「気とは?!」その11 気に当たる2

こんにちは、皆さんお元気ですか? 私はとても元気です!

さて、前回「気に当たる」という表現をしましたがこれについて話しを進めたいと思います。

「気」とは特別訓練した人が出すものと思っている人が多いのではないでしょうか?

そうなると、全く自分には無理だと思われる人もいるかもしれませんが、前にもいったように「気」は誰からでも出ます。特に攻撃を意識したりすると、その出方が顕著です。感覚としてその気は鋭い気となりますから「殺気」という人もいます。

また、人は相手を攻撃しようとある箇所に意識の照準を合わせると、自然と気が出ます。例えば相手の顔面を殴ろうとすると、相手の顔面に気が当たり、その後をパンチの気が追い、物理的にヒットするわけです。

ところが、不思議なことですが、相手の当てようという「気」に別の「気」が当たると、その「気」は消滅してしまいます。その結果、攻撃が終了してしまうのです。

通常、拳法や空手では、相手の気を手でブロックするわけですが、内臓を破壊するような強烈なパンチでも手でブロックすると、不思議と威力が消滅してしまいますが、実は、最初に「気」に手の「気」が当たっているから、威力が消滅しているのです。受けた腕を吹っ飛ばし、さらに相手も吹っ飛ばすという光景はめったにありません。

一方これがサンドバッグなどのモノになると、打ち込んだパンチは60キログラムぐらいのサンドバッグならもののは見事吹っ飛ばす人がいます。こう考えると、人の体重と同じ質量のものが吹っ飛ぶのに手で止まるというのは不可解ですよね。

しかし、「気」で「気」が止まり、動きがとまったという考えをいれると、人が吹っ飛ばず相手の蹴りでも受けるというのは十分可能であることは分かると思います。だからカラテのなどではバンバンと蹴りを手で捌いて試合ができているのです。

こういった気の特性を理解し、意識的に利用するとかなり有利に相手の攻撃を受けることができます。

「気とは?!」その10 気に当たる1

みなさんお元気ですか? 私はすこぶる元気です。

さて、今日からは「相手の気に当たる」ということについてお話ししていきたいと思います。

合気道の形稽古では、例えば正面打ち入り身投げのというように「正面打ち」と名のつく技が沢山でてきます。

ちなみに、正面打ちというのは、手刀を頭上から相手目がけて打ち下ろす打撃技をいいます。

ところが、正面打ちという技ですが、実際の格闘などでは、ほとんど使われないのが実状じゃないでしょうか。

例えば、テレビなどでさまざまな格闘技が映し出されていますが、頭上に構えた手刀を相手に打ち込むような技を使う人をほとんど見ません。それぐらい一般的に使われないのが正面打ちです。

そんな特殊な状況の稽古を何故合気道ではするのでしょうか?

「手刀は刀の代わりであり、手刀に対処する稽古をすることで刀に対処できるようになる」という説もあります。

実は、切れる長ものである刀と手刀ではまったく間合いも違うので、手刀に対処できても日本刀に対処するのは不可能といえますし、刀が使われない現代社会において意味がないように思われます。

このようにお話しすると、合気道で稽古する正面打ちに対する技に全く意味がないように思われます。
しかし、井口師範は別の意義を唱えられました。「正面打ちの技は、気に当たる稽古で、合気道を極めるには非常に大切」と井口師範は言われていたのです。

では、次回はこの「気に当たる」ということについて具体的に説明したいと思います。

「気とは?!」その9 気を外す2

こんにちは、皆さん! お元気ですか? 私はとても元気です。

では、今回もブログを書いていきます。

前回は「気を外す」ということを書きました。「気を外す」というのは自己の情報を相手にもれなくするということで「情報遮断」とうことだともふれました。

今回は、実際に「気を外す」ためにどんなことを行えばいいのかということを述べていきます。

まず、第一のポイントをお話しします。それは、「人は反応するのに時間がかかる」ということです。

運動生理学から、目から入った情報から判断して動き出すのに0.5秒~0.7秒かかるといわれています。

ですから、相手がどう動くか分からない状況で、相手に動かれると、最低でも0.5秒は遅れるということで、これがぶっちゃけ相手が合気道の技が簡単にかかれる秘密です。

合気道は形稽古なので、決まった形をおこないますから、自分の動きが相手に読まれると、その時点で合気道の技は一切効きません。そうなると、他の人よりも力の強い方が勝つという図式の成立です。それでは合気道の稽古としての意味がなさないでしょうか。

一方、うまく「情報を遮断」ができると、相手の反応が遅れるので簡単に技を掛けることができます。

そして第二のポイントは、相手の接点を「相手に与える」という気持ちを持つことです。手首を持たれたら接点は手首となります。

そういった気持ちを持つと、「相手の気とぶつかり合わない」状態がになります。しかし、それは単に力を抜いてダラーンとすることではありません。大切なポイントは、相手からの情報を受け取る感覚だけを残して、すべて相手にゆだねるようにすることです。合気道ではこれを「合わせ」といったり、「脱力」といったりすることがあります。

これは飽くまでも、技を掛けるための準備段階での「脱力」であり、技を決めるために筋肉をまるきり使わないということではありませんので注意してください。

さらに、次の段階としては、気は意識をしたところに集まるという特性があるので、自由に動けるところに意識を持っていきます。すると、そこに気が集まり、それによって動きが生まれ始めるのです。

動きが生まれると、運動エネルギーが生じるので、その運動エネルギーが相手に伝達し、相手の態勢に何らかの影響をあたえ、内部にアンバランスを生じます。

ところが、こちらのその動きは、意図が無いので、相手には決して分かりません。だから、相手が気が付いたが時点ではもう動きが起こっていて、すでに手遅れな状態になっています。

もうその時点からの対策は不可能で、体が持っていかれ技にかかってしまうというわけです。

このように、合気道では力を使わないという言い方をしていますが、全くつかわないのではなく、実は適切に筋力と運動エネルギーを使い分けているだけです。

ところが、理屈上は可能とわかっても、実際にやってみると、大多数の人にとっては、持たれた状態から、気をぶつけないというのはかなり難しいようです。このように手首とりの技はかなり熟練度を必要とします。

その感覚を得るために、当会では、手首とりは、かなり熟練してから稽古をし、最初に稽古をするのが、継続的に気のぶつかりが出来にくい正面打ち、横面打ち、正面突きに対する技術です。

これらの技術で、瞬間的に「気に当たる」「気に当てる」という感覚を身に付け、どうすればぶつかり合わないかの理解を助けます。

今日の内容は秘伝にふれることが多く曖昧な表現をした上、「運動エネルギー」という言葉までだして、理科嫌いの人にはかなり消化不足を招く内容になったかもしれません。しかし「情報遮断」を如何にするかといういことが大切だということを肝に銘じておくことです。

「気とは?!」その8 気を外す1

こんにちは、皆さんお元気ですが? 私はとても元気です!

では実際に井口師範が指導する合気道では、気の利用の4つの考え方をどのように稽古するのかをお話しします。
今回は、「気を外す」という考え方について述べていきます。

「気を外す」という考えですが、これは手首取りの技で修練するものです。合気道をしている方は知っておりますが。手首取りには、片手取り、両手取り、諸手取り、後ろ取りと4種類あります。この4種類の場面で「気を外す」という概念を実行します。

「何故、手首取りが「気を外す」稽古なのか?」と、疑問に思われた人がいらっしゃるでしょうから、もう少し詳しく説明しましょう!

実は、人間が接触した際、その接触部を意識した時点から接触部から相手の気が自分の方に流れ込んできます。しかも、この気は自分の意図あるいは意識とともに相手に入っていきます。この意図、あるいは意識が相手に入っていくということは、自分の次の行動が相手に分かるということです。武道ではこれは非常に危険です。何故なら相手は簡単に逆らえてしまうからです。

この意図や意識の伝達というのは、「相手の気」と「自分の気」が衝突して、ぶつかりあった時点で起こります。その対策として「相手の気を外す」技術が必要になる訳です。

ですから、手首取りの技の稽古の最大の意義は「こちらの意図や意識を相手に悟らせないようにすること」にあります。具体的には「接触点からこちらの意図や意識が流れないようにする」ことが目的であり、「気を外す」技術の稽古だということです。

他の武道をしている人に、「手首取りなんて、実戦では絶対にないのに何故稽古をするのか?」と聞かれることがよくありました。

以前Youtubeを見ていましたら「刀社会だった昔、相手に刀を抜かせないようにするため手首を取りに行った」と説明されていた師範の方がおられました。居合をされている人にこの話をしたら、「真剣を持っている相手に、手首を持ちにいくなんて自ら無防備で切られにいくようなもの」と言っていました。非常にナンセンスと笑っていました。

例えそういう意図があったとしても、刀社会じゃない現代社会で何の意味もない稽古だということになります。しかし、井口師範がおっしゃるように「最も不利な状況でも、気を自在に操れることが大切」という意味では、手首取りの稽古の意義が十分あるということです。

このブログの昔からの読者の方は、手首取りは「情報遮断」と私がいっていたことを思い出されたのではないでしょうか? 実は「気」で説明するとこういうことになります。以前は科学的ということで極力「気」という言葉を避けてきたのですが、「気」を意識しないと、会員の人の技に統合性が出てこなくなることに気づき、最近から「気」指導することにしました。 

「気とは?!」その7 相手の気を利用する

今回は、相手の気を利用する技術について述べます。
井口師範は相手の気を利用する場合、以下の4つがあると教えてくださいました。
 ①相手の気を外す
 ②相手の気に当たる
 ③相手の気に当てる
 ④相手の気を導く

そして井口師範の秘伝では、この4通りの考え方を実現する具体的な技術があります。この技術の具体的な方法については公のブログでは話せませんし、実演を交えて説明をしないとかなり誤解される内容です。しかし、この秘伝が分かればかなり画期的な技術です。

このように概念だけを書き並べると、とても難解に感じられるでしょう?

では、「実際の指導ではどうか?」というと……

実はもっと難解でした。

実際の指導は、もっと感覚的な表現の指導で、整理もカリキュラム化もなかったです。井口師範がその場その場で思いついことを指導されるので、本当に難解というしかありませんでした。井口師範の指導は、野球でいうと長嶋茂雄さんのような指導でしたので、そういうと私が受けた際の難解さかわかると思います。

しかし、私はこの難解さを何とか克服しようと、井口師範のこの技術を物理学、生理学、心理学を元に考え抜きました。できるだけ客観的に誰にでもわかるようにするにはどうしたらいいかを考え抜いたのです。

その結果、私が私のカリキュラムで初めて指導した自称運動オンチの女性は6カ月で私が10年数年以上かけてできるようになった技術を簡単に再現しています。また合気道歴十年超の人達と技比べをして、彼らにショックを与えました。

本質を稽古することがどれだけ大切かを示すいい例だと思います。その本質というのが、「気」を理解するのではなく、「気」を利用できるようになることです。そのためには、「自分の気はどう使うか?」「相手の気をどう使うか?」 ここが区別でき、適切に利用できることが重要になります。

「気とは?!」その6 自身の気を扱う3 丹田2

丹田には3つあり、合気道の技では、3つの丹田を協調させて使うと書きましたが、実際、各丹田にはどんな機能をもつのかわからないと、3つの丹田を協調させて使うということがわかりません。

そこで、今回は合気道において各丹田はどんな機能を持つのかを説明したいと思います。しかし、丹田の機能は今回説明するだけのものではありませんが、分かりやすくするため、知らない人へということで説明をしたいと思います。

【下丹田】
下丹田は最も大切といわれる丹田で臍下丹田といわれるものです。合気道では下丹田を足のコントロールするのに使われ、身体のバランスをコントロールします。その結果、下丹田を意識することで体全体の気が流れるようになります。言い方を変えると、身体のバランスが如何に大切かということです。ですから、この臍下丹田が一番重要ということです。

【中丹田】
中丹田は胸にあります。両手が協調して働くようにできるポイントです。左右の手が、最善の状況で協調して働くためにはこの中丹田の意識が必要になります。そして、中丹田に意念を流すと、何故か不思議な現象がでます。自分の前面に気の壁のようなものが出現し、相手への気の圧が強くなります。

【上丹田】
上丹田は眉間の奥にあります。上丹田は、相手の動きの兆し(気差し)を読むため、視覚、聴覚を十分に働かせる際にに使います。そのため、特殊な目の使い方(目付)をする必要があります。「明鏡止水」の境地とはこの上丹田に関係があります。

この3つの丹田を同時に意識することは初心者には不可能ですので、下丹田を意識して使えるようにし、次は中丹田をつかえるようにし、最後は上丹田をつかえるようするというように段階的な稽古が必要です。

以上3つの丹田を使えるようになると、様々な技術が使えるようになるので覚えておくといいと思います

「気とは?!」その5 自身の気を扱う2 丹田

私の師匠から教わった気を使った秘伝技術について述べていますが、前回説明した3つの重要ポイント以外に、丹田というポイントも非常に大切です。そこで今回から丹田について説明していきたいと思います。

一般に、丹田といいますと、臍下丹田という言葉がある通り、下腹部の中心位置にあるポイントをさしますが、私は丹田には3つあると教わりました。

それは、上記の臍下丹田以外に、胸のところにある中丹田、眉間のところにある上丹田です。ついでですが、臍下丹田は下丹田ともいいます。

この3つを駆使して合気道の技を行うというのが師匠の教えです。

ちなみに、丹田という言葉は神仙道からきている言葉で、気を集め、集めた気を一点に集約して、不老不死の薬である金丹をつくる場所とされています。この丹を作る田ということで、丹田と言われるようになったそうです。

また、ヨガでは、第2チャクラ、第4チャクラ、第6チャクラが丹田に対応しているといわれますが、私はヨガは専門じゃないのでチャクラのことはよくくわかりません。

しかし、合気道では不老不死を目指すのではなく、武道としての技を行いますから、その意味も違ってきます。
ですが、丹田には3つあり、技で3つの丹田は協調して使われるということは知っておく必要があります。

次回は合気道では各丹田をどのように用いるかについて書いていきたいと思います。

「気とは?!」その4 自身の気を扱う

師匠である井口師範から教わった技術では、自身の気の扱う重要ポイントは3つあります
 ①気の流れ
 ②呼吸力
 ③螺旋形
です。

合気道の技を行う上で、「気の流れ」が最も重要だと師匠の井口師範はおっしゃいました。「気の流れ」というのは、滞りなく身体が流れるように動き、身体の内部に気の流れを感じることです。そして、大切なポイントはこの「気の流れる」感覚を切らないことです。「止まれば気は滞る」と言われました。

呼吸力というのは、心身を統一したときに出る力で、単に腕の筋力と異なり、全身が一体となって出る力をいいます。一部の合気道修行者はこれを誤解している人がいます。「息をハーと吐け」とか指導されますが、息を吐くときにでる力とは違います。

人は意識レベルを変えることで、現状のままの身体で、かなり効率よく身体を強くすることができます。さらに、それを鍛えていくことでもっと大きな力が得られるといいます。言い方を変えれば、呼吸力とは各身体の部位が協力して最高の力を出せるようにしたときにでる力です。この呼吸力をだしていると、体に不思議な流れが感じますが、これが気が流れた状態ということです。

最期は螺旋形です。合気道のすべての動きが螺旋形である必要があると師匠はいいました。相手に気を伝えるためには、気をらせん状に相手に流し込むと必要があると言われていました。

以上の3つのポイントを意識して、技を行うことで、相手を巻き込んでいくような強い気が身体に流れ、技を強力にすると教えられました。、

「気とは?!」その3

前の記事では「気は誰でも使っている」が、合気道では「気を扱う技術を稽古する」と話しました。

この記事では、井口師範が指導した実際に合気道ではどのように「気」を扱うかという点を書いていきます。

井口師範の合気道では、以下の点を意識するように教えられました。
 ●自身の気の使い方
 ●相手の気の使い方

相手が必要な武道では、相手を無視して存在できませんし、自分を無視して存在できません。当然ですが、どちらの側面も必要になります。

自身の気の使い方では、は肉体上における感覚を重視し、構造的に身体を強く使う技術です。また、相手の気の使い方というのは、相手の意識をコントロールする技術になります。

ですから、自身の気の使い方で、身体が安定していて力(気)が流れる感覚を自分の中に持ち、相手の気の使い方では、相手を観察することで相手の意識(気)がどこにあるかを判断して相手よりもより相手の気を理解することで相手を導くということを稽古するわけです。

こういった意識が合気道の稽古には必要と師匠は常日ごろから言われておりました。

次回は、今回の内容をもう少し踏み込んで書いていきたいと思います。

「気とは?!」その2

昨日、書いた私のブログを読まれた方で、井口師範が言われたかったことがお分かりになった人はいらっしゃるでしょうか?

井口師範は「気は誰でも使っている」ということを言いたかったと答えた人がいらっしゃったら、流石です!

井口師範は、私が攻撃しようと出した「気」を察知し、絶妙なタイミングで私が吹き飛ぶように、その「気」を躱したのです。(実は秘伝にあたるので詳細はいえませんが、この表現には微妙な誤りがあり、合気道のこの辺の気のやり取りに詳しい人が読むと本当に分かっているのかと思われるでしょうから一言添えておきます)

「気は誰でも使っている」ので「気」とはそんなに特別なものではないということです。

では、特別でないなら「何故わざわざ合気道では『気』を重んじるのか?」という疑問がでてきます。

簡単にいうと、井口師範によれば、元々の合気道では誰でもつかっている「気」とどう付き合うかを稽古する武術だからです。言い方を変えると「『気】の特徴を如何に利用して技を仕掛けるか?」を稽古する武術ということです。

そこが分かれば、「なるほど、体格、体力、性別、年齢はそれほど関係がない」とわかります。
ですから、そこを意識して稽古しないと、只の運動にしかならないということです。

現在の合気道の状況を見てみますと、演武に重点を置いて、如何にきれいに形を魅せるかという点に皆さんが意識して技を稽古するのが中心だと思います。ですから取り(技を仕掛ける側)も受け(技を受ける側)も互いに協力して美しく魅せる演武を行っています。

この様に「気」と如何に付き合うかとう点を差し置いた綺麗な形を目指して稽古していても、体格、体力、年齢など超えられるものではありません。

別に私はこの傾向を悪い事といっているつもりも、批判しているつもりもありません。健康のために合気道をしている人を批判するつもりもありません。それどころか袴をはいてきれいな演武している若い女性を見るととても素敵だとは思います。ダンスや運動としてするという選択肢も合気道にはあるということで、選択肢が多いほど様々な人が楽しめるのでそれはそれでいいと思います。

ただ、実際に対処したり、他の武道と対戦できるのは別です。そして、他の武道の稽古の方がかなり「気」をつかっているという現実を把握しておく必要があると思います。

合気道をしている人を多くの他の武道の人はかなり馬鹿にしている現実があります。
「合気道には達人と呼ばれる人は確かに存在するが、それは何万人に一人で、後はクズ」とまでいう人たちもいます。

それは、
合気道修行者は
「空手や拳法、ボクシングなどのパンチは単なる点にすぎないから、その点をさければ対処は簡単」とよくいいますが、そういう合気道修行者と、他の武道経験者が、相手したら「全く話にならない」という経験よくするからです。現状の取りと受けが協力して綺麗に魅せる合気道の稽古では連打やコンビネーションの対策はできません。要するに「点も沢山集まれば、線にも、面にもなる」ということです。これが現実です。

また、現実は、演武のように技を受ける側が掛ける側の技を協力してくれることはなく、むしろ相手はかからないよう逆らってくるということです。

実話ですが、合気道五段の女性の話です。自分は無茶苦茶強いと思っていたある時、日ごろ運動をしていないご主人に手首を思い切りつかまれ、何もできなかったという経験をして合気道の裏切られたと感じ去っていた女性がいます。

彼女は何十年もかかって五段になったのでしょうが、素人のご主人に本気で手を捕せたら何もできなかったことで初めて自分の技がきかないことが分かったわけです。合気道を信じて何十年も稽古をして、その何十年が無駄だったと去っていくというのはあまりにも悲しすぎます。

護身術で合気道をやっているつもりの人には非常に酷なことをお伝えしましたが、合気道を何十年も頑張っても、本当に気が分かる師匠に学ばないと、合気道をやっているだけでは、男女の体力差まではうめることができないのが現実です。

合気道をやっているから「気」のパワーが強いはずじゃなく、「気」を扱うにはそういう技術があるということを理解して稽古する必要があるのではないでしょうか。ですから、現実を知らずに他の武道を批判するようなこと、合気道は気の稽古をしているから他の武道より優れているという考えは全く的を外しているという他ありません。

合気道と護身と健康を考えるブログ