【暴力と非暴力】

皆さん、お元気ですか? 僕はかなり元気です。

今回は、暴力と非暴力の違いの問題について述べたいと思います。


相手の理解とは?

さて、僕が今学んでいるNLPでは、「相手の世界に理解と敬意」という言葉がありますが、このことで僕はちょっと疑問をもっていました。

というのは、理由もなく暴力を振るいに来る相手に理解と敬意をもってNLPで、どう対処するというのかということです。

そんな相手も理解してただ殴られておればよいといいのかという問題でしたが、NLPの使用は、相手と相互理解が必要な場合に、出来る限り相手を理解し敬意を払うというもので、闇雲に理不尽な相手のなすがままにされるということではないということでした。

ところで、現在の合気道では、合気道精神という精神論が先行するため、武道として取り違えというのがあるような気がしています。

というのは、近年、合気道では打撃技である当て身の稽古をあまりしないと聞いているのです。

それは、調和や愛を謳い、世界平和を目指す合気道で、相手を痛めつけるような技である当て身はふさわしくないと考える師範がたくさん現れているからと聞きます。

ところが、合気道の開祖は合気道での愛をときながらも、攻撃技である当て身技を技の中で使うように指導したといわれています。

また、 実戦での合気道の使用には「当て身7分に投げ3分」とまで言われたといいます。

しかし、愛を説く合気道で、開祖の言われた当て身は矛盾していて、合気道にふさわしくないということなのです。


合気道の武道としての意味

僕の師匠である井口師範は当て身は大切と、かなり当身の稽古をするように言われました。

僕が学んだ技術では、距離ゼロの位置から打ち出すパンチから、距離が離れた相手の動きを止める当て身まであります。

このように、合気道の当て身には合気道独自の特別な技術があり、この技術は合気道の独自の世界観を作るのに非常に大切な技術でもあります。

当て身は、前回までにご紹介した、仏教の止と観とよく似た考えにより、相手と自分を結ぶ空間を作り出し、それを媒体として自分・空間・相手を一つにする技術を行うのに必要な感覚を生み出す技術です。

これだけ大切な技術であっても、思想が合わないからと捨ててしまうのは、非常に勿体なし、残念でなりません。

確かに、当て身という技術の目的からすると、確かに相手を痛めつける技術ではありますが、形稽古では、通常は寸止めと言って、当たる手前で止め、実際は当てることがありません。

相手を痛めつける暴力的なものというのは、それは使用する人によるものです。

例えば、当て身を禁じたとしても、四方投げでも、入り身投げでも、相手を頭から落とせば、殺人技になります。

このように考えると、もはや合気道の投げ技すら暴力と言わざるを得なくなります。そうすると、皆仲良くと説くだけが合気道ということになってしまいます。

極端なことを言えば、鉛筆でさえ殺人の武器になります。長い鉛筆をしっかりと握り、相手の目玉を突き刺し、そのまま脳に到達させれば、人は死ぬと言われています。

すると、同じ精神論でいくと、世の中から、ボールペン、ペン、鉛筆などすべて消してしまわないといけないという発想になるのではないでしょうか?

思想として頭で考えるのではなく、何が必要かという点から技を吟味するのが大切と僕は考えます。


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【宇宙と開祖】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回のブログは、止観から始まって、宇宙と一体となる合気道の宇宙観は如何でしたか?

達人・井口師範の世界観少しは分かっていただいたのではないでしょうか?


宇宙と一体になるとは宇宙創成

前回までの内容でわかったと思いますが、宇宙の気と一体になるというのは、自ら宇宙を作って、それと自分と相手が一体となることをさしました。

そして、自ら作った宇宙空間が宇宙の中心とすることで、我と相手と宇宙が一体となり、すべて気が一つとなる気結びができます。

しかも、この感覚は、井口師範の技を受けた人でないと分からないものですが、この思想は単なる思想ではなく、技術として成り立っているところが井口師範の合気道なのです。

そしてこの創成した宇宙空間の用い方が井口師範独自のものがありわけです。

その空間の使い方で、相手との距離がゼロの状況から、相手と空間的な隔たりのある状況まで、相手に打撃や気を当てる方法があります。

すべて、技術的に誰でもできるものです。


開祖の話を技術的に解釈する必要もある

このブログで何度かご紹介した開祖の話で、

「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

というのがありますが、これは井口師範から教わった、空間感覚(宇宙創成)の技術を言ったものと解釈できます。

先ず、自分があり、そして宇宙空間を創成し、一体となることで、相手を吸収する引力を起こす場ができます。

大切な点は、自分という中心を失わず、宇宙と一体となって、さらに相手をその中に吸収する動きを作ることです。

さらに、秘伝の話をすると、前半のくだりは、合気道独自の目の使い方で、後半はその目の使い方を前提とした宇宙の創成の原理を言っていると考えられます。

このように、開祖の話はかなり抽象的で分かり難いが、井口師範の秘伝が分かっているものには非常にしっくりくるものです。

開祖の話は、宇宙や神が突然でてきますが、それは同時に技のノウハウをいうこともあると思います。

ですから、開祖の話が分かり難いということで、大本教を研究する人もいるようですが、もしかすると技から解釈を考えた方がよいのかもしれません。


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【宇宙と一体となる稽古法】

皆さん、お元気ですか? 僕はかなり元気です。

さて、前回は宇宙と一体になる技術ということで、大まかな説明をしましたが、かなり理解が難しかったのではないでしょうか。

今回は、もう少し具体的な稽古法を紹介したいと思います。


先ずは簡単な動作から始める

合気道では形稽古を行いますが、決められた形稽古から、宇宙と一体になる意識を入れていくのは、かなり高度で、多分僕たちのような凡人では、決して入れていくことができないのではないかと思います。

そこで、技をもっと単純化して、宇宙と一体になるための稽古が必要になります。

そのため、井口師範のご指導では、まず相手と接すると、当て身を入れるというところから始まります。

その基本動作として、まず向かい合って、受け攻め同時動作というものを稽古します。

これは右手手刀で相手の右手手刀を上段で受け、左手で当て身(パンチ)を入れ、次に左右の手を入れ替えることを繰り返す稽古です。

この稽古では、相手も自分も全く同じ動作を行いますが、意識は相手と接した手刀受けの接点に意識を集中するとすぐに、意識を広げて当て身を当ての脇腹に寸止めで入れるという稽古になります

これにより、止と観を意識する訓練とするわけです。

そして相手と自分の接点が宇宙の中心、それを別の手に広げて当て身を入れつつ、相手全体に意識を広げるというものです。


技に応用していく

先ず、中国拳法でいう推手という稽古法に似た形から始めます。

合気道では、一教といわれる腕押さえから、この意識の稽古を行い、慣れるにしたがって二教、三教、四教、四方投げ、回転投げ、小手返し、入り身投げとドンドンと技を変えていきます。

そこで一教で説明していきます。

相手の右手と自分の右手を交差させます。取り(技を行う人)は、交差して接した点を強く意識します。これが止です。

次に、左手で相手の脇腹に当て身(パンチ)をいれます。と言っても稽古ですので、寸止め、要するに相手に当たる前に留めます。

この際、最初の接点から意識を外さず、意識を広げるようにして、左右の手を同時に意識します。ここより観が始まります。

さらに、相手の脇腹にいれた当て身の手から意識を外さず、すぐさま、その手を上方に移動して、相手の二の腕を掴みます。

このとき、最初の接点の意識が薄れ、相手への圧力が一瞬緩む人がいますが、これは注意しないといけません。

井口師範のご説明では、「宇宙の中心は不動である必要があり、宇宙全体からみると、宇宙の中心の突然の変化というのは不自然である」からといわれました。

早い話が、意識の中心が抜けると、隙ができ、相手の乗じられるのです。

そして、相手の強弱に応じ、右手と左手の両方を適切に使うことで、相手の腕を押さえていきます。

相手が腑抜け状態なら、肘にある手が重要で、相手のが逆らう場合は右手が重要になります。要するに何事も、バランスが大事ということです。

ただ、演武だけの合気道の人の場合、肘の手だけが大事と教えますが、演武は相手が協力してくれるからで、見た目綺麗に見えるためです。やはり左右のバランスを考えた動きが大切です。

以上の動作で止観を入れて、左右の手のバランスをとりつつ宇宙を意識していきます。


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【宇宙と一体になる技術】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は、止・観という話をしましたが、この止・観は合気道の中でも生きているという話でした。

今回は、その止・観を使って、宇宙とどう一体になるのかということを書いていきたいと思います。


止と宇宙の中心

この話は、実際は合気道の高段者向き内容になるので、もしかするとほとんどの人は意味が分からないかもしれません。

しかし、宇宙と一体になるというのは、単なる概念論や精神論ではなく、純然として技の中に存在する技術であるということが分かっていただければと思い書いて行きます。

先ず、合気道で技を行う際、合わせというのが非常に大切になりますが、これは気に合わせるということです。

気に合わせることを合気道では気結びと呼びます。それで合わせる気というのは何かというと、自分の気、宇宙の気、相手の気の3つが一つになるということです。

宇宙の気といわれると、かなり抽象的だと思うかもしれませんが、分かりやすく言えば、相手と自分の間の空間、これを宇宙と捉え、この空間に気が満ちていると考えるわけです。

ですから、合気道の合わせというのは、己、相手、その間の空間の3つの要素を考え、調和を取るというものです。

こういうと、宇宙というものがかなり身近に感じられるのではないでしょうか。


技にどう活かすか?

合気道の合わせは3つの気の調和ということが分かったと思いますが、これは言葉の遊びでも、概念論でも実はなくって、実際にこの考えを技に適応していきます。

具体的には、次の手順で3つの気を合せます。

  1. 自分と相手とその空間を意識する
  2. 相手の攻撃の兆しを感じる
  3. 相手の気に合わせながら、入り身を行い、相手と接する
  4. 相手との接点を宇宙の中心と考える
  5. 接点を意識しつつ、意識を広げる。
  6. 意識を、自分、相手、空間と3つに広げ技を行う。

先ず、自分と相手とその空間を意識します。そして相手の気の変化に応じて、空間の変化を感じます。

これが、兆です。相手の変化が出た瞬間、兆がで、相手が微妙に変化することで、空間の変化がわかります。

すぐさま、自分はその変化に乗って、入り身して、相手との接点を作ります。

その接点が宇宙の中心となりますが、この宇宙の中心を意識するのが止です。

止は一瞬で、すぐに観して、意識を次の動作に広げていきます。そして、意識はどんどんと拡大して相手全体を包み込むまで意識を広げながらも、自分の動きを止めず、技を行います。

以上が、合気道の宇宙の気に合わすということです。かなり高度な意識操作が必要で、この操作は指導を受けないと、ピンとこないと思いますが、やってみると成る程とおもうものです。


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【相手と一体となる止・観】

皆さん、お元気ですか。僕はかなり元気です。

さて、今日は、仏教の瞑想法に止観というのがありますが、この考えは、合気道で相手との関係を成り立たせるのに非常に共通するものだと思っているので、今日はそのことをシェアしたいと思います。


止観

仏教の瞑想法で止観というのは、2つ瞑想法を指したものです。仏教では瞑想を止と観の2つに分類します。

止とはサンスクリット語ではシャマタといい、心の動揺をとどめて本源の真理に住することしています。

また、観とはサンスクリット語ではビパシャナといい、 不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察すること であると言われています。

このように説明すると非常に難しいので、もう少し簡単に説明すると、止とは心を一点に集中させて、全く散乱させないことで、観とは現前の境界を離れて、様々な想いを巡らすことです。

言い方を変えると、止は一点集中、観は広い集中ということができると思います。

ちなみに、止というのは、禅宗の禅のことです。天台仏教では魔訶止観といって2種類の瞑想を行っていましたが、止だけを行う仏教の一派が禅宗となったようです。


合気道での止と観

合気道では、相手と一体になるようにとよく言われます。

単に、相手と一体になるというだけでは、色々な誤解が生じます。

例えば相手と一体になるといっても2種類考えられます。

  1. 相手中心の場合の一体
  2. 自分中心の場合の一体

そしてよく誤解されるのが、合気道は相手に合わすのだから、相手中心の一体で、相手があって自分があるという立場をとることです。

この場合、自主性をすべて放棄し、相手に任せることになります。要するになすがままになるということです。これでは自分を守ることはできません。

合気道は、自分が中心です。こういうと自己中と思われるかもしれませんが、全くその通りで、自分が中心になって相手を思うようにするのが合気道の一体です。

そこで、開祖は、合気道は引力の錬磨であるといわれています。

これは、自分が宇宙の中心になり、自分の引力で相手が自分に吸収され、ついには一体となるということになります。

それで、まず自分の中心を決めることが大切です。これが止といえます。宇宙の中心である自分の中心は不動とするわけです。

そして、引力により相手が自分と一体となり、相手もまた宇宙の一部とするわけです。

これが合気道の一体です。このとき、自分の中心から、意識を広げ自分を取り巻く空間、さらには相手へと広げていいくわけです。

この発想が我即宇宙という合気道の考えであり、宇宙の気と一体となるという考えです。

そして、面白いのは、単なる思想だけに終わらず、この考えが合気道の形の中に活かされています。


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【護身は安全確保】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

本日、女性の体験者が来ました。女性の視点は非常に護身術を考えるのに役に立ちます。

今回はそういった女性視点の護身術ではどう考えるべきかという点を述べてみたいと思います。


護身の基本は安全確保

護身で大切なのは、如何に相手を制するかではありません。安全確保をどうするかを考えるべきです。

護身術はまずは予防で、次に最悪の場合に対する非難訓練というつもりで学ぶ必要があります。

サイフの中の5000円が惜しくて、ナイフで刺されたら意味がありません。

また、女性の場合、夜間、見知らぬ男性と一緒にエレベータなどに乘らないというように、危険に近づかない予防の意識が最も大切です。

知らない旅行先などでは、例えば、サイフを2つもつというのも予防につながります。

さらに、一人で歩くなら、持ちもので武器になりそうなものを考えておくのも大切です、

その上で最も大切なのは暴漢は突然暴漢になるのではないということです。

暴漢は相手を物色し、行けそうと思った相手を狙います。要するに狩りです。

当然、そういった相手は、狙った獲物にターゲットを絞ってやってくるため、離れている時点から周りの人とは違ったリズムをとって近づいてきます。

そんな際、いち早く気づき、相手を自分の近くに寄せ付けないという注意力は必要となります。

出来る限り、相手と争わず、安全確保をすることが最善の護身です。


護身術は火災訓練と同じ

どんなに注意して、予防対策をしていても、火事に巻き込まれるケースがあるということで、火災訓練を学校や会社ではおこないます。

それと同様に、護身術では被災訓練として、技の稽古をするわけです。

そこで護身術の訓練を行うときは、暴漢に遭うという想定のもと訓練を行う必要があります。

そこで、まず大切なのが、相手との距離を知ることです。

基本的に安全距離というのは、12メートル以上離れている場合です。いくら、子どもであっても12メートル離れていると、十分に逃げる余地があります。

微妙なのがその半分の6メートルです。足に自信がある相手だと追いかけてくる距離です。

しかも、相手と反対方向に逃げる場合、ターンするだけで1秒近くかかりますから、気が付けば相手は4メートルぐらいまで近づいている恐れが十分にあります。

ですから、距離をできるだけ保てるように意識しながら、6メートル以内に近づけないという意識が大切です。

そして、最も危険な距離は2メートル以内です。真面目な人は、相手が暴漢であっても、話をするために、馬鹿正直に相手のコミュニケーション距離まで近づく人がいますが、これは非常に危険です。

最低限2メートルは確保しないといけません。そして2メートル以内になりそうな場合は、何を武器にするかを考え、用意しておく必要があります。

もし武器がないのなら、相手と刺し違えるつもりで、相手の目を思い切り指先で付くことにフォーカスして、近づけば目をつぶすというぐらいの気持ちが必要です。

人間は、相手が目を狙っていると、不思議と無意識にそれを察知し、近づくことをためらってしまうものです。

そのため、とにかく、腕力を必要としない効果的な攻撃法を覚えておくことが大切です。


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【打撃パターンを分析する】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回はNLPのプログラム、パターンについてお話ししましたが、今日は一般的な打撃について一般的パターンを解析したいと思います。


打撃の典型的パターンと対処

先ずは打撃技をしようとした人の内部でどのようなことが起こっているか、その典型的パターンを考えていきたいと思います。

先ずは、人の顔を殴るという行為に関して考えていきましょう。

  1. 最初に、相手の顔面を殴ろうという思いが出ます。
  2. その次の瞬間、殴ろうとする相手の顔面に狙いを定め、ロックオン
  3. さらに、タメを作って振りかぶります。
  4. そして、相手の顔面に向けてパンチを放ちます。

この4つの動作を気で見ていくと

  1. 意が出ます(意図を持ちます)
  2. 意によって気が差します。(兆しがでます)
  3. 気を肉体に溜めます
  4. 気をパンチと共に打ち出します。

通常、素人と武道家の違いは3の時間にありますが、通常のパンチでは必ずタメるということが必要になります。

人は目で見て反応するには0.3秒~0.7秒かかると言われていますから、いくら動体視力が良くても4の段階で避ける動作をしていては間に合いません。そこで、通常は2でターゲットを読み、3のタメの時間を利用して相手のパンチを避けるように動きます。


合気道での対処

合気道ではどうするかというと、基本は、相手の兆しが出た瞬間に動きます。

そして、その動き方に3種類あります。

  1. 気に当たる
  2. 気に当てる
  3. 気を導く

気に当たるというのは、兆で気が差した瞬間にその気の方向にターゲットを差し出すように入って行きます。

実は、パンチが当たるというのは、この兆しの気の差した気に対して、当てる方は『当たった』と確信し、当てられた方は『殴られた』と知覚してしまう関係がタメの段階で生じています。

ですから、ボクシングなどでは、殴ろうとする側が意図せずに出したパンチに殴られた側が当たってダウンする場合、ラッキーパンチと呼びます。

要するに「当てた」「当てられた」という同時に成り立つ関係が起こらないのをラッキーパンチというわけです。

そこで、合気道は、意識的に当たりに行くことで無理やり「当てた」「当てられた」という関係性を気が差した段階で構築し、その後はパンチには当たらないようにするわけです。

さらに、気に当てる場合は、まさに相手の兆しの気が差す瞬間に、自分の気を相手に当てる動作をします。

すると、相手は気の差すのを一瞬止めてしまいます。そこに隙ができパンチが来る前に相手を制することができるわけです。

さらに、気を導くというのは、相手が出した兆の気を掌で受け止めて、ターゲットをロックオンした位置を無理やり前にずらせます。

するとフック系のパンチが襲ってきても、そのパンチはターゲットよりもかなり前で空振りをしてしまいます。

合気道の場合は手刀ですので、掌で手刀を受けるわけですが、そのまま導いて、投げ技などにつなげるわけです。

以上のように、相手のパターンを分析して、自分の武道にどのように活かすかを考えると、防御もかなり変わってきます。


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【プログラムとは?】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近、このブログではNLPを使って説明をしていますが、とくにプログラムという語を使うので、全く意味が分からないという話を聞きました。

そこで、今回はその点について触れたいと思います。


NLPとは

NLPを日本語にすると脳神経言語プログラミングということです。

NLPでは 、人が五感によって得られた反応を、言語によって記憶し、それが一つのパターンになること プログラミングと呼びます。

例えば、「僕は犬が嫌いだ」という場合、その人は犬に関して嫌な出来事を経験し、その経験が繰り返されて「犬嫌い」のパターンが形成されときプログラミングされたというわけです。

なお、経験の繰り返しには、2つあり、別の同類の経験を繰り返す場合と、一つの強烈な出来事が心の中で繰り返されることによる場合があります。

この様に、五感によってそれを嫌だと感じた経験が繰り返された結果、「犬を見ると嫌な感じになる」パターンが形成されるわけです。

っそてパターンには例えば、

  • 私は~が得意/苦手という思い込み
  • 正しいと思っている考え方
  • 自分に対する自己評価

など様々あります。

NLPでは、このようなパターンが形成されることをプログラミングといっているのですが、プログラムと呼ぶことに非常に拒絶反応を起こす人がいるようです。


プログラムは癖と言い換えてみる

僕はプログラマーを十数年やってきた経験があり、プラグラミングと呼ぶのが非常にしっくりきます。

しかし、プログラムというとかなり人為的なものと解釈する人がいると、NLPのプログラミングと呼ぶことに非常に違和感を感じ拒否感が強く起こるのではないかと思います。

ですから、そういう人は、このプログラミングということばを「習慣・癖が付く」という言葉に置き換えると拒絶反応が起こらないのではないでしょうか?

それで、人は何か行おうと思うと、その習慣や癖が勝手に出るというものだと思ってもらうといいと思います。それをプログラムと呼んでいるにすぎないのです。

そういう癖を僕はプログラムと呼んでいますが、NLPではパターンと呼んでいます。

しかも、その癖というものは、動作などの場合、かなり人類共通の癖があります。

ですから、パターンを詳細に分析し、その性質を利用しているのが合気道だといえるのです。


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【当て身の重要性】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、今回は、合気道であまり重要視されなくなった、合気道の打撃技である当て身の重要性について話したいと思います。


当て身

合気道では打撃技のことを当て身と言います。

当て身の種類としては、手刀(てがたな)と拳が一般的で、後は肘や肩、それから足を用いることもまれにあります。

合気道では、基本的には、ペアになって二人一組で、取り(技の掛け手)と受け(技の受け手)の役割を交互に行って稽古しますが、受けがまず攻撃をして、取りがそれを受けて投げ技や固め技を掛けます。

一般的に、当て身は、受けが取りを攻撃する際に、正面打ち、横面打ち、正面突きなどで攻撃する際に使用します。

しかし、当て身はそれだけではなく、取りが技のをかける色々なポイントでも使用します。

ところが、近年の合気道では、当て身は不要と、あまり稽古をしない道場が増えていて、特に女性は、拳の握り方すら知らないというような人も増えていると聞いています。

僕の師匠である井口師範は、当て身の重要性をしばしば説かれていました。

それで、井口師範の指導する合気道では、取りが技を行う時、技の書くポイントで必ず寸止めでの当て身の動作を入れるように指導されていました。

また、合気道開祖・植芝盛平翁先生は、実戦において「当て身7分に投げ3分」ということも言っておられます。


当て身の意義

井口師範が、説く当て身の意義は次の点があげられます。

  1. 当て身の理解
  2. 身体の運用の理解
  3. 技のタイミングの把握
  4. 距離の把握

当て身の理解というのは、「当て身の使い方を知らずして、当て身に対処できない」ということで、強力な打撃の打つタイミングや、当て身を行う人の心理など分からないと、どのタイミングで当て身を受けるかすらわからないということです。

要するに攻撃法を知らないと、攻撃法の対策ができないということです。

仏教の真言宗では、呪いを解くためには、呪い法も知る必要があると、高僧は呪いのやり方を学ぶそうですが、守るためには、攻撃法を知る必要があるのです。

身体の運用の理解というのは、当て身というのは瞬間的に打撃力を生み出す技術でもありますが、この打撃力というのは運動エネルギーであり、人を投げるときに使用する重い力として運動エネルギーを作りだす場合も、当て身の身体操作法と原理は基本的に同じであるから、身体の操作の稽古にもなるという点です。

技のタイミングの把握というのは、当て身を知り、当て身を入れるタイミングが分かっていると、どのタイミングで当て身をつぶせるかがわかります。そういうことで、相手を観察するという観察力がついてきます。

距離の把握というのは、合気道の技を掛ける際は、思った以上に相手との距離が近いものです。そこで、技の合間に当て身を入れることで、その距離感を正しく保てるようになります。

以上、当て身の意義をざっと述べましたが、当て身は非常に大切で、稽古の必要があるというのが僕の考えです。


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【気をチャンクダウンする】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回、チャンクアップ、チャンクダウンの話をしましたが、「気」というのは、宇宙エネルギーであって、はっきりとしていると思われている人がいるようで、何故チャンクダウンする必要があるのかという疑問を持たれた人がいたようです。

そこで、もう少し具体的な話をしていこうと思います。


そもそも宇宙エネルギーって何?

気を理解するのに「万能の宇宙エネルギー」と説明する人がいます。

万能だから、人を殺すのも、病気を治すのも自在だという主張です。

人を殺すには宇宙エネルギーを瞬間に大量にぶつけ、病気を治すのは、柔らかく放出するということだそうです。

もともと、宇宙エネルギーは人体を構成しているので、宇宙エネルギーが不足すると病気になるので補充をしてやれば元へ戻るそうです。

しかし、大量にぶつけてやると相手はケガをしたり、死んだりする。

確かに、それはまるで、水とよく似ていて、水は体に必要で、水分を取らないと死んでしまう。でも、高圧の水だと、堅いモノでも切ることができる。だから、上記の説明は非常に合理的に思います。

ところが、物理的な影響がでるハズのその宇宙エネルギーが観測できないのです。

というのは、気のパンチという中国拳法の発勁打法というのがありますが、中部大学の実験の結果、物理学を超えた力ではないことは証明されています。


気は抽象度が髙いだけ!

僕も、以前は気さえ操れれば、不老不死も夢ではなく、空を飛ぶことも、様々な事象を引き起こすことも可能であると信じていました。

しかし、気というものを研究していると、世界中で捉え方が違うモノであるということが分かりました。

物理のエネルギーとして気が存在するなら、振舞いの仕方が、民族、文化によって違うのはおかしいと思うようになりました。

例えば、空気は人類が誕生する前から物理的に実在していますが、空気の振舞いは、民族、文化の影響を受けず、世界中共通の性質を持っています。

知識が無くても、酸素を吸い、二酸化炭素を出しています。

そこで、僕は、井口師範の気の技を、物理学、生理学、心理学で考えるようになりました。

すると、今まで全く分からなかった技術が、はっきりとし、人に伝えても再現性がでるようになりました。

要するに「気」とは、様々な人の技術を表すチャンクアップした言葉であるという結論に達した訳です。

そうすることで、気をチャンクダウンして稽古すると誰でも気を扱えるものとなる訳です。

そして、慣れてくるとチャンクアップして、気ですべてをコントロールするところに持ってくるのがよいと僕は考えます。


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