「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

【合気道の力の考え方】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、読者の質問から出発して、前回は第三の方向性について述べましたが、力を使うという部分が明らかにしていなかったので、合気道での力の考え方を書いていきたいと思います。


一霊四魂三元八力とは

先ず最初に、合気道では、よく力を否定し、気ですべてを行うと解釈されることが多いですが、合気道では力には8種類あり、その力を適材適所で使います。

ですから、力に対抗するため力を抜くといのもありますが、それだけではないということです。

具体的な話をすると、合気道の大切な考えとして、一霊四魂三元八力という思想があります。これは、古神道の本田親徳の思想に基づく考えです。

人というのは、霊(ひ)を止めるということから霊止(ひと)と呼ばれているということで、人には霊と肉体があると考えるわけです。

僕は精神世界と物理世界という表現をしていますが、霊(精神)と体(肉体)という2つの構成要素を合気道でも考えます。

そして一霊四魂は霊(精神)を、三元八力は体(肉体)を表しています。

精神面の一霊四魂についてはるあまり詳しく述べると話がややこしくなるので、以下は体であり物理面である三元八力について説明したいと思います。

三元八力というのは、三元である流体、柔体、剛体(固体)をより八つの力、動、静、引、弛、凝、解、分、合が生じるということです。

この様に合気道では力を否定するのではなく、さまざまな力を肯定し、状況によって使い分けられるのが正しいと説くのです。

 


大切なの気の流れがあること

 

元々は合気道では力の否定というのはしていないというのが分かったと思います。

また、井口師範は「気の流れ」を重視しました。体の使い方で気が流れているかどうかを重視しました。

井口師範は「技を行う時、気が流れているのを感じなければならい」とよく言われていました。

要するに、気という停止したエネルギーが技の質を決めるのではなく、気の流れがあることが大切ということです。

では、気の流れと力の肯定とどういった関係があるかということですが、技を使う時の問題は、止まった力を使っているか、変化する力を使っているかということだと言えば分かると思います。

変化する力というのは流れる力のことで、一点に固定されない力のことです。

大体、力比べになるというのは、互いに一点に力が固定されているときに起こります。

当然、一点に固定された力の場合、筋力が上の人が勝つにきまっています。

ですから、力の使い方をどうするかということが合気道の修行者の考えになる必要があるのです。

 

 


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【第三の方向性】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は、形稽古では受ける側が既にかける側のすることが分かっているから、いつでも逆らえるという点で、各道場でさまざまな工夫がなされているという話をしました。

ところが、井口師範はそのどれにも属さない第三の方向性を示されていたということでした。

そこで、第三の方向性についてもう少し話したいと思います。


相手にこちらの情報を読ませない!

 

いくら形稽古で相手が技の手順を知っているとしても、実はその手順がでるタイミングがわからないと、逆らいようがありません。

そこで、そのタイミングさえ分からなければいいのだと考えるのは誰でもできるものです。

それが一般の武道や格闘技におけるフェイントというものです。

ところが井口師範は「虚々実々の駆け引きは合気道ではない」とおっしゃられました。
「虚々実々は、撃つと見せて撃たず、隙ができると撃つというのが基本。合気道はいつ撃つかわからない。だから効くんや」

このように、一般的な考えとしては、タイミングを如何に外すかを考えるが、一方、合気道ではタイミングを読ませないことに意識を注ぎます。

そのため、相手に自分の動きを読まさない技術が必要になります。

そこで合気道ではそういった技術を秘伝にして、どうすれば読ませないかということが技の中に盛り込まれます。

それは秘伝として伝えられていますが、かなり科学的に考え抜かれた技術です。

 


情報を読ませないためには!

 

基本的には、最も情報が漏れるのが目。ですから、情報を漏れなくするために目の特殊な使い方するというのがまず一つです。

目の使い方については、拙著に記載しています。もしご興味のある方はそちらを参考にしてください。キンドル版の本「力の弱い人でもできる唯一の護身術

 

次に、大切なのはフットワーク。

合気道のフットワークには合気道独自の移動方法があり、瞬時に静から動へと移りかわることができます。

ボクシングなどのようにリズムを取ると非常に動きやすく、スムーズに攻撃できますが、リズムが読まれますと、自分の動きが完全に把握されてしまいます。

そのため、如何に素早く動けるか、反射神経、体の大きさなどが問題になります。それではもはや合気道ではないと師匠は断言していました。

更に、大切なのが接触点からの情報の遮断です。不思議なことに相手に接触していると、そこからこれから何をするかという情報がかなり相手にもれます。

実は合気道の秘伝では、この接触点からの情報を読ませない技術も何種類かあり、その都度やり方を変えるのが合気道です。

以上の点をクリアする技術があり、それを稽古するのが第三の方向性です。


 

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【形稽古の問題点をどう解決するか?!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、護身を考えたときの稽古のスタンスについて丁度質問が来ましたので、今回それを述べてみたいと思います。

要するに、合気道系の稽古では「力を抜いて、リラックスして稽古を行う」というスタンスの道場が多いが、護身の場面を想定すると、そうそうリラックスした状態になるのは難しいだろうから、力を使った技術の稽古も必要じゃないか?ということです。

 


合気道の形稽古も千差万別!

 

当会は合気道の技術を中心に護身術を組み立てて稽古しておりますので、基本は合気道です。

合気道は、技の掛け手(取り)と技の受け手(受け)の二人がペアになって形稽古をします。

そこで、問題になるのが、決められた形を行うのですから、受けは相手の技を予め知っているので簡単に邪魔ができるのでは?ということです。

全国で最も多くの合気道の道場で採用されている解決方法は、受けが取りの技にかかってあげるという方法じゃないでしょうか?

技の流れを覚えることで、スムーズな技の流れが形成され、自然と技が掛かるようになるという発想です。

しかし、実際はというと、この稽古だけでは、本気で力を入れられた相手には全くかからないという場面に遭遇します。

そこで、少し進んだ道場では、稽古を流体稽古、個体稽古と分けて、流体稽古では技の流れを覚え、個体稽古では思い切り逆らってもらってそれに技をかけるという稽古を行います。

また、自由な攻撃をしてもらって技をかける自由稽古をする道場もあります。

さらには、試合を導入し、日ごろは試合のための稽古を行う流派もあります。

このように全国の合気道の道場も、さまざまな試みを行っています。

 


第三の方向性!

 

僕は師匠である井口師範は形稽古自体が試合のようなものとおっしゃっておられました。

要するに、相手がこちらの技を知っているのが前提で、相手がそれを阻止しようとしても、技をかけることができる必要があるということなのです。

そういった考えを持ったとき、別の発想がうまれます。そこで、次の技術が必要だというのが分かるのではないでしょうか。
・相手に自分の情報を読ませない
・相手の気を逸らせる
・相手の力を入れさせない

相手は、どのタイミングでどう技をかけてくるかというこちらの情報が読めなければ逆らえません。

相手がどんなに力を持っていても、当て身などで気を逸らされると逆らうタイミングを逸してしまいます。

人は常に相手の力を読んでその力に対抗しようとしますので、それを読み誤らせると相手は力が入れられません。

井口師範はこの3つの観点を技術とした秘伝を伝えて下さり、その上で、呼吸力という物理的に強力な力を養うように言われました。

 


 

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【学ぶということを考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近になって話題にNLPという心理学を出していますが、その前提に「人は、自分の世界の経験を前提に今直面していることを理解する」というものです。

要するに、人は過去の知識や経験によって世界を認知しているだけに過ぎないということです。

これは物事を学ぶのに非常に大切な前提です。何故なら、人が学ぶというのは常に知識や経験にない新しいことを取り入れるということに他ならないからです。

これは合気道を始め、武道を学ぶのも例がではありません。

今回は学ぶということについて、述べます。

 


ひたすら稽古をしても達人にはなれない!

 

ただひたすら合気道の稽古をコツコツと長年続けておれば、相手の気が見えるようになり、相手の心が読め、相手の意識が手に取るように分かり、いつかは達人になれる

僕が師匠につく前に、大阪で合気道を学んだときは、先輩によくそう言われたものでした。

しかし、そう言った先輩は達人かといえば、そうではありませんでした。

実は、この「ひたすら技の稽古をする」というのを実行しても達人になれないのは、心理学や脳科学や認知科学でも答えは出ています。

それは、「人間の認知は過去における経験や知識から行われる」というものです。

要するに、自分の知識にないことは、何年稽古してもできるはずが無いわけです。

 

 


知識・経験にないことは一流から学ぶ!

 

では、井口師範の場合は、何故達人になれたか?という問題が出てきます。

そこで、井口師範は合気道を学ぶのにどうしたかというと、和歌山からわざわざ東京本部に毎週にちかいほど稽古に出かけ、常に合気道開祖の後ろを追いかけ教えを乞い、時には、当時の師範部長であり、後の気の研究会の創設者・藤平光一師範に付き従ったと言われていました。

要するに、翁先生や藤平師範といった一流に学ぶことによって、徹底的に井口師範は自分に経験のない知識を補ったわけです。

しかし、超一流の先生につくにも、様々な難関があります。それは、どの先生が超一流なのか?という点です。

また、例え超一流の先生についたとしても、先輩を差し置いて自分だけが教わるというようなことは中々できるものではありません。

幸いにも、井口師範は身に付けた知識や経験を秘伝という形で我々に残してくださっています。

ところが、井口師範の秘伝はかなり抽象度が高いため非常に難解です。

 

しかし、ものごとを学ぶには、抽象度を下げ、自分達の過去の知識や経験に紐づけて学び、抽象度を上げる必要があります。

そこで、亜流に思うかもしれませんが、当会では、「気」という抽象度の高いものを抽象度を下げて別の表現するかにフォーカスを当てています。


 

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【10月11日の技の研究会】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、10月11日に技の研究会を行いました。

前回のブログで、1時間かけて、女性調査員の方の個人指導を行った話をしましたが、その技術をより細かく今回は技の研究会で指導することにしました。


参加者3人が全員に変化が現れた!

この技術は、かなりオカルト系に属するものですので、会員の様子をみて、嫌そうな雰囲気が出て来たら、早々切り上げるつもりでいましたが、参加者全員がかなり真剣に行い結局、1時間半ほど費やしてしまいました。

その結果、参加者3人全員が体の感覚に変化が出、エネルギーに満ちた感じを得るとともに、この時点での呼吸力が大幅にアップしました。

呼吸力は、正坐の姿勢で膝に手を付けてもらって、立った相手に上から思い切り手首をつかんで下に抑えてもらい、それを上に持ち上げるということで行いましたが、全員、殆ど力を使っていないつもりなのに、相手が持ち上がることを体験してもらいました。

当会には「相手の力を地面に流す」という技術がありますが、今回はそれを意識せず、丹田(下丹田)にエネルギーを集中するイメージで上げてもらいました。

さらに、当会の2級のIさんは、「核の気を使った打撃」で新たな打ち方を習得してしまいました。


神秘行と科学

 

オカルト系といっても、僕自身は心理学か脳科学、あるいは認知科学としてとらえている技術ではあると考えています。

ですが、やることが、古神道の儀式である天の鳥船の行と振り魂を使うのでオカルト系といわれても仕方のない技術なのです。

しかし、心理学のNLPを学び、こういったオカルト系に属する神秘行も、心理学、脳科学あるいは認知科学の一つの手法という考えをより強く持つようになりました。

人間という個体は、物理空間にいるというのは間違いのない前提です。

ところが、実は僕たち人間は、自分達のいる物理空間を五感を通じてそれを脳に伝え、脳が世界を判断しているわけです。

ですが、ここで大きな間違いをするのは、私たちが見ている世界が、そのまま現実の世界かというと、単に目に入ってきた情報を脳が処理した後、脳がそれを解釈しているに過ぎないのです。

そのため、ある人が眠らされて、脳だけで生きられるように、脳を摘出され、神経をすべてコンピュータに連動させ、VRの世界に投げ込まれたら、目が覚めたとき、やはり彼は現実の世界にいると認知してしまいます。

コンピュータの作り出した世界はいわば二進数で作り出された世界、実体なんてないのです。

このように、脳は認知したものがすべてであり、その特性を使うと、脳にリアル感を与え、それをリアルと認知させることで能力を飛躍的にあげることが可能なのです。

 


 

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【振り魂の秘伝の指導で驚異的変化!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、本日は女性調査員の個人指導を行いました。


ストレスで喘息発症

本日夜7時に、女性調査員が現れましたが、顔色がよくありません。

挨拶するなり、咳を始め、中々とまりません。

そこで、喘息用の薬を噴射して、少し話ができるようになり、ゼーゼーした状態で、彼女の取り巻く状況の話を聞きました。

今、東須磨小学校の教職員の虐めの話題でテレビを始めマスメディアを賑わしていますが、彼女の職場にもやはり女帝がいて、その女帝が虐めを行い、人手不足の中、2人の職員を追い出してしまったそうです。

そのツケが他の調査員に回ってきて、ついにはこの女性調査員もストレスで喘息が発症したそうです。

折角、今日、稽古にきたのに、喘息がひどく全く稽古などでない状態ではありませんした。

そこで、今回は天の鳥船と振り魂の奥伝を使った軸の作る秘伝を特別に伝授することにしました。

 


如実に表れた変化

 

僕は気を研究するため、西洋魔術、インディアンの呪術、仏教書をはじめとして様々な宗教などの本を読んだり、気功や密教を学んだりしました。

しかし、それらは神秘主義的な方向に偏っていたり、形式主義に偏っていたりと、心理的に「そう思えばそう思える」程度のもので、物理的に実証できるものがありませんでした。

ところが、井口師範から学んだ神道儀式の秘伝はかなり実用的で、完成すれば、即、技に反映されるものでしたが、それにはかなりの年月が必要した。

ぶっちゃけ、僕は天の鳥船の行と振り魂を技に実用できるまで10年の歳月をついやしました。

それで、僕は改良に改良を加えたのが、今回この女性に伝えようとした奥伝の技術です。

先ずは、姿勢作りから行い。そして、動作による気の伝達を体感させ、そして、中心軸にできるセンター(丹田)の感覚を入念に説明し、何故そう感じかという点まで説明しところで、ようやく、天の鳥船の行と振り魂のやり方を説明。

そして、中心感覚の誘導から始まり、軸の立て方の誘導に入り、天地の気の誘導を行いました。

全工程に約一時間かかりましたが、その頃には、この女性は全く咳も収まりました。

女性によれば、途中から、天地の気が流れ込んできて、気が付けば体が軽くなり、咳が全くでなくなったといいました。

そして、軸が本当に完成しているかを見るため、指導前にチェックしたときできなかったのですが、椅子に座ってもらい、後ろ後方の真上から肩を押して立たせまいとしても、軸を意識し、丹田を意識することで簡単に立つことができるようになっていました。

僕自身も、全くの素人に、この技法を指導してここまで物理的な効果がでるとは思いもよらず、非常に驚いています。


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【空間感覚の合わせとは?!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近は合気道と古神道について言及し、合気道の形稽古の各種動作をプロセスとして分解し、そのプロセスこそが、神道的な神であるという話をしてきました。

要するに神というのは、無意識レベルでそれぞれのプロセスを使いこなすことだと解釈できるのです。

そして、プロセスは相手と対峙する前から始まっていて、相手と対峙した時点ではもうすでに第三プロセスに入っているということでした。

それぐらい合気道では、準備を入念に行っている必要がある訳です。

その中で特に大切なのが、第一プロセスにおける空間の合わせです。


空間感覚の合わせ

 

空間の合わせというのは、当会での名称で、離れた距離にある相手の動向に意識を向けて起き、いつでも動ける準備をしておくことを言います。

井口師範は次のようにおっしゃいました。

「離れた距離において、相手との気の交流は既に始まっている。それは、まるで蜘蛛が蜘蛛の巣を張り巡らせるように気を張り巡らせ、蜘蛛の巣にかかった虫の動きを蜘蛛が察知するがごとく、相手と気を結ぶ」

そのような感覚を持って相手と気を結ぶわけですが、気を結ぶことを当会では空間感覚の技術の一部ということで空間感覚の合わせと称して、気の作用の心理学的部分と位置付けています。

その空間の合わせを作るためには、自分を貫く天地の軸という感覚が非常に大切なのです。

自分の軸と相手の仮想の軸を結んで、その軸と軸の間にある磁気のような圧力を想定して、相手が近づくほど磁気が強くなるという感覚を意識するのが大切です。

 

 


空間感覚の技術の要は眼法にあり

 

ところで、僕は、気というのは達人になれば目で見えるものだと思っていました。

だから、井口師範の「気を蜘蛛の巣のように巡らせる」と聞いたとき、井口師範はすごい境地にいるんだと、第三者的に考えていました。

僕は勝手にイメージしてしまったのです。

井口師範の体から黄金の気が四方八方への出ていて、その気に当たる相手の動向が手に取るようにわかるものと勝手に解釈していました。

ところがある時、井口師範は次のようにもおっしゃったのです。

「気というのは目に見えない。だから目で感じないといけない」

そして、このときに、目で感じる見方を教えていただきました。

ただ、以前に書いた人形の目の技法をある程度やっている人でないと実用にはなりませんので、人形の目が秘伝の初伝なら、これは中伝にあたる技術で、公開するわけにはいきません。

なお、人形の目については、ご興味のある方はキンドル版の本「力の弱い人でもできる唯一の護身術
をご覧ください

 

 

 

 


 

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【合気道の前提:神を使う】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回より、神道世界の話をしていますが、僕たち人間は、宇宙の根本神の分け御霊であり、神の持つ力を僕たちも有しているとされています。

 


 

合気道の前提は現代日本人には難しい

 

前回は合気道の前提として「僕たち人間は神である」という話をしました。

神道では、神の行為より、新しい神が生まれ、その神の行為によりまた新たな神が生まれ、次々と神が生まれます。

だから、神道的にいえば、小宇宙である人間の行為も、神であるということができます。

僕たちが、普通に健康で、普通に動けること自体、細胞一つ一つの力が一致協力して、体の各臓器が正常に動作している訳で、単なる動作でも神にも等しい奇跡だと思いませんか?

こういった意味でも、僕たちの一つ一つの行為は神であるということがわかります。

また、僕たち一つ一つの行為を考えたとき、前回もお話ししたように、自分の意思と離れて、自動的に行われていることで個別の神と呼んでもよいと思います。

しかし、前回説明したように、これを神の御業として、僕たちは考える事ができないよう教育されていて、すべて「当たり前」と捉えるようにコントロールされいます。

ですから、単純に神を讃え、神を唱えるだけでは、精妙な行為を行う状況に僕たちをもっていくことはできないのが現代の日本人です。


合気道の前提をどう扱うか

 

そこで、自分達の行為を再度検討してみると、命令と反応という関係になっていることがわかります。

要するに行為自身が自動で走るプログラムみたいなものになっているとも考えられます。

ですから、行為自身を神格化するのではなく、行為をプログラムとして考え、正しく動くプログラムとして自分に覚え込ませていきます。

そのために、合気道の形稽古の各動作をプロセスに分解し、それぞれの意味と目的を把握して、自分自身にプログラミングしていきます。

そこで、プロセスという概念をしっかりと意識し、各プロセスの目的と技法を覚え、そして途切れることなく、プロセスを実行していくようにします。

プロセスについては以前に言及した様に、第7プロセスまでありますが、合気道の技の稽古は、繰り返しおこないますので、敢えていえば、次の技に連結する第8プロセスも考えると、第1~第8は次のようになります。

  1. 空間感覚の合わせのプロセス
  2. 勝速日のプロセス
  3. 相手との相対のプロセス
  4. 移動のプロセス
  5. 接触のプロセス
  6. 投げや固め技のプロセス
  7. 残心のプロセス
  8. 次の準備のプロセス

以上のプロセスが、滞りなく繋がり行われるのは、まるで高天原の宇宙の根本神が数多(あまた)の神々(=プロセス)を集えて統べる姿ともいえるのではないでしょうか。


 

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【合気道の前提:我々は神である】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は古い合気道では天津祝詞を奏上する話をし、その目的は心身統一、要するに心と体の調和を取ることだという話をしました。

今回はもう少し具体的にその効果について話したいと思います。


神道では人間の行為も神といえる

 

古事記などの書物を読むと、意図のある神の行為で神が生まれたりします。

そいうった観点からすると、小宇宙であり、神の御霊である僕たちは神であり、その行為もまた神だということが言えるのです。

その行為が我からでた「我良し」の行為は曲がつ神(悪神)であり、真心からでた行為は神であるわけです。

ですから動作一つをとってもすべて神とみなすことができます。

行為を神というとわかりにくいですが、一つのもの、例えば行為はプログラムと考えるといいと思います。

例えば、掴むという動作を考えると、人は何かを掴もうとすると、目的のものを見た瞬間、ほぼ無意識でそういうが最適に動作が行われています。

ところが、そういった動作でも、例えば人よりも早く掴もうと考えると、急に動きがぎこちなくなりますね。そして慌てるあまりつかみ損ねたりしますよね。

このように考えると、動作一つにしてもプログラムされている何かがあるのが分かると思います。

そういった点を考えると、祝詞の効果というのは、人に備わっているプログラムをより洗練されたものにすることができると宣言することで、自分の可能性を信じ、正しく稽古に臨む頃構えを作るには非常に持ってこいのもので遭ったのかもしれません。

 


 心理学的なテクニックの必要性

 

確かに、昔の人は、現代人の僕らと違って、神の存在を純粋に信じることができ、ただ祝詞を奏上するだけで、十分に心身を統一することができたと思います。

ところが現代社会では、急激な科学の発達に伴い、神の入る余地が非常に少なくなっています。

宗教というと特に日本人はネガティブにとらえることが多いと思います。

これは、マッカーサー元帥の教育改革により、戦後の日本人に宗教は怖いものと植え付け、二度と第二次世界大戦で見たように純粋に神国日本を信じて特攻隊への志願するようなアメリカに脅威を起こさせるような人間を無くすようにされたのも一つの要因です。

ですから、私たち日本人は、よく人が集まっていると、「お前ら、何かの宗教か?」ということがありますが、必ず軽蔑の意味が含んでそういいます。

そういった教育をうけた日本人である僕たちはただ単に祝詞を奏上するだけでは、心身統一はおろか何の効果ももたらしません。

そこで祝詞にかわる心理学のテクニックが僕たちには必要だと思います。次回はその点について述べたいと思います。

 


 

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【古い合気道と祝詞】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今このブログでは、古い合気道と古神道の儀式について書いてますが、今回は祝詞(のりと)について述べたいと思います。

 


祝詞の奏上

古い合気道では稽古を始める前に祝詞を奏上しました。それで、井口師範はその形式を守って、必ず稽古の前に祝詞を奏上して稽古を行っていました。

祝詞は、天津祝詞といわれる短い祝詞でした。天津祝詞にも何種類かあって、大本教で奏上されていたものと同じものを奏上されていました。

祝詞を知らない人のために、記載しておくと

高天原に大天主太神
あまたの天使をつどへて永遠に神つまります
神ろぎ神ろみの御言もちて
神伊邪那岐尊つくしのひむかのたちはなのをどのあはぎがはらに みそぎ祓ひたまふ時になりませる祓戸の大神たち
もろもろの曲事罪穢を
祓ひたまへ清めたまへとまをす事の由を
天津神 国津神 八百万の神たちともに
天の斑駒の耳ふり立てて聞こしめせと
恐み恐みも白す

というものです。

短くまとめると、高天原にお住いの大宇宙の根本神を中心にそれに使える神々、そしてその系譜の神々、さらにはこの世界のすべての神々に、清め、祓いをお願いする内容です。

 

 


武道と祝詞の関係

 

高天原というのは神々が住まわれる世界のことですが、そうすると、高天原は私たちと直接関係がない場所ということになります。

ところが、神道では大宇宙と小宇宙という考えがあります。大宇宙というのは宇宙の根本の神のことで、小宇宙というのは人間のことを示します。

さらに、人間の魂は大宇宙の根本神の分け御霊ということで、人間は大宇宙神にあることはすべて備わっていると解くということです。

この宇宙は、大宇宙身神を中心に、さまざまな神々が一致協力のもと宇宙や世界を運営しているものです。

これを人間自身で考えると、意識して心臓を動かしたり、呼吸したり、食べ物を昇華したりなどしなくても、体が勝手にやっているわけです。

こういったことを考えると非常に人間とは不思議なものと思わざるをえない気分になります。

さらに、心は自分のものでありながらも、殆どが無意識に依存している点もある訳です。

このように人間も、神の分け御霊というようなに、人間自身の分け御霊とで例えられる様々な機能から成り立って構成されていることがわかります。

しかしながら、そういった機能が十分に働かない場合、自分自身の調和を乱してしまうわけです。

武道では、心身の調和が非常に大切なのです。

また、神道では、自分の肉体が自分の魂の住処であるということから、は自分自身の肉体を自分の魂の高天原と考え、さらには自分の周りを高天原と考え、調和を取り戻すということを祝詞を奏上することで行うのです。

我々武道家が目的にしている明鏡止水の境地が心身の調和ということですから、目的が同じわけです。

 


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