科学的根拠でいっているのではありません。

私は井口師範がおっしゃったことが一番しっくりきました。この張りを作るというのが非常に大切だと痛感しています。

そういった感覚があるときに呼吸力が使われている状態と考えてください。全ての呼吸力を使う技に共通する感覚が「引っかけて運ぶ」というモノです。これ以上は、実際にお会いしないと説明が困難ですので、以上を参考に研究してみてください。