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健康護身術を指導している橋本実です。

手首取りの技の意義について5

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義につい今回で5回目となりました。
前回、「気」の話に触れました。このブログでは以前に、人体の気の構造について説明したことがありますが、初めての読者もいるでしょうから、もう一度、人体の気の構造についてお話ししたいと思います。

ただし、この構造のお話しについては、他の合気道関係者の人に聞いても多分わからないと思います。だから、人に聞くと合気道でそんな話は一度も聞いていないといわれると思います。何故なら、私が師匠から伺った話を自分なりに解釈して、図にしたものです。

では図を示しますと次のようになります。

何故、一般的でないこのような図を皆さんにお見せするかというと、井口師範から教わった合気道では、それぞれの気を利用して技を行うからです。

そこで、詳細は秘伝ですが、少し説明を加えておきます。人体の気の構造を示すと、上図のようになり、人体を境に、外の気と内の気に分かれます。外の気は、外殻の気と最外殻の気に分類できる。また内の気は内殻の気と核の気に分かれます。

核の気は、生命のエネルギーともいえる気で、これが体外に漏れると、心身が弱り、内臓などが傷つきます。強烈な当て身などを受けると、内殻が傷つき、核の気が漏れる場合があり、特に臓器の近くの気を漏らすと、その臓器自体がダメになる恐れがあるので大変危険とされています。

次に内殻というのは、体表を中心に気が流れている部分を言います。東洋医学でいう経絡という気が流れるルートがある部分です。そして、東洋医学では、経絡は各臓器に関連づいているので、経穴、いわゆるツボを鍼・灸・按摩などで刺激して、その経絡の流れをコントロールすることをします。
 一方、合気道では、気の流れを一時的に止める技法を使って、相手を無力化するのに使います。実は、合気道で用いられる特別な力である呼吸力という力は、相手の内殻の気のコントロールすることとと非常に関係がありますが、今回のテーマではないので、その説明は割愛します。どちらにしても、合気道の技では、この内殻の気のコントロールが非常に大きな課題です。

ちなみに、経絡という言葉を使えばいいのに、何故わざわざ別の名前を付けるかというと、合気道の技では、経絡秘孔(いわゆるツボ)を突くとかいうようなことで、相手の筋肉や内臓を破壊するのが目的でなく、一時的に相手の気の流れを遮断し、力を封じるため、詳しい12経絡やそれに関わるツボの位置や秘孔など一々覚える必要がないからです。

次は外殻の気ですが、皮膚の上の部分に存在する空間ということです。合気道の技には軽く触れるだけで相手をコントロールする技術もありますが、実はこの外殻の気を使います。

さらに、最外殻の気です。実は、この性質を知っていて、利用すると非常に相手をコントロールしやすくなります。というのは最外殻の気は、本人の意識に一番影響されやすからです。本人の注意の向くところに集まる性質があり、この気を使うことで相手の隙を誘因しやすくなります。

以上で説明を終わりますが、前回お話しした「気の流れ」というのは、内殻の気、外殻の気、最外殻の気の総合的な流れということになりますが、概ねは最外殻の気の流れですので、最外殻の気についての理解の基本が、初歩の段階の手首取りであるということです。

手首取りの技の意義について4

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義について今回で4回目となりました。今回は「気の流れ」を説明していきます。

実は前回の片手取りの技で、手を持たせる位置が技の種類によって違うという話ですが、これは「気の流れ」を理解するための稽古でもあるのです。

翁先生は、高橋英雄著『武産合気』で次のように言われていたと書かれています。
「真空の気と、空の気を性(さが)と技に結び合いて練磨し、技の上に科学しながら神変万化の技を生み出す。そして練磨するのが武産(たけむす)の合気であります。」

非常に難しい言葉ですのでよくわからないと思いますが、「気の流れ」という点で考えてみましょう。
「気の流れ」というのは、自分の意図がどうあり、自分の意思がどの方向を向いていて、自分の体がどう動くかということです。これらの要素に合わせて「気」が動くものとされていて、気が動くと、それが「気の流れ」となると解釈されます。要するに、自分の動きも、相手の動きも「気の流れ」によって行われるということになります。

だから、「気の流れ」には2種類あり、一つは自分の気の流れともう一つは相手の気の流れです。そして、合気道では気を合わせるということで、自分の気の流れと相手の気の流れを合わせる道であるのです。

だから、「“気の流れ”を考えにいれずに適当に手首をつかませるというのは合気道にあってはならない」と師匠はおっしゃいました。事前に相手の気の流れを感じ、そして相手の気が自分の意図の通り流れるように、相手の気を導く必要があるのです。

「気の流れ」を理解するために、接触時間の長い手首取りの技が合気道では必要なのです。そういった深い意味を考えながら日々の稽古が必要じゃないでしょうか。

「気を流す」稽古は、合気道の片手取りの技が操作しやすいことで初心者には最も適切だといえます。初心者の方だけでなく、「気の流れ」が理解できていない上級者の人も次のことを考えながら稽古してみましょう。
①相手につかまれるのではなく、相手につかませる
②そうすると相手はどう動くか?
③相手をどう導くか?(技まで導くためにはどう崩すか?)

手首取りの技の意義について3

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首取りの技の意義は今回で3回目です。前回は運動エネルギーを使うというお話しをしました。

今回は、手首取りの技で本当に大切なポイントをまずお話ししますね。
それはマインドの問題です。要は「手首取りの技は、持たれたら遅い!」ということなのです。あれっと思った人もいるでしょう。「ウチの師範はいつも、手首を持たれたら…」といつも説明するのにどういうこと?と思われた人もいるかもしれませんね。

ところが、井口師範は「手首を持たれたら遅い! 横面打ちで頸動脈を打たれたのと同じ。取らせなあかん」とおっしゃいました。要は『相手に手首を持たせないといけない。持たれたら遅い』ということです。そのためには「先に手をだして、手首を持ちたいようにして導いてやる」というのが原理原則ということでした。

では、ただ単に手首を持たせばいいのかというと、そうではありません。自分がどう動くかという方向性により相手への手首の出し方が変わるのです。

以下では、範囲を限定して、片手取りの技のみについて述べていきます。

相手を自分の体の外側に誘導したいのであれば、手首は自分のかなり内側に差し出します。そうすると、相手の側面に移動がしやすくなります。ところが、自分の外側に手を突き出すと、自分の外側に相手を移動させようと自分が移動を始める際、まず自分の肩にぶつかって移動できなくなります。

また逆に相手を自分の内側に誘導するのであれば、手は外側に出すことになります。そうすることで、自分の内側に自分はまわりやすくなります。

このように力の方向性を予め判断して、内に回るか、外に回るかも決まるということです。形稽古では初めから内回りか、外回りか決まっているので、このとき、どの辺に手を出すと技が効きやすいかということを研究するのがいいと思います。もっと言えば、技によっても手の出し方がかなり変わるので、その工夫も非常に大切です。

例えば、一教と四方投げでは手の返す方向が違います。また、相手を流すのかその場で技を掛けるのか、さらには、逆半身か合半身か、などで全て持たせ方が違います。

その場で技を掛けるのを想定した場合、逆半身片手取り一教では、小指側を若干相手に向けた方が技はかけやすいですし、逆半身片手取り四方投げでは、人差し指側を相手に向けた方が技がかけやすいです。

皆さんも、いろいろな技で、いろいろな状況について研究してみてはどうでしょうか? そして、それぞれの技のそれぞれの状況で一瞬で判断できるようになっていただければと思います。

手首持ちの技の意義について2

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首餅の技の意義の第2回目です。

前回は、手首取りの技が何故合気道では必要としているかをお話ししました。それは「相手の土俵で争わない」ということでした。言い方を変えると「相手とぶつからない」ということです。

合気道は世界平和を目指す武道ですから、「相手とぶつからない」というのが非常に大切な事です。結局戦争は「相手と直接ぶつかる」ことが拡大して国家レベルでの争いになっています。だから合気道の「相手とぶつからない」という考えがどれだけ重要なことか分かると思います。この稽古にも合気道の精神が活かされているのです。

話はいきなり脱線しましたが、「相手とぶつからない」ために井口師範の教えでは具体的な方法があるとお話ししました。その方法は、物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法の3つがあるともご説明しましたね。

では今回は物理的な方法のお話しをしたいと思います。当会の分類でいうと“地の技術”あるいは骨の技術に属するものですが、要は物理学でいう運動エネルギーを利用する方法です。
物理学では、力とは別に運動エネルギーと呼ばれるものが存在します。物理学では運動しているモノにはそれだけでエネルギーを持っていると考えるのです。

それは経験的に、止まっている車に当たっても大したことはないが、速い車に当たると死んでしまうという常識からも分かると思います。
だから動いている物体はそれだけでエネルギーがあるわけですから、このエネルギーを相手につたえてやれば相手は当然影響を受けるというわけです。

ところが止まっているモノを動かすには、それだけでエネルギーが要ります。だから、自分の体でさえ止まっているところから動き出すのにエネルギーが必要なわけです。

だから、自分がとまっていて、いきなり相手を動かそうとすると、かなりの運動エネルギーを相手に与える必要があります。物理学では運動エネルギーは力と移動距離の掛け算でしたので、相手の体重を動かすにはかなりの力が必要になります。

ところが自分が動いていれば、既に運動エネルギーが自分にあるので、相手が自分と同じ体重なら、自分の運動エネルギーを相手に与えてやれば相手は必然的に動くのが理です。
だから、大切なのは自分が運動エネルギーを持っていることが大切です。これは井口師範の言葉を借りれば「気の流れ」があるということです。

そして、ここで普通の人が感じる盲点に触れておきます。それは「自分が動くのにそんなに力を使った感じがない」ので、運動エネルギーを甘く見てしまうということです。ところが、ちょっと大きめの重さ30キロのタイヤが転がってきたら大概の人はそれを避けようとします。経験的にケガをするというのが分かっているからです。ところが相手が人間になると突然その感覚がなくなってしまいます。でも自分の体重と同じものが転がってきたときを想像すると、運動エネルギーもバカにできないと分かるのではないでしょうか。

また、逆に考えると、相手は人間の運動エネルギーを甘く見ているという点も技には非常に有効です。この点も見逃せないものです。

手首持ちの技の意義について1

皆さん
メリークリスマス!
お元気ですか? 私はメチャ元気です。

さて、今回は前回の続きです。片手持ちの意義について話していきます。

合気道では、手首を取りに行く技が多い。しかし、実際の場面では、男が女の子やを捕まえるときや、子どもを捕らえるときぐらいしか手首をつかむ場面というのはないのではないでしょうか。

格闘の際、警戒している相手の手首を捕まえに行くというのは実は非常に難しい。手の先にある手首は手を早く動かすと捉えにくいからです。

それなのに、合気道ではかなりこの稽古を行います。これについて不思議に思った人も多いのではないでしょうか。私も、井口師範の道場に入る前の以前の道場で、この質問をしたら先輩に、「合気道は護身術だから」と教えられました。その時は納得したが、開祖の翁先生は合気道は武道であるといわれているので、護身術だからというのもおかしい話ですが、そのときは納得してしまいました。

しかし、井口師範に師事して、その意味が分かりました。それは自然な動きをするのに、相手に固定された状態でも「気にしない」という意識作りが大切だということでした。

持たれたことを意識しないで動けるようになることで自分の本来の動きができるからです。人は、相手に手を持たれるとどうしてもその箇所が気になります。その結果、相手の最も力が入りやすい場所で抵抗するということをしてしまうものです。

要するに相手の土俵で戦うということです。これは正々堂々を好む日本人にピッタリの考え方なので、多くの日本人がそう反応します。これでは、力の強い人にかなうわけがありません。そこで、合気道では、相手の土俵に入らず、対処することを学ぶ必要があるのです。それが手首取りの技の稽古であるわけです。

そうは言っても具体的にどうするかということが分からなければ、何年たっても稽古にはならないでしょう。というのは、人は相手と力をぶつけることで力加減を測るという生まれながらの特性があるらです。だから、それをやらない具体的な方法が必要なのです。

ところが、多くの道場では具体的にはその方法を教えてはないようです。単に「力を抜け」とか「気を出せ」と教える程度が関の山ではないでしょうか。そういった点では、一番親切なところが藤平光一先生の気の研究会、現在の心身統一合気道だろうと思います。それでもかなり感覚的で才能のある人が非常に有利なように思われます。

このように基本的には合気道は才能のある人が習得できるシステムになっていると、才能の無かった私には思われます。幸いなことに、私は井口師範に師事でき、井口師範はより具体的な技術を教えていただけました。

とは、言っても、井口師範自身は武道の達人でしたので、かなり感覚的な説明でした。ですので、その説明の本当の意味が理解できるのに非常に年数を要しました。でも、分かってみると、非常に明確な秘伝でした。ただ、説明が感覚的すぎたので、理解ができなかっただけです。でも、本当に井口師範が教えたかった本質がわかると、井口師範の偉大さが分かりました。

その方法には3つあります。物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法です。
そのどの方法も、相手が持っている手首である「接点を動かさない」というのが共通した基本です。井口師範は「手首を持たれたら、手首は相手に与る。そして動けるところを動かせる」「相手を動かしたかったら、まず自分が動け」などとおっしゃいました。そこに実は秘伝があったのです。

次回は、もう少し踏み込んで手首取りの話をしようと思います。お楽しみに!

合気道の形稽古の意義

翁先生が開かれた合気道には試合がなく、形稽古だけをするのが本来の形です。
ところが、現在、試合を提唱する人がいて別団体を作っています。では、翁先生は何故、試合を固く禁じたのでしょうか?

私の師・井口師範はおっしゃいました。
「形稽古が試合にもなっているから必要が無い。わざわざルールを決めて試合する必要がどこにあるのか。そんなことを言う人は合気道を全然分かっていない」

井口師範は、形稽古の方が試合より難しいともおっしゃいました。何故なら、合気道の形稽古は必ず二人で行い、一人でするものはないからで、形稽古では相手が自分が何をしたいのか知っているので対処しやすい状況にあり、それに抵抗されずに技を掛ける必要があるからです。

しかも、こういう状況下で、合気道の形にはそれぞれ意義、目的があり、そのような形を作っています。それは当然ですよね。意味もなく適当に形があるのではないということですね。

本ブログではその形の中で、特に「片手持ち」「正面打ち」「書面突き」「横面打ち」など合気道の各技の名称の上についているそれぞれの意義について述べていきたいと思います。

自然な動きを実現するための目の使い方

皆さん
元気ですか? 私はメチャ元気です!

さて、合気道で自然な動きというのは、「相手にとってあまりにも自然で気が付くと間合いに入られていた」という状態を作れる動きだと説明しました。

その自然な動きを実現するために、目付と歩法という話しをしました。

するともっと詳しい話をしてほしいとメールでいただきました。でも、秘伝なのでそう簡単には教える訳にはいかないのですが、今回は目の使い方だけ説明したいと思います。

達人は、常にゾーンに入っているというお話をしましたが、その時の目は、まるで筆で目を書いた人形のように、目玉が動かないのです。

何故目玉が動かないかというと、ゾーンに入っている達人は一切のこだわりが無いからです。具体的にいうと、相手の手とか、相手の目とか、相手の武器とか、どこか一か所に意識が行っていない訳です。

こうなると、相手は達人の動きを目から読み取るということができませんが、一般の武道では相手の目を見ることを教えますから、非常に混乱するわけです。

これでわかったと思いますが、特別な目付とは「目玉を動かさない」ということです。当会ではこれを人形の目と呼んでいます。

ときどき、テレビでマネキン同士で会話をさせているような映像が放送されますが、何か別の事を考えながら話をしているように見えますよね。

やっぱりマネキンはマネキンという感じが面白く作っていますが、これは目玉がうごかないからですね。

【合気道でいう自然の動きとは?!】2

前回は合気道の自然観についてお話ししました。
しかし、合気道で自然に動くというのは、スポーツでいうゾーン体験に相当し、そう易々とできるものではないということでした。

ところが、合気道では、それに近い状況を作り出す方法が用意されているともお話ししました。それを今回、説明していきたいと思います。

まず、ゾーンに自由に入れる師匠たちは、「ああしよう、こうしようと考えてはいけない」といいます。そうすることで明鏡止水の境地に入れると教えます。

さらに、明鏡止水の境地など、ゾーンに入った場合の動きについて見ていきましょう。

師匠たちのゾーンに入った動きは、動きの速さに関係なく対戦者はゾーンに入った人の動きの予測がつかなくなります。それで周りから見ているとユックリ動いているように見えるにもかかわらず、対戦している者は何故か「突然消えて、後ろに入られた」と感じます。これが自然な動きを実現した自在にソーンに入れる師匠たちの動きです。

ですから、この自然に入る部分を真似するだけで、ゾーン体験をしていなくても、同様の効果が得られるのです。秘伝を教える合気道ではこの点を教えます。

では、この点とはどの点でしょうか? 実は合気道でもかなり秘伝になっていて、高段者の人ですら知らないと思います。しかも、数少ないできる人でもそう易々とは教えてはくれないでしょう。

でも、折角ここまで付き合ってくれている読者の人に申し訳ないので、その点についてお話ししておきましょう。

自在にゾーンに入れる師匠たちと同じ効果を得るため、何を真似ればいいのかというと、答えは一つで、情報遮断という点です。要するに「相手に自分の動きを悟らせない」という点です。

 

さらに、もう少し詳しくいうと、情報遮断をするために、最も大切なポイントは2つ、目付(めつけ)と歩法(ほほう)です。

目付とは目の使い方、歩法とは移動方法、すなわちフットワークです。要するに目から情報が洩れるからそれを漏らさないようにすること、そして、出来る限り変化のしない移動方法をすることです。

この二点さえ気を付ければ、誰でもゾーンに入った人のような動きになります。

しかし非常に残念なのが、直にその動きを体験する必要があり、この体験は文章で表現するのは不可能な点です。

そこで、疑似体験のため、特に翁先生の映像などで、動きを観察していただくといいかもしれません。

【合気道でいう自然とは?!】

皆さん、こんにちは!
お元気ですか? 私はすこぶる元気です。

さて、今回は合気道における自然観について述べたいと思います。

合気道では自然が一番大切とよく言われます。さて、その自然とは一体どういうことなのでしょうか?

私が学んだ井口師範は合気道の技を「ああしよう、こうしようと考えてはだめだ。それは不自然! 自然を重視する合気道では、相手の中に自然に入っていかなければならない」とおっしゃいました。

具体的には、形稽古を行う合気道では、受け(技を掛けられる側)が取り(技を掛ける側)に攻撃を仕掛けようと行動した時点で、受けがいつ取りに入られ投げられたのかが気付かず、気が付けば既に投げられていたという状況を作れる必要があるということです。それぐらい、己の存在が相手にとって自然である必要があるということでした。

ところで、タオイズム(道教、老荘思想、神仙道)では、自我をなくし自然と心が一体になったときに行う動作のことを、無為自然いいます。心が澄み切っていて、我が無くなった状態ということです。

いわゆる禅でいう無我の境地というものです。それゆえ井口師範は合気道を動く禅であるとおっしゃいました。言い方を変えると、合気道とは無我の境地で技を行えるようになることを目的に自己鍛錬を行う武道ということが言えます。

そのため合気道では形稽古だけを繰り返して行われます。形稽古では技の受け手である受けは技の掛け手である取りがどのように技を掛けてくるか初めから分かっています。だから、受けは取りの技に簡単に逆らうことができます。

ところが、無我の境地に達した取りの技には受けが逆らうことができないのです。合気道ではこのような境地を目指すため、試合などは行わず、ひたすら形稽古を行うのです。

この無我の境地というのは、具体的にいうと、異常に集中力が高まった特殊な状態を示す言葉です。スポーツではいわゆる「ゾーン体験」と言われている状態をさします。

日ごろからかなり鍛錬をするオリンピック選手ですら、ゾーンに入るのはごく稀で偶然に近いといわれるぐらいですから、一流のアスリートすら自在にゾーンに入ることはできません。だから無我の境地とはそれほど難しいものです。

ですから、形稽古のやり方を間違えると、合気道の本来の目的すら曖昧になってきます。よくある間違いは、受けの人が取りを無視して、闇雲に投げられたり、勝手に倒れたりすることです。

それが何故間違いかというと、受けが自然を完全に無視して勝手にやっていることですから、当然取りも無視している訳で、合気道は和合の武道といわれる本来の稽古からかけ離れたものになっているからです。

受けが勝手気ままに行う形稽古では結局取りが受けに合わすようになります。要するに受け取りが入れ替わるということです。飽くまでも取りは主であり、受けは従うものでないといけません。確かに、取りが受けに合わすと、見た目は凄い技を行っているように見えます。

だが、実際の場面を考えたら、それは異常であることが分かります。武道である以上最低限護身ができるということは大切です。そう考えたとき、現実の場面で暴漢が自ら意味もなく吹っ飛ぶようなことは決してありません。

また、このような形稽古ならなら、リーダーとパートナーという関係で行われるソーシャルダンスをしている方が目的がはっきりとしている分まだ自然に到達する可能性高いといえます。

さらに恐ろしい事は、こういう稽古を行っていると、いつしかそれが当たり前になり、大きな誤解をしてしまうことです。例えば、私の経験上、女性に非常に多いパターンですが「もう合気道を十年以上しているから私は達人」「私はもう黒帯だから、男性2人までは大丈夫!」「短刀取りの形を学んだからナイフはもう大丈夫!」なんて言うようになったりすぐのをよく経験しました。

このときが本当に危険です。以前にも述べましたが、合気道の本質をとらえていない女性では、男性の本気の力はとうてい対処しきれません。

しかしながら、合気道で護身術を考えた場合、即効性も必要なのは事実です。何十年もかけて、自然の境地に達するまで、ひたすら努力を続けるというのでは、通り魔やおやじ狩りに代表されるような近年増えている暴力事件への対処はかなり難しいということになります。

禅を専門に何十年も修行してもそのような無我の境地に達する人はごくわずかと聞いています。そして、「いつ投げられたかわからないぐらい自然に相手を投げれる」ようにならないと、合気道は使えないのであれば、やっている意味もないとも思います。

私も、当初は形稽古を行っていて、「こんな形稽古で本当に護身に使えるようになるのだろうか?」という疑問を持っていましたし、実際に使えるようにもなりませんでした。

というのは、自分の技術が如何に役に立たないかが、他の武道をしている人と関わるとよくわかったからです。そのため私はカラテを学んだり、中国拳法の本を読んで研究したりしていました。

ところが、あるときより井口師範より秘伝を授かるようになり、単に闇雲に努力をするのではなく、ある種の規則に沿った合気道には合気道の自然観へ到達する独特の方法があることを知りました。

とは言え、自在に無我の境地に入るのは私では難しいのは確かですが、この方法のいいところは、誰でも無我の境地で行っている状況に近い効果が生み出せるという点です。

次回では、秘伝を完全に公開するわけにはいきませんが、合気道ではこの自然観に到達する方法がどうなっているかをお話ししたいと思います。

護身術:武器としての靴の使い方

靴を武器にするといいますと、靴を手に持って何かするのではないかと予想される人が多いですが、靴の側面のエッジで脛など蹴るだけでかなり武器になります。普通の運動靴でもエッジで脛を蹴られると非常に痛いです。

素早く相手の脛にエッジをぶつけるよう蹴るだけで暴漢の動きを数秒間止められますので、かなり有効な武器となります。

本日のブログでは、シークンドーという武術で使われる蹴り方を紹介します。右足で相手の脛に靴のエッジをぶつけるのを想定して説明しますが、左右どちらでも構わないので、自分の蹴りやすい方で練習して下さい。

①まず相手に対して自分の右側面を向け、完全に横になって構えます。

②体を振り子のように振らせながら、左足を右足に素早く寄せ、右足は曲げて宙に浮かせます。

③左足を寄せた反動がある間に、右足を飛び出しナイフのごとく素早く蹴り、靴のエッジを敵の脛にぶつけます。

このときの注意事項をあげると、体が振り子のように振れることが大切です。ちなみにジークンドーでは、このフットワークを振り子即ちペンジュラムのようなので、ペンジュラム・シャッフルと呼んでいます。このフットワークのメリットは、移動して蹴るよりも短い時間で蹴りを相手に到達させる点にあります。

また、稽古する際の注意点は、くれぐれもパートナーの脛を直接靴で蹴らないということです。できれば座布団でも足に当てて稽古して頂きたい。というのは、軽く当たっても唸るぐらい痛いからです。

ちなみにジークンドーの訓練では、脛に丈夫なプロテクターを付けますが、それでも蹴られると腹が立つぐらいかなり痛いです。