【合気道や護身術で試合は必要か?】2

みなさん!
こんにちは! お元気ですか? 僕はメチャ元気です!

前回は合気道・護身術で試合は必要かという点で、試合がないと概念的に陥ってしまって、全て頭で考えてこうだろうと勝手に結論を出してしまい、頭の中での達人が出来上がってしまう恐れがあるという話をしました。

では、逆に試合で失うモノを考えてみます。試合形式ということでどうしてもルールが必要になります。そうするとルールということで、規制がでますので、本来武道として持っている自由性がかなり制限されてしまうことになります。

例えば、ある秘伝技術をより上達させるために、その技術を使った試合を行ったとすると、ルールでその技術にこだわりが生まれ、結局、試合をしている者同士にもこだわりが生まれます。ついにはルールを利用して勝つことを目指す方向になっていかいます。ここに問題が生じます。

要するにルールを決めて、試合をするということで、より純粋に技術を向上させ本質を追求するのではなく、ルールを使って有利に働く技術を習得するということになる恐れがでてくるということになります。

井口師範は「虚々実々のやり取り」とおっしゃい、「武道本来の本質の探求から離れること」と言われました。

前回の稽古で、少しスパーリングをしてみましたが、当会の皮膚の技術中心に行ったところ、互いにその技術を知っているため、中々技が決まらないということが起こっていました。

このスパーリングは、合気道本来の始める間合いが畳1畳分、要するに1.8メートルだという点を無視して、手が触れる近接戦から始めました。それにより、勝速日の秘伝が使えない状況でのスタートということになります。

ところが実際には、この始めの間合いが武道では必要で、すぐに取っ組みということではなく、この間合いの時点で既に技の応酬が始まっていないといけません。小説などでよくある達人同士が睨みあって何時間もじっとしているというシーンがありますが、あれです。

ちなみに、合気道は試合が全くないかというと、実は自由技というのがあって、相手に好きにかかってきてもらって自由に技を掛けるというものです。これにより自分の熟練度を確認するというものです。しかし、これはかなり難度が高いのと、場所が広くいるためあまり多くの道場では稽古をやっていないのが現状ではないでしょうか。

しかし、合気道や護身術においても、技の熟練度を上げていくために、自由技も含め、ルールにこだわらせないために何通りかの安全で行えるスパーリング方法を考えていく必要があるのは事実です。

ですから、勝った・負けたではない技術の熟練度を確認するため、公式ルールとかそういった形をとることは、合気道や護身術などの形稽古を行う武道においてはかなりの害が考えられますから、その場その場でルールが変わるスパーリングが重要です。

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