【ゴールから逆算】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道で合わせるという言葉を、「相手の土俵で闘わない」ということだと僕の師である井口師範がおっしゃいましたが、技を行っていると、それを逃げと考える人がいるようです。

そこで、逃げると別の土俵で闘うことに関してお話しをしていきたいと思います。


追いかける方にはイメージがある

「相手の土俵で闘わない」というと、「逃げ」と勘違いをする人がでてきます。

例えば、相手が肩取りで胸近くの肩を掴みに来る場合を考えてみましょう。

もしあなたが、肩を取られまいとして逃げようとしたとき、相手は肩を取ろうと追いかけてくるでしょう。

ところが、問題は、取られまいと逃げることに夢中になると、相手の手が気になって自分の体勢を確実に崩してしまうという状況になり、結局相手に捕らえられてしまいます。

このとき、あなたのバランスは非常に悪い状態になります。一方相手は、こちらの肩を取った時は、最善のバランスをとっています。

人が何か行為を行おうとするときは、その最終形態をイメージして、その状態になろうとしますから、目的を遂げた相手はそのイメージ通りの形になっているわけです。

要するに、逃げにはイメージがありませんが、攻めには必ずイメージがあります。気持ちがポジティブな状態、すなわち攻撃する意図を持つことで、そのイメージが確実になるのです。


別の土俵とは別のイメージ

逃げには最終イメージがないというのが分かってもらったと思います。

合気道は、目的を決めてそこに到達するのを目指す武道です。ですから、明確なイメージのないゴールは認められないのです。

明確にイメージされたゴールこそが、形稽古で技を行う上で非常に大切なことです。

そして合気道は、明確なイメージされたゴールから逆算して、相手に技を施すのです。

ですからその場その場での対処では、運動神経がいい人の方が絶対に有利です。合気道修行者は、ゴールから逆算して技を掛ける必要があります。

そこで大切なのが逆算して今のあり方という点が大切なわけです。合気道ではただ闇雲にゴールを目指すのではないという点に注意しないといけません。

試合というのは、どちらかというとこの闇雲にゴールを目指すという部分が強くなります。そのため、ルールを使った勝ち方と、非常に戦術的な技術を優先してしまいます。

そのため合気道開祖は試合を禁じている訳で、形稽古はゴールから逆算した現在のあり方を徹底的に身に着けるためのものです。

しかし、突然、ゴールから逆算した現在のあり方といわれても、基本の出来ていない人には非常に難しいため、戦術的な技術を教え、最終的にゴールから逆算した自分のあり方を習得するという順で修業を行っています。

何故なら、一部の団体でこのゴールから逆算した今のあり方を指導していますが、そこでは、一部の人に凄い技を持った人がでています。

しかし、それは才能ある一部の人を伸ばすには有効かもしれませんが、やはり、普通の人には具体的な技術も教える必要がある僕は考えています。


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【相手の土俵で闘わない】3

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、相手の土俵で闘わないという点から、今回は意識のあり方について話したいと思います。


二足歩行の癖

人間が二足歩行で生活するため、常に外部からの力を感じ、その力を支えとしてバランスを取ろうとします。

さらに、攻撃など相手に対して何かモーションを起こしたとき、目的の行動に向かって、その行動が完成した時点で最大のバランスがとれるように動きます。

この二点を良く理解すると、自分の取るべき行動が分かると思います。

合気道は二人一組になって形稽古を行い、自分の役割を明確に決めてから稽古を行っていますから、あなたが技の掛け手である取りなら、この二点を如何につかって、相手の土俵で闘わないかを感じながらする必要があります。

・どのタイミングが相手にとって不利なのか?
・どの方向が相手にとって不利なのか?

このポイントをシッカリ感じながら、自分の動きをきめるのです。

そうすることで、例えば、受けが取りの手首をつかんだとき、受けは何とも言えない違和感に包まれます。

この理由は、受けが掴んだ時点で既にバランスを失っている自分を発見するからです。

これが相手の土俵で闘わない闘いかたです。


受けと取りの役割を演じ切る

合気道の形稽古は必ず二人一組になって行うわけで、しかも受けと取りという担当をはっきりと決めて行います。受けは飽くまでも受け、取りも飽くまでも取りで形が成立しています。

合気道では、合気道修行者は、何故、試合はなく、形稽古だけをするのかということを理解する必要があります。その深い意味するところを理解しないといけません。

技の受け手である受けは自分の役割きっちり行い、技の掛け手である取りは、気持ちを受け身にせずに、「合わせる」という意志をもってしないといけないのです。

受けの役割とは、「技にかかってあげる」のではなく、ちゃんと「攻撃の意図を相手に伝えてあげる」ということです。

取りの本来の役割は、相手に協力してもらって形を演じるのではなく、相手との和合です。「どの動きで、受けは力の支えがなくなり、自らが勝手に崩れていく」ということを取りは目指す必要があります。

それにより、相手のバランスのあり方を知り、相手の流れを理解して、陰陽図(太極図)のように相手の空間と相手の力を含めた相手自身と自分の空間と自分の引力を含んだ自分自身を和合していくことになります。

合気道の精神は、共存共栄・相互扶助ではないといけません。それを考えるならなおさら、相手の進化発展を考え、受けは真剣に「攻撃の意図」を取りに伝えないといけません。

また、 取りは受けの攻撃の意図を理解して、それとぶつからず、それに合わせる ことを目標に技の錬磨をする必要があります。

「攻撃の意図」があると見た目は殺気があるように見えるかもしれませんが、本当は相手を痛めつけるというのが目的ではないのです。

「攻撃の意図」が伝わればいいのであって、相手を危険に陥れるわけではありませんから、それが平和を目指す合気道にはふさわしくないと考えるのは、形式主義にこだわリ過ぎているからにほかなりません。

合気道は頭で考えるのではなく、体で感じるものです。頭で考えて、相手を痛めるような技はふさわしくないとして、当て身の仕方すら教えないのでは、本来の共存共栄、相互扶助にはなりえません。


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【相手の土俵で闘わない】2

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、相手の土俵で闘わないということですが、今回は受けのすべきことについて話さなければならないと思いましたので、それについて話したいと思います。


きっちりとした攻撃での稽古の必要性

もし、合気道を稽古していて、それを護身術として使いたいと考えるなら、最も大切なことは、技の受け手がちゃんとその役目を果たす受けと稽古をすることです。

よくあるのが、遠い間合いから、正面打ちや横面打ちや正面突きをするのに、相手が立っている位置にすら届かないところに攻撃をする人が、Youtubeの演武ですら非常に多いと感じます。

今から25年ほど前に、ある合気道の道場に体験に行ったときもその道場では、そういったやり方が普通になっていました。

その際、正面突き小手返しの稽古をしましたが、僕がしっかりと打つという意図を出して、相手に正面突きを出したところ、相手は受けないといけないのに、ビビッて後ろに下がってしまいました。

その際、そこの師範から「あなたは殺気が強すぎる。合気道はそのような敵意をむき出しにしてするものではありません」と、注意を受けました。

当然、僕は殺気を込めて相手を本気で殴るつもりで正面突きを出したのではありません。相手は黒帯だったので、きっちりと攻撃をしてあげないと相手に失礼だと思って、しかも寸止めをするつもりで出したのでした。

ですから、「敵意をむき出し」と言われるのは非常に心外でした。ただ、ちょっと殴るという意図を伝えるような打ち方をしただけで、ビビる黒帯の方が注意されるべきだあと僕は思いました。

人に見せるために演武を行うだけの体操として合気道を行う人はそれはそれでいいと思います。

けれども、少しでも 護身を考えるなら、その姿勢は考え直さないといけないと思います。何故なら、暴漢は、殺気を出して、敵意をむき出しにして攻めてくるからです。


合気道では相手の意図をコントロール

僕の師匠の井口師範は、合気道の稽古では、やはり、攻撃する人は意図を出さないといけないと言われていました。

単に前項で話したような攻撃に慣れていないのでは使えないという理由からではなく、合気道独自の合わせということが稽古できないという理由からです。

合気道の合わせを行うには
・そのバランスがどこにあるか?
・相手のタイミングはどうか?
・相手の気の状態がどうなのか?
など、相手をつかむ必要があります。

それにより、相手のバランスを崩したりします。要するに、如何に相手の土俵で闘わないか?という見方を徹底的に稽古する必要があるのです。

そのためには、受けを取る人は、意図をしっかりと出して、取りが稽古できるように攻めてやらないといけないのです。

何故なら、意図がない相手の動作のその意図に合わせることができないからです。

それが、古い合気道本来の稽古です。


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【相手の土俵で闘わない】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回のテーマは「相手の土俵で闘わない」です。合気道ではどうとらえるかを話したいと思います。


二足歩行は不安定

合気道での最も基本となる前提は「二足歩行は不安定」です。

人は普通に二足で立っていられますが、別に不安定と感じる人は殆どいないと思います。

立っていて不安定さを感じる場合、その人が何らかの疾患を持っていると思われます。

この安定はどこが作り出しているかというと、小脳が常にバランスをとってまっすぐに立っていられるようにしているためで、無意識にバランスをとっているから、まったく不安定感を感じないのです。

ところが、人間と同じ人形を作ったらどうでしょうか?

ただ立たせるだけでも非常に不安定です。体重が60キロの人形が立っているだけだと、多分指一本分の力があれば簡単にたおすことができるでしょう。

このように考えると、二足で立つというのは非常に不安定なのです。

ですから、絶えず人間は無意識にバランスを取り続けているわけです。


バランス点は一か所

さて、人間は実は常にバランスを取り続けているということがわかると、ではそのバランスはどうなっているのかと考える必要があります。

ところで、コロンブスの卵ってご存知だと思います。

コロンブスを批判した人に対してコロンブスは卵を立ててみるように言って、誰もそんなことできるはずがないと言ったのに対して、コロンブスが卵の先を割って立てたという話が有名です。

ところが、実は卵は先を割らなくても、立てられるのです。バランスのよい唯一の場所を探せば、誰でも立つのです。

このようにバランスの良い唯一の一点で立っているのが人間であるのです。

それは、外部からの情報と身体の傾きなどを知る内的な機能と組み合わせて行っています。ですから、人が押して来たら、その力に対してすぐに対抗して、バランスを取ります。

ところが、その力が分からなかったらどうでしょう?

人は対抗できなくなります。それが実は相手の土俵で闘わないということなのですが、人間は生まれてこの方ずっと力に対抗してバランスをとる癖がついています。

そのため、相手を倒そうとすると、自分は安定して相手のバランスを崩そうとしますが、これでは相手に読まれてしまうのです。

要は相手を倒す場合、相手を支えにして自分が安定して相手だけを倒そうとすると、相手はそれに対抗するわけです。

ですから、相手を支えにせず、こちらの情報を相手に出さない方法を研究することで簡単に倒せるようになります。


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【形稽古は判ではない】2

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

3月18日火曜日の稽古では、参加者が、初級の人が二人と上級者が二人の黒帯の合計4人と僕という5人の稽古となりました。

今回からは、初級者と上級者の稽古のやり方を変えることにしました。


初級者には判で押したような形稽古

形稽古の基本はやはり何度もやって体で覚えることです。

例えば、僕は若いころワープロ教室の先生をしたことがあるのですが、キーボードを見ずに打つタブラインドタッチタイピングを指導すると、必ず、自己流で行う人が現れます。

彼らは曰く
「自分のことは自分が一番よく知っているので、そんな細かいことを一々聞いているから早く入力できない。自分の好きなようにさせてほしい」
と……

確かに、当初は自分の好きなようにする方が早く打てます。ところが、皆がブラインドタッチに慣れてきたころには、そういう人は、徐々に皆に負かされるようになります。

そして、当時、日商のワープロ検定会場開催の許可を受けいたので、ワープロ検定をすると、そういう人は、4級は余裕で合格しますが、3級になると中々合格できません。

一見、自分流というのがいいように思いますが、長い目で見ると完全にブラインドタッチができないため、ブラインドタッチに慣れてきた人にはかなわないのです。

このように、初級者の内から自己流や応用を行うようなことをしていると、肝心な部分が習得できずに終わるため、やはり、判で押したような形稽古は必要となります。


中級者以上はパターンを壊す

合気道の稽古に慣れてくると、つい最高の形というのを目指してしまいます。

そういった精密機械が行うような判で押したような形は、タイミングも力加減もすべて同じなので、一度その技を受けたら、どこでどう逆らったら良いかというのは、誰でもわかるようになります。

ですから、判で押したような形というのは綺麗ですが、実際に護身という考えからすると役にたちません。

そこで、中級者以上の人(合気道2級の茶帯クラス以上)の人の形稽古への取り組み方は変わっていく必要があります。

形を覚えるときは、技の受け手である受けは、あまり逆らわないようにしますが、中級者の場合は逆らってもらって、自分の欠点がどこにあるかを探す必要があり、その欠点を補う稽古が中級者には必要です。

さらに上級者では、相手というものを見る稽古が必要になってきます。中級者までは自分がどう行うかという点に注目していますが、上級者は、
・相手がどう動くか?
・相手の今の状況はどうなのか?
を常に意識しておく必要があります。

ですからそのための稽古ということを考え、タイミングをずらした稽古をなど工夫が必要です。

当会では、今回の稽古から、上級者に相手の状況を読む稽古方法を指導し始めました。

というのは、形の中でそれをいきなり入れるというのは難しいので、取りあえず、そのタイミングの取り方を指導し始めたわけです。

通常の合気道修行者の場合、そういった稽古ができませんので、かなり難度が上がりますが、形稽古の中にそういった要素を入れて稽古することをお勧めします。


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【形稽古は判ではない】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日は形稽古の陥りやすい危険性について話そうと思います。


護身は形を覚えるだけでは不十分

合気道は形稽古を行います。二人の人が組み合って担当の取りと受けを決めて行って技を覚えていきます。

しかし、形稽古ということで形の習得だけで終わってしまうケースが多いと思います。

けれども、技の形を覚えても、実際面、要するに護身を考えたとき、思うように使えるものではありません。

特に、女性の場合は、取っ組み合いの喧嘩、殴り合いなど一度も経験した事のない人が多いため、短刀取りを学べば、「私はもう短刀取りを習ったので、ナイフで脅されても平気!」と平然という女性もいるぐらいです。

とは言え、現在は合気道にも様々なニーズがあり、それぞれのすべてのニーズに応えられるのが合気道であるという指導者もいるぐらいですから、「別に護身に役に立たなくてよい。私は凄い演武さえできればそれで満足」という人はそれはそれでいいと思います。

しかし、指導者が実際に使えもしないのに、さも使えるような言い方をして誤解させるのは非常に問題があると思います。

護身面のことを言われたとき、多くの合気道指導者はよく「逃げれば良い」といいます。

けれども、電車の中、密室の中では逃げるにも逃げられない場面もあります。僕は電車の中で、ただ座って本を読んでいただけで、何の落ち度もないのに、暴力に遭いました。助けてくれる人もなく、その上、人がたくさんいたから逃げることすらできませんでした。

ですから、指導者は単に「逃げればよい」ということを指導するだけでなく、できないなら「できない」ということを正直に知らせてあげ、その上で、演武だけの稽古でよいのか、護身に使えるようにしたいのかを教える必要があると思います。


形稽古はその先の先がある

一旦、護身を考えたとき、合気道の形稽古では様々なシチュエーションい応じた稽古が想定できます。

単なる形稽古でも、技の形を覚えるだけでなく、もっともっとその先の稽古ができるものです。

試合形式だと、攻撃パターンが非常に多くなり、どちらかというと虚々実々の取り引きが主となり、結局、運動神経の良い人、体の大きな人が勝つという結果になります。

しかし、形稽古の場合、攻撃が一つなので相手の出方の様々な状態に合わせるということが可能になります。

タイミングを少し変えるだけで、そのタイミングに合う技の掛け方など変わってきます。そこを稽古するだけで、様々なシチュエーションを作ることができるわけです。

しかも、取りがそのシチュエーションを作れるということなのです。

ときとして判で押したような完全な形を求める人もいますが、やはり技は一期一会、それぞれの状況に応じて変わってくるものです。

その状況を工夫して作りだせるのが形稽古の良さでもあるのです。


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【視野の知識】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は仔犬に吠えられる人から学ぶことをお話ししました。今回は、「相手を見ずして相手を見る」とはどういうことか?に触れたいと思います。


見ることの意識と目の構造の問題と

人は何かを観察しようとすると、じっと一点を見つめてしまいます。よくよく観察しよとするほどその部分を見つめます。

このとき周りの様子が全く見えなくなってしまいます。例えば、本を読んでいると、横で人が通っても全く覚えてもいません。

ところが、普通にしていると、目の端に入った人がいると気づきます。ましてや、自分の好きな異性なら、思わず見てしまったりします。

このように、意識が変わることで、見える対象がかわります。特に一つのものを詳細に観察しようとすれば、心にフィルターがかかり、意識は一点に集まります。要するに、NLPでいうフレームです。

フレームによって、不必要な情報を脳はどんどんとカットし、より必要でより具体的なものに、意識の焦点を向かわせようとします。

脳は、見えていても、見えないようにすることで、より認識を確かにすることができるわけです。

これは人工知能ではかなり難しく、それができるようなら、補聴器でも、うるさいノイズをとって必要な音だけを取るということができるので、さまざまな分野で応用ができますが、これを「フレーム問題」といって現在の人工知能の分野でも最も困難なものといわれ、その解決策はまだ見つかっていません。


目の構造上の問題

先ほどの一つに意識が集中したら周りが見えなくなるという現象ですが、もう一つ大切なのは、脳のフレームの問題以外に、目の構造上の問題も大切です。

目ですが、武道では視野が非常に大切です。そして、視野というと2種類の視野があります。

一つは中心視野、もう一つは周辺視野です。

中心視野の役目は、モノの観察です。ですから字を読んだり、ものをしっかりと観察するには中心視野で捉えないといけません。

一方、特に草食動物ですが、食べるものを見るためには中心視野も必要でしょうが、いつ肉食動物に襲われるか分かりません。

そのため、常に周りの気配を見張っている必要がありますが、この草食動物に発達した視野が周辺視野です。

周辺視野は、基本的に色やはっきりとした形は判断できないそうですが、微妙な動きなど、小さな変化に敏感に反応できるようになっています。

そして、実は武道で、相手の気を感じるという見方はこの周辺視野を使った見方と関係があるのです。

この周辺視野を有効に利用できると、相手の動きがよくわかるようになります。

ですから、理想的には中心視野を捨て、周辺視野で見れる見方ができれば非常に武道としては有効になるのです。


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【仔犬に吠えられる人から学ぶこと】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、職場で受付をしている女性がいるのですが、この人は仔犬も嫌いだという話をしています。何故かというと、仔犬すらも、この女性に敵意をむき出しにして吠えるそうです。

かなり犬に舐められているというのですが、犬に舐められているのじゃなくこれにはちゃんと原因があります。

僕たちはそこから武道に必要なことも学べるので今回は何故仔犬に吠えられ人がいるかについて話したいと思います。


仔犬が吠える

僕は、基本的には猫よりも犬の方が好きなんですが、仔犬なんかみると非常に癒されます。

ところが世の中には、そんな可愛い仔犬を見ても恐怖する人がいるから驚きです。

かなり昔ですが、自宅から車で50分かけて通っていた合気道の道場に道場主の子供さんが、飼犬の仔犬を連れてきたことがあります。

その仔犬は道場の入り口の近くの木にひもで逃げないように繋がれていました。

小っちゃくてコロコロしていて、とてもかわいく、周りの人に ご機嫌に尻尾を振って愛想を振りまいていました。

ところが、ある中学生の男の子が道場の中に入ろうとして、通りがかりますと、その男の子を見た途端、猛烈な勢いで敵意をむき出しにしてキャンキャンと吠えだしました。

怒りをあらわにしたその姿はやはり 仔犬ながら野生そのものという感じでした。

その男の子は、恐怖に顔を引きづらせ、道場に入ることができません。当然、仔犬はひもで繋がれているし、道場の入り口から2メートルは離れているので、万が一仔犬が襲い掛かっても、噛まれる心配はないのですが、一歩も動けないのです。

よくよく、観察していると、その男の子は犬の目を恐怖を感じながらしっかりと見ているのです。

動物は、目を見られると敵意を持つといいますが正しくそのようにしているのです。


合気道では目をみるなと教える

このように、哺乳動物に対して目を見るというのは実は本能的には敵意をあらわす動作を表す行為です。

ですから、目を見て話せとよくいいますが、実は目だけを見るのではなく、表情も視野に入れて話しています。

これが、目だけを見て話してくる相手がいたとしたら、かなり威圧感を感じます。

ですから敵対する相手だと、人間は普通、目だけを見て威圧をかけるわけです。

合気道では、開祖は「相手の目を見てはいけない」と言われています。

「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

僕の師匠の井口師範は「どこも見たらあかん、目で相手の気を感じるようにするんや」と言っておられました。

これは、犬好きの人が仔犬を見ることと非常に関係があります。犬好きの人は、犬を見たら犬全体を見ます。毛がふさふさしていて、犬の色は全体でどうなっていて、耳だけが黒いとか、足が白く白足袋のようだとかです。

ところが犬嫌いの人に限って犬の目だけしか見ないのです。注意深く観察しようとすればするほど、犬の目に囚われます。

これが僕たち武道家がやってはいけないことなのです。


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【相手のフレームの利用】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道に用いるNLP心理学の考えとしてフレームについて最近は話しを進めていますが、今日はもう少し深いところまで話していきたいと思います。


フレームは情報収集の窓口

人は五感を通じて情報を脳に伝えているわけですが、この情報というのは実は非常に種種雑多な膨大な要素を含んでいます。

例えば、何もない真っ白な部屋の中であなたと他人が二人いるとします。すると、あなたの目の前に立っている人を見たとき、その人に含まれる情報だけでも非常に多くの情報があることがわかるでしょう。

その人は、あなたの知り合いかそうでないか?
性別は? 
いくつぐらいの年齢か?
身長は?
太っているか? 痩せているか?
髪の毛の長さは?

:
:

服装は?

と外観だけを上げてもきりがありません。このように、たった一人の人が目の前に立つだけでも、非常に多くの情報があるわけです。

ですから、単に観察するだけであるなら、どんどんと観察していけばいいのですが、人と人が会っているという状況には必ず意味付けがあります。

例えば、そこはカウンセリングルームであなたはカウンセリングに来たクライアントなら、目の前の人はカウンセラーです。ですから何もない白い部屋にいるという意味がでてきます。

それであなたは、何か相談をするという意図があってそこにいるわけです。

このように、状況を判断するというのことで、あなたはカウンセラーを見ていて、いつも相談している人なら、その人に関して、どのような人で、以前どんな方法で相談に乗ってもらったかとどんどんと状況を絞っていくと、自分の状況がわかってきますね。

このとき、その場では意味のない情報、例えば顔にあるホクロの数が何個でどこにあるかなんて全く意識もしないのです。それどころか、実は認識すらしていないのです。

このようにフレームとは物事を判断するための情報を取捨選択する情報収集の窓口ともいえるわけです。


期待というパターンの利用

状況判断によってフレームが決まると、次にパターンが選択されます。目の前の相手に対してあなたの取るべき行動が決まってくるわけです。

しかもその行動は、あなたの中にあるパターンで行われます。如何にそのときに自分の頭で考えて、行動をとっているつもりでも、実はあなたの中にあるパターンを使っているのです。ですからあなたの中にないパターンでは行動ができません。

それはともかくとして、フレームができ、パターンが選択されると、そのパターンで人は行動するということです。

これが合気道で利用できる点になってきます。

例えば、自分が相手に近づこうとモーションを起こします。すると相手は、相手の中にあるパターンを思い起こします。

ところが、例えば殴ろうとして、モーションを起こして相手に近づいたところで、あなたが動画を一時停止するように急に止まったとしたら相手はどう反応するでしょうか?

実は、相手は一瞬何もできず、こちらが一時停止を解除するか、『あれ、おかしい』と理解するまで、こちらと同じように止まってしまいます。

さらに、何事もなく、そのまま相手に攻撃を加えると、相手は途中で止まったことさえ記憶から消えてしまっています。

これは、相手の中に、攻撃はこう来るというパターンがあり、相手の頭の中にある攻撃されるときのフレームは、「途中で意味もなく止まる」というものがないのです。

そのため、脳ではフレームにより無意味な動作を排除して、認知することすらしないのです。

このような仕組みを使って、合気道では入り身など行い、目の前から消えたというような感覚を起こさせたりします。


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【フレームはもろ刃の剣】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、ブログの方を書こうと色々と考えているのですが、最近はネタ切れとNLPのフレームの考え方で自分の捉え方が間違っているという指摘を他の人からもらい、確認をとっていたため、本日書く予定の内容がかけたくなりました。結局、フレームの考えは自分の捉え方でOKでした。

このフレームは、合気道では非常に大切な概念ともなりますので、フレームということを今回は話していきたいと思います。


フレームとは捉え方

何度かこのブログでもフレームということについてお話ししましたが、今回は少し突っ込んでお話ししたいと思います。

フレームというのは、ぶっちゃけると、「ある物事に対してその人はどういう風に捉えるか」という捉え方です。

こういうと、若干誤解を招きますので、もう少しコンピュータサイエンスを使って説明したいと思います。

例えば、僕たちは、ホンモノの車をみても、省略したイラストを見ても、それが車だと認識できます。

ところが、これをコンピュータに認識させようとすると非常に大変なのです。

ですから、そのイラストを見ると、「あっ、これがタイヤだな」とすぐに判断が付きますが、コンピュータに判断させるには非常に大変なプログラミングが必要になります。

これがコンピュータサイエンスにおける「フレーム問題」といわれるもので、フレームの概念がなければ、AIで将棋をコンピュータにさせることすらできません。

その場で、最適解を求めるのはフレーミングという条件を枠を切って絞り、意味付けすることで、そこにある意図にあった最適解を見つけることができるのです。

このフレームを人間は自然と作り出して、物事を判断しているのです。


フレームはもろ刃の剣

ですから、人が目的をもって動くときは必ずフレームが存在します。

ところが、フレームとは、状況から条件を絞るということですから、フレームの中にある条件以外のものは全て見えなくなるという欠点があります。

以前、話題にしたルピンの壺ですが、見方によって、二人の人が向かい合っているようにも見え、真ん中に壺があるようにも見える絵があります。所謂だまし絵というやつです。

人が向かい合っていると脳が判断した途端、壺と見えなくなり、壺だと判断したと途端、向かい合った人が見えなくなります。

このように一つの範疇で物事をとらえたとき、別のものが見えなくなるという現象があります。

ですから、フレームはものごとを判断する基準であり、一方物事を見えなくするものでもあるというもろ刃の剣のようなものでもあるのです。

このフレームというのは、生きている上で常に僕たちの中に存在します。

ということは、武道でも技を行う際には、必ずフレームがあるわけです。ですから、当然、盲点となる部分が現れてきます。

合気道では、相手のこういったフレームに当たるものを巧みに利用することで、力のいらない技術を実現しています。

少し前の記事が理解できないという人がいたので別角度から説明をしてみました。


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