【〇△□の話】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は合気道開祖が話されていた〇△□ということについて考えていきたいと思います。


禅の〇△□の話

合気道開祖はよく〇△□という言葉を話されたと聞きます。そして、開祖は、いろいろな場面でその表現を使われ、また聞く人によって違うように話されたようです。

それは僕の師匠・井口師範も同じで、ところどころで〇△□の話をされましたが、その場その場でやはり違ったことを話され、頭が混乱したのを思い出します。

ところで、禅の方では、〇△□ということで禅の世界を表現するというものがあります。〇は悟りの世界、△は禅、□はその人の囚われている心を意味します。

要するに、囚われた世界にいる人が、禅を行うことで、自由な世界に入ることができるという話なわけです。

では合気道ではどうかというと、合気道開祖は〇△□を使ってさまざまな説明をされていて、非常に分かりにくいというのが現状です。


一つの悟りが連綿と他へ繋がっていく

開祖の口述として有名な「合気道神髄」という本があります。この本にも〇△□は何か所かでてきますが、いくら読んでもさっぱりわかりませんでした。

それで井口師範にお伺いしてみましたところ、
「一つの悟りが他につながっていくのが合気道。これという〇△□の正解は無いもんや。本まは人それぞれ全部答えが違う。答えが違って、自分の答えが出たときに、またいろんな現実とつながっていくもんや」
と、おっしゃいました。

それで、一つの答えとして、例えば〇は宇宙の本質、△は気、□はこの世界と考えると、合気道は、気でこの世界と宇宙をつないているものと解釈できるといわれました。

この解釈に近い解釈を、実は開祖のご子息である二代目吉祥丸道主も「合気道教範」で述べられています。

「〇は心の安静を意味し。心の安静によって円熟した万枝を生み出せる。□は体、△は気を意味する。故に□の体に△の気を備えれば天地自然と一体化した敗れざる三角体の姿勢となる。これは開祖が常に説いた事である」『合気道教範284p』

他の師範たちは、これに対して批判的な立場をとられている方もいらっしゃいますが、息子である吉祥丸道主がやはり、開祖と誰よりもそばで見てこられたかたですから、間違いであるというのはおかしいと僕は考えます。

井口師範が一例で出した答えは、要するにものごとを3つの相反する違った要素からとらえて、一つにまとめることで、より深い理解ができると捉えると、どの答えも間違いではない。

それにより、より深い理解が生まれると捉えると、〇△□もあらゆる面で活きてくると考えられます。

例えば、三位一体という言葉も、〇△□かというようになります。要するにどれが〇で、どれが△でどれが□かというのはそれほど重要ではなくなるわけです。

それぞれの人が自分なりに納得すればよいということです。それが悟りなんでしょう。


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