【もともと人は善?それとも悪?】

みなさん!
こんにちは! お元気ですか?  今日も僕はメチャメチャ元気です!

さて、先日、ビジネスのトップを走る泉忠司さんと佐藤文昭さん共著の『ビリオネア・テンプレート』という本を読みました。その付録のDVDに佐藤文昭さんが「性善説と性悪説」についてお話ししていて、日本の教育は性悪説にもとづいて行われているという話しがありました。

要するに、人はそのまま放置しておくと悪に流れるから、教育で唯一の正しい知識だけを詰め込んで、その知識で正しく判断させるのが正しい教育だというすることです。日本のように知識を詰め込んで、その内容をテストするという方針の教育はまさに性悪説に基づいているといえるということです。

そのため、日本では多くのことでこの性悪説が染み込んでいるように思います。例えば、進路にしても、「あなたは何も知らないのだから私がちゃんと決めてあげる」と子供にいって親の判断だけで進学塾に通わせたりしている親もいます。要は本人に判断させると良くない方にいくから、正しい知識を知っている親に従わせるというわけです。

全て正しい知識で人の行動を規定しようというのが性悪説です。ところが、こういう教育だと、正しい知識がない場合、対応できないという問題が生じます。今までにない新たにものごとを生み出すことには不向きです。

要するにマニュアルがない状況では誰も判断ができない状態になります。ですから、新たにビジネスを起こしていくときには向かないということです。また、過去の事例がそのまま役立たない、時々刻々と変化するビジネスには向きません。

何故このような話を持ち出したのかというと、近年の合気道も同様な性悪説に基づく指導がなされているからです。

というのは、近年の合気道の思想で「世界平和を目指す合気道では、相手を痛めつけるような技はふさわしくない」という理由から、当て身技(打撃技)の稽古を除くだけではなく、やり方すら教えないという道場が非常に多いと聞きます。悪の元になる当て身は教えない方が良いということです。

そのため、正面打ち、横面打ちの打ち方についてもあまり指導者が具体的に指導しないため素人の打ち方とあまり変わらない人が増えているようです。

しかし、経験から、当て身の仕方の分からない人に当て身を受けるというのはかなり無理があると僕は思っています。実社会でもそうですよね。毒に対処するために、その毒を研究します。毒を悪として「悪だから誰も考えてはいけない」と退けてしまえば、毒に対処することができなくなります。

また、ビジネス書でもよく参考にされる孫氏の兵法に、誰でも聞いたことがある有名な言葉があります。

知彼知己、百戰不殆。
不知彼而知己、一勝一負。
不知彼不知己、毎戰必殆。

彼を知り己を知れば百戦殆ふからず。
彼を知らずして己を知れば一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば戦ふ毎に必ず殆ふし。

敵と味方をよく知るなら、どんな戦いにもほとんど破れる心配はないだろう。
敵の実情を知らなくても勝てることはあるが、負けることもある。
敵のことも味方のことも知らないなら、何度戦っても必ず危険に晒されるだろう。

武道で護身を考えるなら、綺麗ごとで済まされないのが本来の武としての道ではないでしょうか。だから、人を傷つけ、痛めつける可能性があるから稽古しないのではなく、武道であるなら徹底的に磨き、そしてそれを滅多とやたら出さないのが人間性であり武道ではないだろうかというのが僕の考えです。

剣の道で、殺人剣、活人剣というのがありますが、人殺しの道具も使い方一つだということです。打撃系武道である空手でも拳法でも人殺しの術をひたすら磨きます。けれど、それを暴力に使うかどうかは本人次第です。人殺しの技術にも殺人拳、活人拳はあります。

この様に他の武道では、性善説をとっています。実際、テレビなどで暴力事件のニュースをみても、暴力事件を起こす人は武道すらしていない人の方が多いのではないでしょうか。
以前にある合気道師範が「合気道精神からみたら、空手や拳法ははるかに程度が低い」と言いました。でも、それは性悪説に基づいた勝手な意見だと僕は思いました。

だから、僕は合気道にも、昔のように、当て身技(打撃技)も必要と考えます。だから、僕は、他の武道と同様に性善説に激しく同意します。

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